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九章 憎悪の矛先‐Sin‐(3)

「――!」
 だが、そこでアシュレイの首がフェーリエンの方へと向けられる。
 エマとアクセルもまた、自分達の居る場所に向かって気配が近付いてくる事に気付く。
「エマ」
「ああ」
 けれども、その気配は二人分であった。
 故に彼ら三人は表情を引き締めると、武器に手をかけて身構える。
「しかし、誰がここに……」
「町の奴ら……って感じじゃねぇよな。警戒してるようには感じられねぇし、寧ろ散歩のノリで歩いてるような足音だよな」
「けど、それなら誰なのよ」
 意識を張り巡らしながらも声を潜めて言葉を交わし合う三人だったが、遂にかの気配がすぐそこまで迫ってきた事で、口を閉じてそちらに集中する。
 しかし、彼らの予想に反して、その気配の主は見知った人物であった。
「みんな、ただいま!」
「ターヤ! 無事だったようだな」
「何だ、おまえかよ」
 正体を知るや否や、その場に驚きと脱力とが浸透した。
 だが、依然としてアシュレイの眉間に寄せられたしわが消える事は無い。
「で、あんたの後ろに居るのは誰な訳?」
 鋭く不機嫌な問いには、ターヤの両肩が跳ね上がった。そのまま即座には答えず縮こまって視線を彷徨わせる様子は、まるで親に悪事や失敗を見付かった子どものような反応だった。
 そこでようやくエマとアクセルもまた、彼女の左後ろに位置する樹に隠れているもう一人の存在に気付く。
「すぐに気付いちまうなんて、流石はアシュレイだよな」
「あんたが間抜けなだけでしょ? それと先に言っとくけど、あたしがけなしてるのはあんただけだから」
「何者だ、出てこい」
 通常運転な二人の会話を背景にエマが少しばかりの殺気を飛ばせば、観念したのか隠れていた人物が姿を現した。
「やぁ」
 登場してきたのは、長身痩躯の青年だった。ひょろいという印象を受ける上、その髪は色素が抜け落ちたかのように白く、その目は宝石のように赤い。挨拶代わりに片手を持ち上げて掌を見せてきた彼には、アシュレイが警戒心ばりばりの顔を返す。
「アルビノ……」
 零れ落ちたマンスの呟きは青年本人まで届いていたが、彼はその事には何も言わなかった。
 それを流そうとするかのように、アシュレイが一歩だけ踏み出す。
「誰よ、こいつ」
「キミら、町の奴らと会いたくないんだろ? だったらオレについてこいよ」
 問われたターヤが答える前に、青年の方が先に口を開いていた。一直線に向けられてくるアシュレイの眼付きに怯む様子すらない。
 この返しには、更に胡散臭そうに眉根を寄せたアシュレイであった。
「彼女に何を言って丸め込んだのかは知らないけど、初対面の奴にそう言われてはいそうですかとついていく馬鹿だとでも思ってる訳?」
 容赦も遠慮も無いアシュレイの言葉は、寧ろターヤの方にぐさぐさと突き刺さる。思わず胸元を片手で抑えてしまうターヤであった。
 そこでアシュレイは失言に気付いたようで、僅かながらに慌てふためく。
 客観的に見ればコミカルとも言える状況に、思わず吹き出してしまう青年であった。
 しかしそれを目敏いアシュレイが見逃す筈も無く、一変して不機嫌も顕になった表情が青年へと向けられる。
「何笑ってんのよ?」

「いや、随分と疑り深い嬢ちゃんかと思ってたら、ただのツンデレみたいで安心しただけさ」
「はぁ!? あたしのどこが――」
「で、どうすんだ? オレについてくんのか? 来ないのか?」
 沸点を超えかけそうなアシュレイの言葉は遮り、青年は一行を見回した。スルーされたアシュレイの眼付きは益々剣呑さを増しているが、青年は我関せずといった態度を取っている。彼女のような人物の扱いに慣れているのか、はたまた別の理由があるのか。
 そもそも彼自体がよく解らない一行は、ターヤへと視線を移す。
 すると彼女は、大丈夫だと言わんばかりに一回だけ大きく頷いたのだった。
「おまえを信じても大丈夫なんだな?」
「あたりまえだろ。んじゃ、行こうぜ?」
 アクセルの問いに青年は笑みを返すと、フェーリエンの方へと踵を返す。
 ターヤを除く一行は――特にアシュレイは人一倍強く謎の青年に対して警戒を抱いたままでありながらも、彼女を信じて彼の後についていく事にしたのだった。
 道中、案の定アシュレイは彼と彼を連れてきた経緯について不信感も丸出しにターヤに問うていた。しかしターヤにもよく解らないらしく、ただフェーリエンで彼に声をかけられた事、信用できそうな人だと直感した事、故に事情をぼかして話してみた事、くらいしか収穫は無かった。無論、これには呆れ顔を見せたアシュレイである。
 そうして一行が案内されたのは、フェーリエンの端付近に位置する建物の裏手だった。アンチョーの林と隣の林伝いに移動した上、尚且つ人々も既に町の内部に戻っているようで、ここまで来ても誰にも姿を見られる事は無かった。
「ここだぜ」
 青年は言いながら開錠した扉を押し開けると、一行を中へと招き入れた。
 一行は緊張の面持ちで足を踏み入れるも、内部を目にしたところで今までの警戒心が少しばかり薄れかけた。
 扉の向こう側は玄関のように小さな個室だったが、問題はそこではない。その先の普段はカーテンなどで仕切られているのであろう枠から見えたのは、広々とした空間だった。その空間へと赴けば、眼前にはカウンター、真正面には大きな扉、その左右には椅子に机と、ゆったりとした寛げそうな風景が広がっている。更に見上げてみれば、吹き抜けになっている事も判った。
「ここって……」
「宿屋みたいだな」
 好奇心を発揮して周囲を見回しているマンスの呟きには、アクセルが続いた。
「みたいじゃなくて、そうなんだよ。ここはフェーリエンの宿屋。そんで、今はキミらの貸切って訳だ」
 再び青年へと視線が集中する。
 アシュレイが腕を組み、睨み付けるようにして彼を見た。
「あんた、何者よ。だいたい、何が目的であたし達をここに連れてきたの?」
 射抜くような視線を真っ向から受けて、けれどやはり青年は少しも動じていなかった。あのアシュレイの鋭い眼差しをものともしないとは、余程度胸があるのだろう。
「あぁ、そう言や、まだ名乗ってなかったな。オレはセアド・スコット。〔方舟〕ギルドリーダーの孫で、フェーリエンの宿屋のおにーさんだ」
 そのまま笑みを絶やさず、青年は自己紹介をする。
 無論、一行の中で表情を変えない者が居ない筈が無かった。
「もしかして、貴方は《太陽の御者》スコットさんの血縁者なのか?」
「お、流石にジィサンのことは知ってっか! そうそう、そのスコットさんはオレの祖父なんだよ!」
 途端に青年ことセアドは花開くような笑みを面に浮かび上がらせる。という事は、彼はスコットの孫なのだろう。確かに彼はどこか、あの朗らかな老人の面影を感じさせた。
 つまりエマの予想は当たっていたのだ。
 これにはアクセルが興味深そうな表情になる。
「へぇ、あのじーさんに孫が居たなんてなぁ。しかもおまえ、二十代くらいだろ?」
「あぁ、オレは二十四だよ」

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