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八章 《召喚士》‐espri‐(9)

「何が起きたんだ?」
 状況を理解できずに野次馬やアクセルが呟く中、エマとアシュレイは声の主を両目で捉えていた。
 そして声の主であるターヤはと言えば安堵の表情を浮かべて、何が起こったのか解らないと言いたげな表情で座り込んでいる少年を見つめている。
「まさか、本当に精霊だったの?」
 その時、誰かが呟いた一言。
 この一言に人々はすぐさま反応を示し、互いにマンスを盗み見ながら囁き合う。それは徐々に連鎖していき、先程は黄色の猫をただの魔物、黄緑色の髪の少年をそこらの《魔物使い》とでも思っていたのであろう観衆はざわめき始めていた。
「え? 何?」
 事情を知らないターヤは周囲を何度も見回すだけだ。
「って事は、あいつは本当にあの『裏切りの一族』?」
 何気なく思い付いただけの言葉だったのであろう、野次馬の内の誰かが放った一言。
 瞬間、場の空気が一気に転換した。
 身を起こしてからすぐ、その空気に迎え入れられた少年は更なる戸惑いを隠せずに周囲を見回す。顔色は先程までとは百八十度も異なり、どんどん蒼白くなっていた。
 人々の視線に込められた意味もまた、同様に変化していた。今の彼らにとっては『違法者』よりも『裏切りの一族』の方が最も敵視すべき対象なのである。
「裏切りの一族?」
 その不穏な空気の中で異彩を放たない言葉にターヤが眉を顰め、エマを見る。
「エマ、あの――」
「『裏切りの一族』とは、生まれ付き精霊や魔物などと契約を結べる素質を持ち合わせた召喚士系〈職業〉を排出する事の多い一族、〔召喚士一族〕の蔑称だ」
 最後まで言わずとも察してくれるエマだったが、その表情は硬く、視線はマンス一人に固定されていた。声色自体も、どこか気後れしているように感じられた。
「蔑称、って……差別、されてるの?」
「ああ。とある事件の際に『人間』と袂を分かってからは、人間からは強く敵視されている」
 顔を酷く歪ませて頷いたエマに、ターヤもつられて困惑している少年を見る。
 彼はいつの間にか顕れていた白猫を左肩に乗せ、先刻その猫を使役していた時の表情とは打って変わった弱々しい年相応の顔を浮かべて、身体を小刻みに震わせていた。
 その様子を見ているだけの二人の横を細剣に手をかけたアシュレイが素早く通り過ぎようとしたが、腕を掴まれてエマに制される。
「止めろ、アシュレイ」
 敬愛している筈のエマにでさえ不機嫌そうに振り向くアシュレイの眉間には、見た事の無い程に無数のしわが寄せられていた。
「感情のままに行動しても、それが更なる連鎖を引き起こすだけだ。その行動は貴女の身を滅ぼす事になりかねない」
 彼らしくない焦燥を含んだ声でエマが諭すようにして叫ぶ。
 けれど、そう言った彼自身も感情のままに暴走しているようにしかターヤの目には映らなかった。おそらくは二人共が、記憶の中の何かと現在の状況とが殆どリンクして見えているのだろう。
「でも、認められない」
 その激情を遮るかのように呟かれた言葉は、なぜかはっきりと耳に届いていた。
「……あたしはっ! こんな謂れの無い差別なんか認められるか!」
 激情に等しい怒りを顕にした叫びを喉の奥底から絞り出すかのようにして放つと、アシュレイは驚くエマの腕を振り払って脱兎の如く駆けていく。
「っ……待て、アシュレイ!」
 慌てて彼は手を伸ばすが、それが届く筈も無かった。そのまま彼女を追いかけるかと思いきや、伸ばした手と共に顔も弱々しく下げて俯いてしまう。そして、ぶら下げた両手を強く握り締めた。

 彼の様子をターヤはただ見る事しかできない。自分が何を言ったって、それはただの無知からくる同情なのだろうから。それが、何とも歯痒かった。
 既にアクセルとスラヴィは彼女と同じく飛び出していったようで、近くには姿が見えない。
 彼女もこの状況を黙って見過ごす訳にはいかなかった。けれど、両足が動かない。動いてくれない。マンスのように世界から敵視されて罵倒される事が、少女には非常に恐ろしくて堪らなかった。
 だからアシュレイが、皆が羨ましかった。自分とは異なり勇気と行動力を兼ね備えている彼らが、羨ましかった。
「くそっ」
 エマは彼らしくない罵りの声を上げたかと思えば、武器に手をかけてアシュレイの後を追っていってしまう。
 それがまた、ターヤに罪悪感を上乗せしていく。
「わたしは……」
 立ち止まったまま呟いたところで、答えなど出る筈も無いと言うのに。
 ぎゅっと唇を噛み締めて、ブローチから取り出した杖を握り締めて、なけなしの勇気を振り絞って。少女もまた、先の四人を追ったのだった。
「こいつ、《召喚士》だ!」
「やれ! 殺せ!」
 一方、先刻とは打って変わり罵倒と非難の声を上げ始めた民衆に、マンスは恐怖を覚えていた。遠い記憶が脳内でフラッシュバックし、全身を硬直させてしまう。
「あ、あぁ……」
 それだからか声すらもまともに発せず、何も言い返す事もできない。
 故に観衆であった筈の人間達は暴徒と化し、少年を背信者たる『召喚士一族』と一方的に決め付けて、武器を片手に彼へとにじり寄っていく。
 それがデジャウのようで、彼は思わず後ずさった。
「うぁ……あぁ……!」
「どりゃぁっ!」
 だが、仔猫を抱き締めて悲鳴を上げかけたマンスと暴徒の間に、豪快な音を立てて派手に割り込んだ人物が居た。振り下ろされた武器は全て、彼の大剣に受け止められている。
「! 赤っ!」
 それは、紛れも無く全身を赤で染めた青年、アクセル・トリフォノフだった。
 少年の叫びに青年は余裕めいた呆れ顔で彼を振り返る。
「助けてやったのにそれかよ。そんなことより、とっとと逃げろ!」
「でも、赤は?」
「問題ねぇよ。何たって、俺は最強だからな!」
 こんな状況下にも関わらず笑顔でウィンクをして見せたアクセルに、マンスは脱力して言い返そうとする。
「そんなことを言ってる訳じゃ――」
「スラヴィ、そいつは頼んだぜ!」
「『了解してみる』――とある少女の言葉」
「うわぁっ!?」
 のだが、問答無用とばかりに言葉を遮られた挙句、いきなり宙に浮かんだかと思えば大して背丈の変わらない少年の肩に担がれていた。驚いて反射的に暴れようとするが、無機質な瞳を向けられる。
「『落とすよ?』――とある少年の言葉」
「はい」
 もしも彼に感情があったならば、腹黒い笑みが顔に浮かんでいるであろう少々物騒な言葉で釘を刺されてしまい、落とされたくはないマンスは怯えを感じつつも素直に頷くしかなかった。
 スラヴィはそれを了承と取り、こちらに向かって来る暴徒から軽々とした身のこなしで逃げ始めた。時に高くまで跳び上がり、時に宙を回転して移動する。

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