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八章 《召喚士》‐espri‐(3)

 悪行が露見された男性は、それでも何とかこの場を逃れようとする。ただし、疚しいのだろう、視線は軍人の彼女には合わせられずにさまざまな方向を彷徨っていたが。
「いや、それはだなぁ……つ、掴まれたんだよ! ブローカーに騙されてよぉ!」
「この野郎……!」
 あくまでも自己中心的で保身しか考えていない男性にアクセルの怒りが募る。
「だから、オレはわ――」
「いいかげんにして!」
 しかし彼が再び前面へと出る前に、今の今まで冷静だったアシュレイが溜まりに溜まった鬱憤を爆発させるが如く怒鳴っていた。
「最初から最後まで自分のことばっかり……あんた、何様のつもりよ!」
 冷静に物事を進めていた軍人がいきなり怒りを顕にすれば、誰しもが驚くであろう。それは野次馬や露天商の男性、白猫を抱えた少女は勿論、この場では誰よりも彼女を知っている筈の四人も含めて。
「な、何だよい――」
「黙れ!」
 言い返そうとした男性が思わず跳び上がってしまうくらいの大声で噛み付く様子は、言葉にはしないが、まさに異名通りの『豹』という印象をターヤに抱かせてしまった。
「あたしは凄く大事な考え事をしてたのにいきなり町の真ん中で騒ぎ出して軍を呼び出すのは最適な処置だったけれどその子ばかりを責めて挙句の果てに暴力に等しい行為を加えるしあまりに自己中心的すぎるし自身の悪事が発覚したかと思えば保身に走る!」
 アシュレイはマシンガントーク並みに息継ぎも噛む事もせず、早口で捲くし立てるようにして言葉を紡いだ。
 その迫力に、男性は口をぱくぱくと金魚のように動かす事しかできない。
「あんた、本当に何様のつもりよ!?」
「あ……だから、オレは――」
 先刻とは別人のような要領を得ない男性に、彼女の苛々が次第に積み重なっていく。
「さっきまで威勢の良かった奴がうじうじすんな! 言いたいことがあるならはっきりと言いなさい!」
「ひぃっ! す、すいませんでしたぁっ!」
 不機嫌さと苛々とを併せ持った威圧感に押し負けて、最後は男性の土下座で締め括られた。
 ふん、とアシュレイが鼻を鳴らす。
 そんな彼女へと、呆気に取られた野次馬達が、次の瞬間には弾かれるようにして感嘆の拍手を送っていた。
「す、凄い……」
「アシュレイはこの手の騒ぎには慣れているからな。ただ……」
 一呼吸分、間を置いた彼を不審に思う。
「エマ?」
「あ、いや、何でもない」
「……?」
 明らかに何かを言いかけて口を噤んだエマを、ターヤは怪訝そうな顔で覗き込む。そのように中途半端なところで切られては、寧ろ気になってしまうのが人の性というものなのだ。
「――すみません、通ります!」
 と、そこで人垣を掻き分けてくる声が聞こえ、次いで人影が姿を見せる。
 野次馬によって形成された輪の中心に現れたのは、軍服を纏った男性達だった。この町に駐屯する軍人が誰かしらに呼ばれていたのか、と思う以前に、一行――の中の主に四人が先頭に居た人物に驚く。
「あの人って……」
「あいつ……」
 ターヤとアクセルは、あ、という形に口を開き、エマは少々面倒事になりそうだとでも言いたげである。
 そして彼を目にしたアシュレイは、扱いやすい奴が来た、と言わんばかりの顔でなった。

「アジャーニ中将、良いところに来たわね。多分通報を受けて来たんだとは思うけど、一応口論自体は収束させたわ」
 一旦、視線は未だ土下座し続ける男性と少女へと移る。
「そこに居る男性とこの子が中心人物なんだけども、そっちの男性は〈饗宴〉などの盗品、ならびに〈精霊壺〉などの違法品をここで売買していたの。まず、彼を連行して取り調べてちょうだい。勿論、露店の品は全て押収よ。それから――」
 次いで軍人達の注目の的となった少女は、思わず身構えた。
「この子については、私が事情を訊きます」
 しかし、飛び出したのは少女にとっては予想外の言葉。思わず、驚きの眼差しで彼女を見上が得る。
 アシュレイは向けられたその目には気付かない振りをし、再び軍人達を見る。アジャーニだけを名指しにしたのは、彼がここの責任者であり、最も自身の命を受け入れてくれそうだと踏んだからだろう。
「はい、解りました」
 やはり彼は即座に敬礼したが、後方の軍人達は呆れ半分不満半分という顔をしていた。
 その反応に、ターヤは思い出すものがあった。
(そう言えば、アシュレイは若いのに〔軍〕の偉い地位に居るから、いろいろと大変なんだっけ)
 以前エマから聞いた話ではそうだった。彼女はその年齢の割りにとても有能だが、その分さまざまな苦労もしているのだと。
 だが、結局は彼女の方が上官だからと諦めたのか、渋々といった様子で一人は未だ地べたに這いつくばっている男性を立ち上がらせ、もう一人は割れた壺ごと露店に置かれている商品を回収し始めた。
 アジャーニはその様子を自身の目で確認してから、アシュレイに向き直ると、敬礼した。
「では、私達はこれで失礼します、准将」
「ええ、宜しく頼むわね、アジャーニ中将」
 彼女がそう返せば、途端に彼は初見時と同じく主人に褒められた犬のような顔になるのだった。そしてどこか浮ついた雰囲気を纏いながらも礼儀正しく一礼すると、部下達を従えて去っていった。
 その背中を、何とも言えない表情で見送るアシュレイである。
「おまえも好かれてるよな」
 苦笑しつつも茶化してくるアクセルに、煩い、と返そうとして、
「……軍人のおねーちゃん」
 かけられた声に振り向けば、少女がアシュレイを見上げていた。その表情は、どこか信じられないとでも言いたげだ。先程までは腕の中に居た筈の白猫は、今は姿が見えなかった。
「どうして、ぼくもあの軍人さん達と一緒に行かせなかったの?」
「別に大した意味は無いわ。ただ、貴女があまり軍人とは一緒に行きたくなさそうだったから、こっちの方がましかと思っただけよ。あたしも軍人だけど、ここなら他にも人が居るからまだ安心できるでしょ?」
 普段通りの調子でアシュレイが答えれば、反射的に少女が両肩を振るわせ始める。
「よけーなおせわだよっ!」
 そして、眦を釣り上げた明らかに怒りの顔で言い返したかと思いきや、少女は踵を返して走り出した。僅か数秒の事だった。
 思いもよらぬ反応に、アシュレイが固まる。その目が見開かれ、瞬かされた。
「あ、おい! 待てよ!」
 その後を、慌ててアクセルが追いかけた。比較的近くですぐにその腕を掴むと、とりあえずは引きずるようにして連れ戻してくる。
 若干呆れつつもその光景を眺めながら、僅かに気まずそうな顔のアシュレイへと、ターヤは話題を変える意味でも気になっていた事を問う。
「そ、そう言えば、アシュレイ、さっき大事な考え事をしてたって言ってだけど、何を考えてたの?」
 状況が状況なだけに答えてはくれないかと思っていたのだが、予想に反して彼女はあっさりと口を開いてくれた。

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