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九章 憎悪の矛先‐Sin‐(2)

「うん。でも、何かあったらその時は助けに来てね?」
 ポーズはそのままに力強く頷いたかと思いきや、若干情けない声が付け足された。
 ターヤらしいとアクセルが笑う。
「当たり前だろ。けど、その時は大声で呼べよ?」
 茶化すような青年の言葉に、少女は頬を膨らませてみせた。しかしそれは彼の揶揄に対する彼女なりの返しだったらしく、表情は即刻元に戻される。
 そこでマンスとスラヴィも気付いたようだった。どこに行くのかとの問いにフェーリエンだと返せば、マンスは途端に表情を硬くする。けれどもいってらっしゃいと声をかけてくれたところを見るに、完全に参っている訳ではなさそうだった。
 スラヴィからは同様の声を、エマとアシュレイには気を付けるよう念を押された後、ターヤは緊張を垣間見せながらもフェーリエンへと向けて歩き出したのだった。
 そのように身を堅くしながらフェーリエンまで戻ってきたターヤだったが、意外な事にそこは既に訪れた当初の様子を取り戻しているようだった。まるで先程の一件など無かったかのようだ。無論、ターヤを見て目くじらを立ててくる者も居ない。
(これなら、みんなも大丈夫、かな?)
「御機嫌よう、ターヤさん」
 思考の途中で名を呼ばれた為、思わず両肩が跳ね上がった。まさかという思いで恐る恐る振り向けば、そこに居たのは予想もしていなかった人物で、しかも見知った人物でもあった。
「え、リュシー?」
 以前始まりの街エンペサルで出逢って少しばかり話をした事がある旅の女性、リュシーその人である。
 思わぬ再会に驚いて目を瞬かせたターヤへと、彼女は微笑みかける。
「今日も御一人なのかしら?」
「あ、うん」
 そういえば彼女と初めて会った時も一人だったと思い返しながら、ターヤは頷いた。そしてそこで、ふと思い立つ事があった。
「リュシーはいつ頃ここに来たの?」
「私? 私はついさっきですわ」
 唐突な質問に彼女は不思議そうな顔になるも、答えはくれた。
 彼女の回答に、それならばあの後フェーリエンで何があったのかは知らないかもしれないとは思いつつも、とりあえずターヤはできるところまで訊いてみる事にしたのだった。何せ今の自分の目的は現状の確認なのだから。
「じゃあ、町の人達が何か話してたりしなかった? ……えっと、例えば、雷がどうとか」
 口を開いてから漠然としすぎていた事に気付き、慌てて具体例を添える。
 すると、その単語に聞き覚えがあったらしいリュシーは軽く首肯してみせた。
「ええ、何度か『雷』という単語を耳にしましたわ。それから、確か『背信者』や『軍』などという言葉も」
 瞬間的に駄目だと悟った。やはり、まだこの町の人々はマンスに対する憎悪や敵意を拭い去れても捨てきれてもいないらしい。となると、ここに彼を連れてくるのはまだ危険だ。
「ターヤさん? どうかしまして?」
 不思議そうな顔で覗き込んでこようとするリュシーには、何でもないと首を横に振る。
 だが、彼女はそれでは納得がいかないのか、少々怪訝そうに見つめてきた。
 何とか彼女の意識を逸らそうとターヤは必死に思考をフル回転させて、そこで一つだけ浮かび上がったものがあった。
「そうだ、リュシーは『ルツィーナ』って人を知らない?」
 それは、トランキロラで耳にした名前――ターヤと瓜二つらしい人物の名である。名も知らぬ女性にその人物と間違われた時から、ずっと気になっていたのだ。故に有名人かどうかまでは判らなかったが、世界中を旅しているというリュシーならば聞き覚えがないかと、一縷の望みにかけてみたのだ。
 質問を投げかけられた方はといえば、その名に聞き覚えがあるようだった。
「『ルツィーナ』さん……もしかして〔十二星座〕の《天秤座》様のことでしょうか?」
「ぞでぃあっく?」
 聞いた事の無い名称だ。おそらくギルド名と異名であるところまでは予測できるが、それ以上は何も思い付かない。

「〔十二星座〕とは、十年間前に《世界最強》の誉れを誇った、十二人のみで構成される何でも屋のようなギルドですの。けれども同じ年に何らかの事件が起こったようで、現在では実質的な解散状態にあるようですわ」
 ターヤには名前からして初耳だった。そのようなギルドがあるのかとすら思ってしまった程だ。だが、既に現存していないのも同じであるのならば、知らなくても当然なのかもしれなかった。
 けれど、どこかで懐かしさを感じている自分が居るのもまた事実だった。その理由がターヤ自身には解らない。
「そして、かのギルドを構成する十二人のうちの一人が、ルツィーナさんと仰るのですわ。その異名は《天秤座》――とは言いましても、現在では一つの痕跡すらも残していないそうなので《消失の天秤座》と呼ばれるようになったそうですけど」
「〔十二星座〕……《天秤座》……ルツィーナ……」
 無意識のうちに、唇がその三つの単語を反芻するべく動いていた。まるでそれが何かを呼び覚ます『鍵』であるかのように、ゆっくりと確かめるが如く紡いでいく。そうするうち、ターヤは自身の奥底で何かが胎動したように感じた。
(これって――)
「ところで、その御方がどうかされたのですか?」
 リュシーから訝しげな声を向けられた事で、ターヤは我に返る。慌てて取り繕った。
「あ、ううん。ちょっと、気になっただけだから」
「? そうですの」
 疑問符を浮かべたリュシーではあったが、それ以上追及してくる事は無かった。
 その事に内心で安堵の一息を吐くターヤである。
「あ、えっと……じゃあ、わたしは用事があるから、またね」
 ともかく皆に即刻この事を伝えようと思い、ターヤはそこで会話を切り上げる事にする。冷静に考えれば実に無理矢理感の漂う発言であったのだが、その時の彼女は意識の半分を焦燥に支配されており、気付けなかったのだ。
 しかし幸か不幸か、リュシーは虚を突かれたような顔はしつつも、そこについて突っ込んではこない。存外空気は読めるようだ。
「え、ええ……では、宜しければまた御会いしましょう、ターヤさん」
 そして軽く会釈すると、踵を返して町の中へと消えていったのだった。
 リュシーを見送ってから、これで後は皆のところに戻るだけだと、ターヤもまた元来た方向へと足を進める。時おり周囲にちらちらと視線を寄こし、自分を見ている者が居ないか確認しながら。
 彼女の心配に反して、やはり少女を不審がっていたり凝視したりしている者は一人も居なかった。
(良かった、わたしに注目してる人は居ないみた――)
「挙動不審だぜ、嬢ちゃん?」
「っ!」
 だが、気を抜いたところで突如として背後から声をかけられた為、反射的にターヤは全身を竦ませてしまったのだった。


「……遅いわね」
 所変わって、アンチョーの林。
 そこでは、アシュレイが腕を組んで木の幹に背を預けたまま、片足で地面を叩いていた。一定のリズムで行われるその動作は一見癖のようでいて、実際には彼女が不機嫌であるという事実を表している。
 それを知っているからこそ、彼女に声をかけようとする無謀な輩は一人として居なかった。
「アシュレイの奴、ターヤが帰ってこねぇから不機嫌なんだろ?」
「おそらくはそうだろうな。アシュレイなりに心配しているのだろう」
 その脇でアクセルとエマは、彼女には聞こえないように小声で会話する。
 マンスは彼らの話が届く距離に腰を下ろしながら、ひたすらモナトとじゃれていた。
 そしてスラヴィは我関せずとばかりに、皆に背を向けたままだ。
 その間も、アシュレイの足が刻む音は止まらない。寧ろ速度と音量を増してさえいるようだった。
 これはそろそろ爆発しかねないなと思い、エマは彼女に声をかける事にした。

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