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九章 憎悪の矛先‐Sin‐(13)

「わっ……」
 突然だったのかマンスが驚くが、すぐに恐る恐る近付いていった。
 カレルとテレルは小柄な彼を静かに見下ろしているだけだ。その瞳の奥に隠された色を見抜ける者は、一人を除いては居ない。
「大きい……」
 常套句というか定番というか、マンスの言葉は実にありきたりなものだったが、率直で素直な気持ちを表していた。
 そんな少年へと、テレルは言葉を放る。
『我が珍しいか、精霊の愛し子よ』
「! ぼくを知ってるの?」
 驚きから身を乗り出したマンスに応えて龍は頷く。
『知り得ている。御主の父のことも』
 帰された言葉には、唖然として開いた口が閉まらなかった。加えて、直後には身体の奥底が熱を持ったように感じられる。その感情の正体を、彼は知っていた。
「……マンス?」
 だが、ターヤに不思議そうな声をかけられて我に返ると、少年は慌てて振り返って忙しなく両手を振った。
「う、ううんっ。何でもない、何でもないからっ!」
 明らかに何でもあるのだろうが、ターヤに彼の心中が読み取れる筈も無く、彼女はきょとんと小首を傾げただけだった。
「それより、早く行こうよ! おにーちゃんも許可をくれたんだし!」
 それを好機として、マンスは話の軌道を強引に戻そうとする。別に会話の内容がやましい訳では無かったのだが、彼の年頃として一つでも秘密を所有している事に少々の憧れが芽生えたのだ。
 それを知ってか、それとも他に思うところがあるのか、エマとアシュレイは一言も発していなかった。彼らの場合は、セアドと双子龍に配慮しているのもあるのだろう。
「うん、そうだね」
 ターヤも別に追求はしてこない。少年の言葉に、ゆっくりと首を縦に振っただけだ。
 不謹慎だとは思いつつも笑みを抑える事ができず、マンスは先陣を切ってズメイの巨体へと手をかけたのだった。


「――それにしても、テレルは凄いね!」
 先程の内緒話で何か感じるものや通じるものがあったのか、マンスは仲良くなったらしきテレルの首元にしがみ付いて嬉しそうに彼と話している。
 テレルの思念はマンスだけに送られているらしく、ターヤ達にその会話は聞こえない。カレルはどちらかと言えば無口な方のようで、先の一件もあってか残りの五人と一匹に会話らしい会話は無かった。
 マンスが発している言葉はまるで背景のように通り過ぎていき、ターヤの脳内にも耳にも残らない。彼女はただ静かに世界を恐れる背中を眉尻を下げたまま眺めてから、珍しく独りで居る背中や重圧に潰されそうな背中を見つめ、そして最後に既に遠くなった林の方向へと視線を逸らす。
 双子の龍達は縦一列に並び、背中に乗せた人間達に負荷がかからない程度の上空を飛行していた。
 しかし、そこにセアドは居ない。フェーリエンの宿屋を長時間も留守にする訳にはいかないと言っていたが、その裏では未だアクセルを――否、ターヤ達三人を完全に許せていない事は誰の目にも明らかだった。
 もう一度だけ、前方に目を向ける。
 そして揺れる視線を、足元の紅い鱗へと落とした。

(きっと、誰もが傷を抱えてる。アクセルもアシュレイも、みんなも……セアドも、カレルとテレルも)
 彼らについてはわたし達のせいなのだけど、そう呟いた言葉は一瞬にして風に掻き消され、誰にも届く事は無かった。そうしてそこで、ふと疑問が浮かび上がる。
(なら、レガリアと呼ばれる彼女は……?)

『私には生への執着も未練もございませんので』

 決してその場を凌ぐ為の虚勢などではなく、本心から生きることを諦めているような瞳。その奥底は誰も覗いてはいけない領域であり、頑ななガードがかかっているように思えた。
 なぜだかターヤは人の心理――それも危うく脆い傷には意外と目敏い。自分自身も理由は解らないが、とにかく少しの事でも気付けてしまう事があるのだ。
 だからこそ、彼女は知っている。
 レガリアと称される少女が詩を紡ぐ映像が映し出された時、セアドが何とも言えない表情を浮かべていたのを。友好も嫌悪もできない、そんな矛盾した表情を。

 

  2011.01.12
  2013.05.10改訂
  2018.03.09加筆修正

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