The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
九章 憎悪の矛先‐Sin‐(11)
「『Promette qui』――」
そして、手を伸ばしながら詠唱を開始する。
「またしてもセインティア語か」
「だからどうして何で、ターヤがこの言葉を知ってんだよ……!」
以前にも同様の光景を目にした事のあるエマとアクセルは疑問の壁に衝突し、逆に初めて耳にする言語にアシュレイとマンス、セアドは戸惑いを隠せなかった。
「何よ、これ……」
「ミスティア語でも、ルーン文字でもない?」
「こりゃ何語だよ」
『解答。古代語』
カレルが寄こしてきた答えに、セアドは弾かれるようにして彼を見上げる。それから、驚愕の面で再び少女を見たのだった。
「――『Non e rilasciato da tu ed un incantesimo』――」
その間にも少女の詩は紡がれていき、そして瞬く間に周囲を目も眩む程の閃光が襲った。
「「っ!」」
あまりの眩しさに皆が目を覆う。
輝き終えた光は、次第に少女へと収束していく。それが完全に収まった頃には、彼女の前に居た筈の闇魔は跡形も無く消え去っており、そこでは幾つも光の粒が点へと昇っていく様子が見えるだけだった。
少女は立ち上がらず、片膝を付いている訳でもなく、ただ座り込んでいる。
「ターヤ?」
最も近くに居たアクセルは、少々遠慮気味に声をかけた。
「……へ? な、何?」
しかし予想に反し、ゆっくりと寝惚けたような様子で振り向いたのは『少女』ではなく『ターヤ』本人であった。その事実は起伏のある声と、光の灯っている瞳から判断できた。
いつの間に入れ替わったのか、とアクセルも皆も唖然としながら彼女に視線を向ける。
逆にターヤは自分を凝視している六人分の視線に驚いたのか、何度も瞳を開閉していた。
「みんな、どうしたの?」
「どうした、って、覚えてないの?」
息を呑んだアシュレイの言葉にも、ターヤは不思議そうに首を傾げるだけだ。
「おねーちゃん、覚えてないんだ」
「そのようだな。以前もこのような事があったが、やはり彼女は何も覚えていなかったんだ」
彼女の反応にマンスの方が両目を瞬かせれば、エマがインヘニエロラ研究所跡での出来事を思い出しながら頷く。
けれども覚えの無いターヤは、ひたすら皆の反応に困惑するしかなかった。
「え? え? え? え?」
と、唐突にその肩に重みを感じた。振り返りつつ見上げれば、愉快そうに苦笑するセアドの顔と、こちらに伸びてきている片腕が視界に入ってくる。どうやら彼は腰から上半身を屈める姿勢になり、片腕をターヤの肩に置いているようだった。
反射的にセアドを見上げたターヤは、そこで場の空気がいつの間にか変化している事に気付く。先程までのぎすぎすした雰囲気は、最早感じられなかった。
「まぁまぁ、嬢ちゃん、すっげぇ困ってんぜ?」
「……?」
そう言う彼も事情の一端ぐらいは知っているようで、なぜか自分自身だけが知らない『自分のこと』が存在している事こそ、ターヤには不思議且つ不気味で仕方なかった。
それを知ってか知らずか、二頭の兄弟龍が鳴く。
「そうだな、闇魔は居なくなったんだ。オレらの条件、呑んでもらうぜ?」
セアドは相棒達を見上げてから頷いて、ターヤ達三人を――正確にはアクセルとスラヴィの二人だけを見た。
「……けど、俺は」
「誰が闇魔を消すかなんて、オレは聞いてねぇからな」
苦虫を噛み潰したかのように顔でアクセルが口を挟むが、セアドはそれを切り捨てた。
そうすればアクセルに返す言葉は無く、スラヴィと同じく寧ろ当然であるかのように動作で応える。
それについてもターヤには疑問としか思えない。
「待って、わたしも――」
「良いって、譲ちゃんは今ので結構だ」
全てを言い終える前に制されてしまい、少女は完全に道を失った。頭の中が白紙のような空白で、そこには何も無い。現存する色彩は白のみ、あとは元から何も無い空虚さだ。
(やっぱり、わたし、結局何もできてない)
「何つー顔をしてるんだよ」
俯いたその頭に、何かが乗せられた。ゆるゆると力の抜けた動作で主に視線を上げれば、アクセルが仕方が無いと言わんばかりの表情を見下ろしてきている。
「別におまえだけ何もしねぇって訳じゃねぇからな? さっき現れた闇魔を浄化したのはターヤ、おまえなんだぜ?」
「わたしが?」
にわかには信じられず、それは声にも顔にも顕著に表れていた。
疑っている彼女の思考を否定するように、アクセルは大きく首を縦に振って見せる。
「ああ。何なら、他の奴らにでも訊いてみろよ。俺と同じ答えしかくれねぇと思うぜ?」
言われた通り、残りの皆へと順に視線を移していけば、確かに全員が肯定しかしなかった。
再び、アクセルを見上げる。もう一度首肯されてしまえば、今まで重かった部分だけは一気に軽くなった気がした。自然と、頬が緩んだ。
「ちょっとは、罪滅ぼしができたみたいで良かった」
彼女の言葉にアクセルは無言で頭を撫でると、今度こそ踵を返す。
「んじゃ、兄ちゃんはそこ。坊主はこっち来い」
「ん」
背中の鞘に未だ手にしていた武器を収めながら、アクセルは短い言葉で返答とした。普段のようにぞんざいに答える元気さえも、今の彼には無いのだ。
対してスラヴィは返答さえ無いが、素直に指示に従っているところをみれば肯定の意と受け取っても構わないのだろう。
「カレルとテレルが言ってたぜ」
少年が近くに来るとセアドは待っていたと言わんばかりに膝を折り、彼と顔の高さを合わせた。
「おまえ、《レコード》だろ?」
耳元で囁かれた一種の含みと試しを持つ小声に、しかしスラヴィは何の反応も示しはしなかった。普段通りの無表情でセアドの斜め前に立ち尽くし、多量の隙が見受けられる棒立ちでそこに居るだけだ。
こいつはオレが敵だったらどーすんだかな、と内心では思いつつも、セアドはカレルを自分の隣に残してテレルをアクセルの傍に寄越した。真横に降り立った龍に青年が反射的にオーバーリアクションを取っていたが、そこは気にしない。
「んじゃ、始めようぜ。兄ちゃんはテレルに、坊主はカレルに触れろ」
「こんなんで記憶が見れるのか?」
「言ったろ、この坊主が協力してくれりゃ問題無ぇってよ」
未だ疑心暗鬼だったが、とりあえずアクセルはその言葉に従った。
スラヴィも龍の足に手を当てている。
「うし、準備万端。んじゃ、カレルとテレルは共鳴、坊主は協力、んで――兄ちゃんはあん時の事を思い出せ」
できる限りで、とは言わなかった。おそらくあちらも理解はしているだろうし、本心から贖罪をする気ならばこのくらいは難無くしてくれなければ。そうセアドは考えていた。
「んじゃ、始めるぜ?」
セアドの一言が引き金となった。
「!」
その瞬間、何とも言えない感覚と気持ち悪さに襲われたアクセルは思わず眉を顰めていた。しかし、ここで思考を止める訳にはいかない。だからこそ、彼は開いている方の手で胸部を強く掴んで必死に耐えようとした。