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八章 《召喚士》‐espri‐(8)

「何かしら、エフレム?」
 この際ノックをせずに部屋に入ってきた事は無視しようと思いながら、忠臣へと視線を固定して問う。彼が自分を『女王陛下』でも『陛下』ではなく『ヌアーク様』と名で呼ぶ時は、大概が自分を宥める時か重要な話がある時と相場が決まっているからだ。
 青年は一礼し、即座に話し始める。回りくどい話し方をしないのもまた、ヌアークが彼を重用する理由の一つであった。
「以前から話題に上がっておりました魔道具の売買を主とする《違法仲介人》ですが、どうやら現在は休憩地点フェーリエン周辺に潜んでいる模様です」
 彼の言葉に意識せずとも眉が跳ね上がり眼が細められるのが、自分自身でも手に取るように理解できた。一瞬にして込み上げてきた殺意を内面だけに押し留めながら、彼女は平静を装う外面で問う。
「それは、確かなの?」
 嘘偽りは許さないと言わんばかりの鋭い視線を向ける。幾ら彼相手とはいえ、確信を得ておく必要があったのだ。これは、彼女にとって何よりも大事な事なのだから。
 それを熟知しているからこそ、普段のポーカーフェイスのまま、けれど一部の者だけに見分けられる誠意の籠った瞳で、エフレムはヌアークを見つめ返す。
「はい、間違いは無いかと思われます。何せ〔魔導書庫〕を通して《情報屋》から頂いた情報ですから」
「あの〔魔導書庫〕から? どうやって――」
 訝しげに眉を顰め、そこで気付いたように主人は顔を上げて従者を見た。
「そう言えば、アリアネが〔魔導書庫〕のメンバーと知人関係にあったわね」
「はい。この情報はアリアネを介して入手しました」
「ふぅん、流石に貴方達は優秀ね」
 浮かべられた小さな嘲りの笑みに、エフレムは軽く目を潜める。
「向かわれますか?」
「察しの良い人は好きよ」
 本当に、眼前の青年は自分の思っていることを的確に察してくれるから好ましいのだ。それは彼女にとっての癒しである少女達や、見えないところで補佐してくれる女性も同様で。
 醜く浅ましい人間の雄に比べたら、彼と彼女らの何と清らかな事か。
「では、籠の準備をして参ります」
「待ちなさい」
 一礼して踵を返そうとした青年を少女は呼び止めた。少々驚いたような彼の表情に自身が驚かされつつ、彼女は嗤う。
「どうせなら、奇襲作戦といきましょう?」


「マンス!」
 突如として走り出した少年を追って、一行もまた休憩地点フェーリエンの外広場へと足を動かした。そしてようやく追いついた先で目にしたのは、数人の男性と対峙している少年の姿だった。その腕が前面に回っているという事は、未だ白猫を抱き締めたままなのだろう。
「マンス――」
 殆ど無意識にターヤは少年に駆け寄ろうとして、
「おじさんたち、《精霊使い》?」
 嫌悪と敵意とを含んだ声に、足が止まった。自分に向けられた訳ではないというのに、彼の元に向かえる気がしなかった。
 それは皆も同じなのか、誰一人として少年のところに行こうとはしない。
 一行が追いかけてきている事にも気付いていないマンスは、眼前の男性達を見上げている。その両目に宿っているのは、剣呑な光だった。
 そこに何かしら不穏な空気を感じたのか、何だ何だ、と人々が徐々に集い始める。

「あ? 何だよこのガキ」
「俺達に何か用か~?」
 だが、男性達は彼を相手にしようともしない。互いにふざけて笑い合うだけだ。その中の一人の腕には、壺らしき物が抱えられていた。
 少年の目が、更に細まった。
「とぼけたって無駄だよ。さっき精霊の気配を感じたんだから。それに、おじさんたちが持ってるのって〈精霊壺〉だよね?」
「なっ……!?」
「何で解った!?」
 確信を持ってマンスが指摘すれば、男性達が動揺を見せた。そしてすぐに公衆の面前だという事に気付いたようで、まずいと言わんばかりに口元を押さえた。どうやら頭がそれ程回る人種ではないようだ。
 彼の言葉に驚いたのは男性達だけではない。野次馬と一行もまた、驚きを顕にして壺を凝視した。
 何しろ、それは先程見た〈精霊壺〉とは形状も表面の模様も色合いも、果ては大きささえも異なっているのである。一見すると、どこにでもあるような普通の壺としか思えなかった。
「あれも〈精霊壺〉なんだ」
「あの子がそう言うのなら、そうなんでしょうね。確かに〈精霊壺〉は〔軍〕の目を欺く為に普通の壺に似せて作られてたりはするけれど」
 ターヤの呟きにはアシュレイが応えた。
「それを承知の上で所持しているという事は、あいつらも先程の男と同じね」
 気付けば彼女の顔は軍人のものになっていた。利き手がレイピアの柄に伸ばされる。
 そして男性達はといえば、自分達が『違法者』である事を衆目に晒された事に憤り、その怒りを少年へとぶつけようとしていた。
「このクソガキっ!」
「! 危な――」
 今度こそ皆は少年へと近づこうとする。
「『我が喚び声に応えよ』! 〈月精霊〉!」
 しかしその刹那、少年の足元に黄色い魔法陣が浮かび上がったかと思えば、瞬く間に彼の前には宙に浮かぶ巨大な猫が顕れていた。その全身は淡い黄色の光で覆われている。
「「!」」
 眼前の光景には野次馬もおろか、エマ達やアクセルでさえ驚きを隠せない。それが少年の抱えていた白猫モナトである事すら、すぐには頭に入ってこない程だった。
 その中で言の葉を紡いだのは、ただ一人。
「精霊……」
 ターヤの小さな呟きが耳に届いたアクセルを筆頭とする三人は、彼女を振り返りつつ更に両目を見開く。
「なぁっ!?」
「ほ、本物の精霊!?」
 男性達は眼前に受かんだ猫を目にした瞬間、後方へと下がろうとして尻餅を付いていた。
 彼らを見下ろす事となったマンスの目付きは、大よそ年相応とは思えなかった。
「ぼくは《精霊》が大切なんだ。だから、おじさんたちみたいにこの子たちをないがしろにする人は絶対に許さない!」
 明らかな怒りの感情が籠った声は、今すぐにでも相手を害してしまいそうな空気を醸し出していて。
 本物且つ強い怒りを面に出した少年に、男性達が恐怖を顕にして後ずさった。大の大人が、自分達よりも圧倒的に小さな子どもを怖がっているのだ。
 だが、少年は激情の籠った双眸で彼らを見下ろすだけだ。その掌が相手へと向けられて、
「――止めてっ!」
「うわぁっ!」
 悲痛な叫び声が聞こえたと思った時には、少年の悲鳴が続いていた。
 見れば、一瞬前までは仁王立ちの体勢で立っていた少年はあたかも吹き飛ばされたかのような姿勢で後方に倒れ込んでおり、男性達の眼前に居た筈の巨大猫は最初から居なかったかのように消え去っていた。

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グリモワール

​モナト

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