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八章 《召喚士》‐espri‐(7)

「ぼくのことは間違っても女だと思わないこと! 次に呼んだら、もうおねーちゃんとは口利かないから!」
 突然の呼びかけに目を丸くしているターヤには気付かない様子で、マンスは頬を膨らましたまま捲くし立てた。
「うん、解ったよ、マンス。ごめんね」
 理解に到達するまで少し間を要しはしたが、了承の意味で笑いかければ、彼はしばらく硝子球のような丸い目をぱちくりと瞬かせてから、頬を赤く染め出した。それに比例して顔が俯き気味になる。
 そして、それを見逃さない者がこの場には一人。
「お~? 何だよ、赤くなってんじゃねーか」
「う、うるさいっ」
 あまりに空気を読まないアクセルの言葉はマンスに蹴られる。
「だめだめ赤のくせにっ」
 彼が仕返しとばかりに叫んだ一言はしっかりと彼の耳に届いていたらしく、そのこめかみから何かが罅割れるような音が聞こえた気がした。
「何だとぉ!? このチビ娘!」
「ぼくはチビでなければ女でもな~い!」
 そこで気にしなければいいものを、やはり言い返したくなるのは子供の性なのか、マンスは腕を振り上げて怒る。
 こうなれば、もうアクセルが主導権を握ったに等しかった。
「はっ、どうだか! 本当は男装してるのを隠してるんじゃねーのか?」
「何それっ! ぼくはれっきとした男だよ! 生まれ付き女顔っぽいだけ!」
「あぁ、そーですか」
 すっかり興味を無くしたように振舞うアクセルに、マンスの怒りメーターは上昇して行く一方だ。それはまるで、普段のエマとアクセルのような構図に見えた。
「自分から突っかかってきたくせにー! 大人気無いよっ!」
「はん、何とでも言えってんだ」
 さて次はどうやってからかってやろうか、と思案していたアクセルだったが、それを遮るようにして間にエマが割り込んでくる。
「アクセル、その辺りで止めておけ」
「何でだよ」
 楽しみを止められてしまった青年はつまらなさそうに不貞腐れた表情を浮かべるが、そこは付き合いの長いエマ。特に相棒に対してはお構いなしどころか容赦が無かった。
「これ以上おまえの大人げの無さが見るに堪えないからだ」
 呆れたように溜め息を付く時のような顔でばっさりと切り捨てると、エマはマンスに向き直る。背後から「何だとぉ!」という叫び声が聞こえたが、それもすぐに「黙りなさい!」という声と何かを叩くような音と共に聞こえなくなった。
「すまないな、マンス」
「ううん、赤があんなのだって最初っから気付いてたから、青いおにーちゃんが謝る必要なんて無いよ」
 先程とは打って変わり大人びたマンスの言葉に、エマは苦笑せざるを得なかった。
「そういえば、私達はまだ名乗っていなかったな。私はエマニュエル・エイメという。貴方さえ良ければ、エマと呼んでくれ」
 次いてターヤ、スラヴィ、最後にアクセルという順番で、一行は名前だけだが簡素に少年への自己紹介を終える。
 その度、マンスもまた、エマのおにーちゃん、ターヤのおねーちゃん、スラヴィのおにーちゃん、と続けていたのだが、アクセルのことだけは変わらず『赤』と呼んだのだった。
 無論、当の本人がそこに反応しない筈が無く。
「おい、何で俺だけそんな適当な呼び方なんだよ」
「だって、赤は意地悪だしぼくのこといじめるもん!」
 案の定、食ってかかっていったところ、実に的確な理由を投げつけられたのである。

 図星故に返す言葉も無く黙ったアクセルは放置して、マンスへと向き直ったのはアシュレイだった。それまでの空気からは一変した軍人としての真剣な表情が少年を捉える。
「ところで、先程の件に話を戻させてもらうけど、いったい何があったの? 言える範囲で教えてくれないかしら、マンス」
 真摯なその言葉に、マンスもまた顔を引き締めたのだった。
「モナト、出てきて」
 そしてどこへともなく呼びかける。
 すると、ちりん、と小さく鈴の音の鳴る音が聞こえたかと思いきや、どこからともなく白猫が姿を現したのだった。
「その子は……」
「うん、この子は《月精霊モナト》っていってね、ぼくの一番最初の友だちなんだ」
「月精霊?」
 その言葉にエマは訝しげな顔をするが、そちらに気付いていないのかマンスは白猫を抱き上げて続ける。
「ぼくとモナトは二人旅だから、いっつもモナトと一緒に歩いてるんだ。そしたら、あのお店の前を通ろうとした時に、この子に〈精霊壺〉が反応したんだ。あれは精霊を強引に閉じ込めるために、ちょっとでも精霊の気配を感じたら発動するから」
 ゆっくり淡々と言葉を紡ぐマンスだったが、その眉根は強く寄せられており、内心では強い怒りが燻っている事が窺えた。本当は激情のままに叫びたいところを、必死に自制しているのだ。
 十二歳という年齢にしては実に大人びている、と心底エマは思ったのだった。
「それで、モナトが吸い込まれそうになっちゃったから、ぼくは慌てて〈精霊術〉でモナトを使役したんだ。そしたらモナトは吸い込まれずに済んだけど壺は壊しちゃって、おじさんが怒ったんだ。でも、〈精霊壺〉はもともと禁止されてるって聞いてたし……」
 そこで言葉を濁すと、マンスはアシュレイを恐る恐る見上げてきた。
 彼を安心させるべく、彼女は微笑む。
「ええ、解ってるわ。マンスが魔道具を破損させた事は事実だけど、あの男は確実に《違法仲介人》と関係があるもの。そちらの方が重要で重罪だから、後であたしがこの話を〔軍〕に伝えておくだけで大丈夫よ。もしかすると、参考人として一緒に来てもらう事になるかもしれないけど」
「ううん! それならだいじょぶだよ!」
 途端に明るくなったマンスへと微笑んで、アシュレイは懐から〈通信機〉を取り出した。
「さてと、話が纏まったところで、一旦アジャーニ中将に連絡を取った方が良いわね」
「あの、アシュラのおねーちゃん」
 そこにマンスが声をかける。それはどこか遠慮がちで、けれども意を決したような声色だった。
 それよりも少年のアシュレイの呼び方に、端でアクセルは戦慄していた。確か『アシュラ』とは、どこぞにおけるもの凄い形相をした神の名前ではなかっただろうか。確かにアシュレイには合っているのだが、面と向かって口にすると彼女の反応が恐ろしい事になるのではないかと思ったのだ。
 だが、その事に気付いていないのか気にしていないのか、彼女は少年に応えるだけだ。
「何?」
「その、おねーちゃんにお願いがあるんだ。ぼくと――」
 瞬間、白猫がぴくりと反応した。その目が、素早く動く。
 そちらに気付いた少年は言いかけた言葉を失うも、すぐに決心した顔になると、白猫を抱えたままその方向へと踵を返したのだった。
「あ、待ちなさい!」
「マンス!」
 皆が叫ぶが、少年は一目散に駆けていく。まるで周囲の音など聞こえていないかのようだった。


「ヌアーク様」
 自身の名を呼ぶその声を、椅子に腰かける少女は知っていた。

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