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九章 憎悪の矛先‐Sin‐(12)

 対して、スラヴィは何事も無いかのような普段通りの無表情で、いきなり湖面へと視線を動かした。
「見付けたみてぇだな」
 同時にセアドもそちらに視線を移し、流動的に残りの面々も顔を湖に向ける。
「あれは――」
 エマの呟きに振り返る者は居なかった。なぜなら皆、湖で起こる摩訶不思議な現象に視界の全てを奪われていたからである。
 注目の的と化した湖上では、水が立ち上がって四角形を模っていた。その表面が僅かに波打ったかと思いきや、次の瞬間にはノイズを立てながら映りの悪い映像を浮かべ始める。
「っ……!」
 見覚えのありすぎるそれに、ターヤは反射的に口元を手で押さえていた。

『普段の我ならば、あのような下等生物共など取るに足らぬが……今の我はあやつらと〈結晶化病〉に蝕まれている身よ』

『加護を受けし者よ、我がそなたに頼みたいのは、今ここに蔓延る闇魔の討伐だ』
『おまえの治療は良いのかよ?』
『我は構わぬ。元より治療してまで延命する気など無い。長老達も我が亡くなれば新たな《守護龍》を選出するであろう』

『――っ!』
『アストライオス!?』
『《闇魔》の浸食か……!』

『ここまで浸食されては、我はもう助からぬだろう。既にその事に気付いておったのだろう、加護を受けし者よ』
『……っ』

『もう悠長に話してる暇はねぇ! おい、そのまま動くなよ! 俺が――』
『いや、このまま、我ごと倒せ』
『何言ってんだよ!? 俺は――』
『解っておる。だが、既に我と……この闇魔は、殆ど一体化しているようだ。それに先程、もう我が助からぬと言った時、そなたは無言で肯定したであろう……!』
『っ……!』
『は、やく……我が、我でなくなる前に……ぐっ!? ……身勝手だとは、承知の上だ! だが、どうせ終わるのならば、我は我のままで居たいのだ……!』
『――っ!』
『それで、良い……ぐぁぁぁぁぁ!!』
『アストライオス!』
『ケテル、よ……もし、あの子達に会う機会があったのならば……すまないと、伝えてくれ……!』
『アストライオスーっ!!』

『わたしなら大丈夫だから』
『けど――』
『だからお願い! 彼を、アストライオスを助けて!』

『許してくれとは言わねぇし、罪を背負わないつもりもねぇ。覚えておけ……俺の名はアクセル・バンヴェニスト、おまえを殺す――《ドラゴンスレイヤー》だ!』

『……ごめん、アストライオス!』

『そんな顔するなよ、ターヤ。おまえのせいじゃないんだ。全部、俺が悪いんだからさ』

『でも……』
『だから、せめておまえは笑っていてくれ』

『けれど、これもまた運命なのだから――せめて、私は貴方の為に詠いましょう』

 その映像が暗転して見えなくなるまで、誰もが言葉を発しようとはしなかった。いや、したくてもできなかったのかもしれない。
 それはあまりに残酷な現実で、予備知識がなくとも巨大且つ強大である筈の龍が、黒い靄に蝕まれている事はいとも簡単に理解できた。そして最期は、それに完全に呑み込まれてしまった事も。
 セアドの足元が震える。彼はそのまま覚束無い足取りで数歩だけ後退し、最終的には殆ど尻餅を付くようにして地面に腰を落としてしまった。
「嘘、だろ……?」
「嘘じゃない。これが、俺の記憶だ」
 答えたアクセルの声は、まるで無理矢理作り上げたかのような平淡さ。
 当事者の一人であるターヤは目を逸らさないよう踏み止まりながらも、しかし自分達が犯してしまった事の大きさを改めて思い知っていた。生命を――誰かの家族であり知人でもある者の命を奪うというのは、このような痛みと罪の意識を背負うのだという事を。
 アクセルは次の句を紡いではいなかった。
 無論、三人目たるスラヴィはあくまでも無言を貫き通す。まるで言うべき事などもう無いとでも言うかのように。
「もう一度だけ、訊かせてくれ」
 沈黙を破ったセアドの声は、先程までとは比べものにならないくらい弱々しかった。
「アストライオスを……《守護龍》を殺す気は、無かったんだな?」
「ああ」
 即答だった。
「例えアストライオスが《守護龍》じゃなかっとしても、俺は助けるつもりだった……助けたかったんだ」
 言葉の語尾はセアド同様徐々に弱々しくなっていき、最後の方は聞き取り辛かった。
「そうか」
 セアドもセアドでそれ以上を言う気は無いらしく、簡素に答えてそこで会話は終わる。
 記憶の映像を映し出していた水の画面は隊形が崩れたからか既に形を失っており、元から居たらしき闇魔も存在しない為なのか湖面は波紋すら起こっていなかった。そしてその場には九つもの人影が在るというのに、湖同様彼らは静寂で包まれていた。
「……カレル、テレル」
 再び自分から沈黙を破り、セアドは自身の契約龍に声をかける。
 そして、彼の言いたい事を双子の龍は理解していた。
『理解、そして許可』
『完全とはいかないが、異存は無い』
 あくまでも淡々と龍達は答える。しかし先程までの射抜くような敵視はして来なかったところから、多少の不満は残しても騎乗は許してくれるということなのだろう。
 故に、アクセルは会釈した。
「……ありがとう」
 このタイミングでの謝罪はせっかくの好機を潰しかねず、また彼らに思い起こさせてしまう起因となりかねない。だからこそ、礼を述べる事にした。
 彼に対してセアドは何も答えなかった。ただ、契約龍に向かって片手を上げただけ。
 それだけの動作でも彼らの間では意図が通じているらしく、龍達は頷いたように見えただけだった。緩慢ではないが緩やかな動作で巨体を伏せ、一行が乗れるようにしてくれる。

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