The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十章 首都圏騒動‐infiltration‐(1)
『――この辺りで降りる』
テレルから注意を促す思念が伝わってきたのは、眠気に負けたターヤが船を漕ぎ始めていた頃だった。彼の言葉に眠気をかき消されて跳び起き、そして背後に何かが居る事に気付く。
「ふぇ……?」
眠気が完全に醒めないまま、ゆらーっと幽鬼のような動きで顔を持ち上げれば、そこにあったのは火色の如き赤髪と少々意地の悪い顔。彼は視線に気付くと声をかけてきた。
「よぉ。すっげー顔で寝てたぜ?」
「あくせる?」
「呂律が回ってねぇって。まぁ俺はアクセルなんだけどな」
見慣れた表情に苦笑を浮かべると、その青年ことアクセルは彼女の腹部辺りに回していた腕を解いた。
それにより、急激に意識がはっきりとした。瞳に疑惑の色が宿る。
「アクセル?」
「軽蔑の目で見んなって。俺にはそんな面妖な趣味はねぇよ」
そうであるならば、ぜひともこの体勢の意味を教えてほしいところであるとターヤは思う。
彼女の視線からその思考をだいたい読み取ったアクセルは、はぁ、と大袈裟なまでに溜め息を付いて両肩を竦めた。
「あのな、勘違いするなよ? おまえがうとうとしててズメイの背から転げ落ちそうだったから、押さえててやっただけだっつーの」
「そうだったんだ。えっと、ごめん、ありがとう」
「おぅよ」
疑った事を少しも気にしないどころか、寧ろ満面の笑みを返してくるアクセルに内心で強く安堵する。先の林で起こった一騒動の後、眠気によって意識が遠ざかるまでの彼の背中はやけに小さく見えていたから。
着陸中は危ないらしく、用が済んでもアクセルは立ち上がろうとはしなかった。
ターヤは痛くなってきた首を元に戻す。
「もう、大丈夫?」
「あぁ、問題無ぇよ」
顔は見れなかったが、その声色に最終的な安堵感を得た。
「それなら、良かった」
安心と共にまたも眠気の波が襲ってきた為、瞳を下ろす。けれども頬は緩んだままだった。
「変な顔してるぜ?」
覗き込んでいるのであろうアクセルの声に、それでも瞼だけは開けられず、ぼんやりとした気持ちの中で言葉を探す。
「眠いんだもん」
「龍の背中で寝たら落ちるぜ? ま、落ちそうになっても俺が支えててやるけどよ」
あぁそれ良いなぁお休みなさい、と彼の言葉に頷きそうになる――次の言葉を聞くまでは。
「――なんて言いてぇところだけど、着陸する時ズメイは直線状に降下していくらしいぜ?」
どこか意地の悪げな含みを湛えたアクセルの言葉と、それと同時に感じたいつか同様の落下時特有の妙な浮遊感で、完全にターヤの眠気は吹き飛んだ。
「はっ……?」
言葉は続けられない。
なぜなら、アクセルの言葉通りにテレルが垂直に急降下をし始めたからだ。
「えっえぇぇぇぇぇぇ!」
「だから言ったのによぉ?」
「なんっ、でっ! アクッセルはっ! ふつっに! しゃしゃしゃ喋れてるのっ!?」
真正面からの凄まじい風圧をまともにくらって普段通りに話す事ができず、どうしても途切れ途切れで語尾が跳ね上がってしまうターヤである。
しかし、なぜだかアクセルは意に介した様子もなく普通に言葉を口にしていた。
「それは、俺が天下のアクセル・トリフォノフ様だからだな」
その至極当然な疑問に対し、アクセルの回答は実にふざけているとしか思えない代物であった。
「ここ答えにっ! なってないぃっ!」
「答えなんか要らねぇって」
「いっ、意味わわわ解んないよぉっ!」
若干圧され気味の押し問答を繰り返している間にもテレルは急降下を続けている。
「いーっけぇー!」
一人だけ楽しそうなマンスの声に気が付いた時には、既に遅かった。
一気に全身が加速の奔流へと飲み込まれていき、言葉を紡ぐ以前に最早口や目を開くことさえも儘ならない。それどころか身体中を襲う暴風のせいで、今度こそ意識が彼方へと吹っ飛びそうだった。
(まるでアクセルとエマに出会った時みたい)
それにも拘らず、ターヤは内心で暢気にそう思っていた。あの時も同じだったが身体は少しも動かせないのに、なぜか思考だけは明確に働くのだ。
(何でなんだろ――)
と、僅かに減速した気がして、心の独白は一旦そこで遮られる。
気が付いた時には地面は眼前だった。
「――!」
まともな悲鳴さえ上げられず、意識が吹き飛ぶ寸前で停止した。まるでブレーキをかけたかのような急停止だと言うのに、反動も何もいっさい来ない上、感じられもしない。
どうして、と言おうとした言葉は掠れた空気音にしかならなかった。
「とーちゃくっ! やっぱりテレルとカレルは凄いよねー」
完全に全身が麻痺しきっていて微動だにもできないターヤをよそに、マンスは実に爽快感溢れる楽しそうな表情をしていた。
唯一動かせる視線だけを彷徨わせてみれば、アシュレイもエマも何のそのと言った風貌である。
アクセルも同様だったが、特には何も言っていなかった。
(もしかして、驚いてたのってわたしだけ?)
その事実には、ほんの少しだけショックを受けたターヤである。
「ありがとー」
「助かったわ」
「世話になった」
「ありがと、な」
仲間達が口々に謝礼の言葉を述べてズメイの背から下りていく中、ターヤは一人だけ動けずにいた。すっかりと腰が抜けてしまった事が理由の大半を占めているが、アクセルの様子がまた気にかかった事も、一応その内の一つだった。
そんな彼女に気付いたアクセルが声をかけてくる。
「ターヤ? どうしたんだ?」
「あ、えっと、アクセル……」
「?」
答えようとして言葉に詰まる少女に対して不思議そうに首を傾げ、青年は催促する。
「どうしたんだ? 早く降りてこいよ」
「その……」
彼が元通りに見えた事には密かに安堵しつつも、この状態を何と表現すれば良いのだろうかとターヤは困る。素直に口にすれば手を貸してもらえるのだろうが、気恥ずかしさや言い難さなども混じり合って、なかなか言葉が出てきてはくれなかった。
そんな少女の様子に焦れたのか、唐突にテレルの姿が掻き消えた。
「え」
「な」
「あ」
「――えぇぇぇぇぇ!?」
覚えている限りでは人生三度目の空中落下に対し、最早ターヤは恐怖ではなく驚愕しか感じていなかった。それでも地面との激突を回避できる訳でも誰かに助けてもらえる筈も無く、ぎゅっと両目を瞑る。