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九章 憎悪の矛先‐Sin‐(6)

 そして途中で何度か警戒して来る動物には遭遇したが、彼らはセアドを目にすると途端に警戒を解いて人懐っこそうな様子を見せてきた為、一度も戦闘が勃発する事も無く、遂に一行は目的地へと到達する。
「わぁ……」
 眼前に広がる光景を目にした時、ターヤは感嘆の声を上げていた。
 そこは、林の深奥に位置する唯一の開けた空間であった。その最奥には陽光を反射して水面を輝かせる巨大な湖が存在し、周囲には色彩豊かな植物が生い茂っている。
 まるで生命の楽園のような美しい景色に、一行はひたすら圧倒されるばかりであった。
 そんな彼らを愉快そうに眺めながら、セアドは説明を入れておく。
「知ってるかもしれねぇけど、アグハの林は『聖域』って呼ばれるくらい〈マナ〉の濃度が高ぇんだ。だから闇魔は入ってこれねぇし、それにここには縄張りの主が居るからな、血気盛んに戦おうとする奴も居ねぇし、無謀に足を踏み入れようとする馬鹿も居ねぇのさ」
「闇魔って〈マナ〉が駄目なの?」
「ああ、〈マナ〉は《世界樹》が生み出す聖なる力だから、あいつらにとっては毒なんだよ。つっても、一般的な濃度ならそこまで毒でもないらしいけどな」
 小首を傾げたターヤには、アクセルが答える。
 セアドはズボンの片ポケットに手を突っ込んで何かを探しながら、一行をそれ以上前進させないように立ちはだかった。
「じゃあ、あいつらを呼ぶからちょっとばかし待ってろ」
「は? 呼ぶって何を――」
 眉を顰めたアシュレイの質問を遮るように懐から笛を取り出すと、セアドは思い切りそれを吹いた。
「! その笛ってもしかして……!」
 誰の耳にも音は聞こえなかったが、マンスだけは素早く振り向いて彼が持つ笛を凝視した。
 少年の素直な反応に青年はにやりと笑う。
「その歳で知ってる奴が居るなんてなぁ」
「って事は、僕らに頼みたいのって――」
「ご名答」
 再度セアドが笑んだ瞬間、
「!」
 突如としてその場に居た全員を突風が襲った。皆は反射的に顔を腕で隠して護ろうとするが、慣れているのかセアドは少しも動じている様子は無い。寧ろ待ち合わせ場所に友人が到着したような嬉しそうな笑みすら浮かべていた。
 次第に強風は鳴り止んでいき、最後には余韻だけを残して掻き消える。
「ったく、いったい何な――!?」
 悪態を尽きかけて、けれど途切れるように言葉を失ったアシュレイを不審に思ったターヤは彼女に視線の向きを合わせ、
「……!」
 視界に映ったものに思わず絶句した。
 予想通りの反応を見れている事に更に満足したらしいセアドは、腰に片手を当てて背後を振り向かずに口を開く。
「こいつらはオレの相棒、兄のカレルと弟のテレルだ。双子の兄弟なんだぜ?」
 セアドの後ろには、いつの間にか二頭の龍が鎮座していた。以前ターヤ達三人がアウスグウェルター採掘所で目にした《守護龍》よりも二回りくらい小柄だが、それでも人間から見れば大きい事には変わり無い。
「ど、龍……!」
 予め察していたとはいえ、初めて目にする龍にマンスは驚きを示す。
 流石にスラヴィは動じていなかったが、彼と当事者達以外はマンス同様に驚愕の表情を隠せてはいない。
 先程セアドが口にしていたアグハの林における『縄張りの主』とは、彼らのことを指していたのだろう。二頭の龍以上にその言葉に当てはまる存在など誰にも思い付かなかった。

 あまりに型に嵌りすぎた反応に、セアドはからかいの表情を見せた。
「何だ、ズメイを見るのは初めてか? まぁこいつらは他の龍より友好的とはいえ、あんま人前には出てこねぇからな」
「ずめい?」
 きょとんと首を傾げるターヤにセアドは苦笑する。
「やっぱ知らねぇか。ズメイってのは龍の一種でな、よく《守護龍》に選ばれたりもすんだ。他の龍と比べりゃ比較的友好で、作物を自然災害から護ってくれたりすんだぜ?」
「へぇ、凄いんだねー」
「だろぉ?」
 まるで自分のことのように頬を綻ばせて喜ぶセアドの姿は家族を自慢する兄のようで、知らず知らずの内にターヤは彼を見つめていた。微笑ましいとすら感じられる。
 しかし、今はそれよりも胸中に生じた痛みの方が強く意識されていた。僅かに視線を寄こせば、彼もまたどこか普段とは異なる様子である。無意識のうちに、両手が胸の前で握り締められた。
「んで、今回おまえらに頼みたいのが、こいつらの散歩だ」
 右側に立つ龍の足を軽く叩いたセアドに、マンスが呆れ顔を向ける。
「散歩、って、龍は百キロ以上の距離を動かないと散歩にさえならないよ?」
「そりゃそうだ。龍はオレら人間と違ってでけぇからな」
 そう言って彼は左右のズメイの足を優しい手付きで撫でた。
 それが彼らにとっては非常に気持ちが良いらしく、二頭の龍は心地良さそうな声を上げる。
 二人の相棒を見上げてから、セアドは再び口を開いた。
「けど、兄ちゃん達は首都の方に行きたい。そうだろ?」
「ああ」
 話を振られたエマは頷く。その顔は驚きから脱却し、予想通りと言わんばかりのものになっていた。ただし彼の場合は龍と結び付けられていた訳ではなく、何かしら規格外の頼まれごとをするのではないか、という予測を立てていただけである。
「なら、こいつらに乗ってけよ。こいつらはオレが認めた奴らならちゃんと乗せてくれるからな。兄ちゃん達は首都まで行けて、こいつらは散歩になるから万々歳。悪くねぇ案だろ?」
「へ?」
「は?」
 虚を疲れたターヤとアシュレイの声が重なる。
「やはりか」
 反対に、エマは今度こそ嘆息していた。自論が推測の域を出て確信へと到達したからだ。
「やっぱり、おにーちゃんが《龍の友》なの?」
 そしてマンスはといえば、どちらとも異なり、若干の尊敬を含めた視線をセアドに注いでいた。
「どらがみくす?」
 その本人としては何気無く発したであろう言葉に、この世界に疎いターヤとしては再度の疑問符を浮かべてしまう。語幹からして『ドラゴン』と関係があるのであろう事は解ったのだが、正式な意味までは辿り着けなかった。
「龍と契約した者――《龍使い》のことよ。さっき笛を吹いてたでしょ? あれは〈星笛〉って言って、龍を呼ぶ為の物なの。で、《龍の友》っていうのは彼らの自称ね」
 けれども彼女の疑問に答えたのは、エマではなくアシュレイだった。
 彼女の解説には、セアドが眉根を寄せた。どうやら本人からしてみれば、あまり好まくはない説明の仕方だったようだ。
「その嬢ちゃんの言う通りだけどな、良い意味じゃねぇからオレらとしちゃあ《龍の友》って呼んでもらいてぇな。オレらはこいつらと対等で有効な関係を築けてるんだからよ」
 セアドが怒りを覗かせならがそう言う理由が解らず、答えを求めるように彼を見たターヤだったが、またしても返答は予想だにもしていなかった方向から来た。
「あのね、おねーちゃん。何とか使い、って言う呼び方はね、無理矢理使役する、っていう意味が強いの。だから、人工精霊を無理矢理使役する奴らは《精霊使い》って呼ばれてるんだよ」
 袖を引っ張られたので視線を落とせば、マンスが真剣な表情で見上げてきていた。それを見て、ターヤは理解した。

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