top of page

八章 《召喚士》‐espri‐(2)

「おら、ガキ! いいかぐぼぉっ!」
 そして、あろう事か男性の左頬目がけて、音速どころか光速の右ストレートを放ったのだった。
 あまりに速すぎる拳に、喰らった側の男性はと言えば綺麗に宙を描いて吹き飛び、野次馬の近くに墜落した。
 その見事さには必然的に周囲が沸く。
 アシュレイはと言えば、どこか不機嫌そうな顔を更に歪めて、両眼に冷徹な雰囲気を漂わせただけだった。
「なっ……何しやがる、この――」
 素早く起き上がった男性は反射的に文句を言いかけるも、彼女が浮かべる表情と、その身に纏われた暗色系の軍服を見て言葉を失った。
「言われた通りに出てきてあげたけど?」
 腕を組み、冷めた視線で男性を見下ろすアシュレイは、軍人と言うよりは女王と言い表すに相応しかった。ただし〔暴君〕の《女王陛下》とはまた別の意味で。
 彼女から発せられる威圧感に男性はたじろぐが、何とか立ち上がって言葉を発する。
「そ、そのガキが連れてるペットが、オレの店の商品を台無しにしやがったんだ」
 彼の言葉に、アシュレイは少し離れた場所で猫を抱き締める少女に視線を投げた。
 彼女は一瞬だけ肩を跳ね上げたものの、気丈にも怯む事無く強い意思を持った視線を絡ませてきた。嘘を吐いていない事が手に取るように解る、真剣な瞳だった。
 その目にアシュレイは微笑んで、視線を男性に戻す。
「そう」
 彼に対しては、事務的な表情のまま、興味が無いとしか感じられない声で一言、そう返しただけだった。
「な、なんだその答えは!」
 男性はてっきり自分に味方してくれるものだと思っていたらしく、声を張り上げる。
「そいつは加害者で、オレは被害者だぞ!」
「どこが?」
 あっさりきっぱりと切り替えされて、男性は言葉に詰まった。
 その間にも、アシュレイは懐から手振りサイズの通信機のような物体を取り出した。それの画面上で指を走らせ、ある文面を探す。
「『〔モンド・ヴェンディタ治安維持軍〕法令、第二十五条。被害者とは逆上して加害者に暴力を行わず、加害者から被害を受けた者だけを示す』。『〔モンド・ヴェンディタ治安維持軍〕法令、第二十六条。被害者が加害者に暴力並びにそれに類似する行為を加えた場合、被害者は加害者と化す』。以上」
 探し当てた長々とした定型句の如き文章を一度も噛まずに読み終えると、アシュレイは唖然として固まっている男性をしっかりと見据えた。
「弁解や擁護など、まだ何か言いたいことはある?」
「あ、あるに決まってんだろうか! こんな法律オレは知らねぇぞ!」
「それは貴方の勉強不足よ。まあ、そこの子も器物損害罪は免れないでしょうけど」
 視線を向けられて、少女が唇を噛み締める。違うのだと、そうじゃないのだと言いたげに。
 再び男性が調子を取り戻し始めた。
「だろう?」
「ちなみに、その破損された商品はどれ? 見せなさい」
「あ、あぁ。これだ」
 すっかりと自信を取り戻したらしき男性は、出店の最前列で割れて倒れていた壷を手に取ると、それを持ってきてアシュレイに渡す。それから少女へと見せつけるように笑った。
 その小馬鹿にしたような笑みに、少女の眉根が更に寄せられる。
「確かに、その壺はこの子が壊したよ」
 ぽつりと零され声に、再び皆の視線が少女へと集う。

「何だ、ようやく認め――」
「でも! 元はと言えば、その壺がこの子を吸おうとしたから悪いんだ!」
 更に調子に乗りかけた男性を遮って、勢いを先程のものに戻した少女が叫んだ。足元の白猫を抱え上げて胸元でしっかりと抱き締め、強い眼差しで割れた壺を睨み付ける。
 腕の中の白猫が、壺を彼女同様睨み付けるかのように、ふしゃーっ! と鳴いて暴れた。
「どういう事?」
 少女の発言にはアシュレイだけでなく、周囲もまたざわめく。
「それは〈精霊壺〉って言ってね、この子達精霊を捕まえちゃう物だから。精霊は《召喚士》としか契約を結べないのに、それはこの子達を無視して捕まえて、無理矢理使役しちゃうんだよ!」
 唸り声を上げて威嚇し続ける猫を抱き締める腕に力を込めて、少女は訴えかけるように叫んだ。
 精霊壺。その単語に、ターヤは聞き覚えがあった。教えてもらった通りならば、確か人工精霊を封じて無理矢理使役する為の魔道具の一種ではなかっただろうか。
 それはアシュレイとアクセル、エマも同様で、三人の男性を見る視線が鋭さを増す。
 だが、男性はその事には気付かず、少女を鼻で笑い飛ばすだけだ。
「はっ! どうせ自分が捕まりたくないからいちゃもん付けてんだろ? だいたい、そのモンスターが精霊な訳ねぇだろ。おまえみてぇなガキが《召喚士》ってのも信じがてぇ」
「本当だもん! おじさんこそ違法商売のくせに!」
 先刻までの消極的な様子もどこへやら、少女は白猫を抱いたまま負けずと男性に喰ってかかっていく。それは奇しくも腕の中の仔猫と感情がシンクロしているかのようだった。
 彼女の変わりように男性は怯むがそれも一瞬の事で、すぐに言い返してきた。
「何だと! このガキ……!」
「これは盗品じゃないのかしら?」
 そこに割り込んできた声。
「あぁ!?」
 もう誰であろうとお構い無しになって来た男性の顔の前に、出店に並べられていた商品を観察していたアシュレイは一つの品を突き出した。
 瞬間、周囲に明らかなどよめきが野次馬の間に奔る。
 それは、ターヤが以前に呼んだ魔術関係の本と同じ大きさをした絵だった。
「〈饗宴〉!」
 隣でエマが叫ぶのだが、勿論ターヤには解らない。
「しゅんぽしおん?」
 そんな彼女の反応にようやく気付いたらしい青年は、ばつの悪そうな表情で解説し始めてくれる。
「すまない。〈饗宴〉とは、クンストに立つ[アルテス美術館]から数年前に盗み出された有名な絵画の一つだ。後に犯人は捕縛されたものの、絵は見つからず仕舞いだったようだが……」
 説明を聴いたターヤの脳裏に閃くものがあった。
「そんな物があるって事は……」
「ああ。おそらく、あの商人は《違法仲立人》から〈饗宴〉を購入したか、あるいは《違法仲介人》本人なのだろう」
 言葉で肯定しながらも頷いたエマから視線をアシュレイに戻し、ターヤは無意識のうちに胸の前でぎゅっと右手を握り締めていた。橋での出来事が、頭の中をよぎった。
 周囲など気に留めず、アシュレイは男性に視線を固定している。
「これは、どういう事なのかしら?」
「そ、それは贋作だ! その筋の画家から――」
「贋作の売買は第六十三条で禁止されている筈よ? まさか、こっちを知らないとは言わないでしょうね?」
「う……」
 言い訳は即座に制されて、男性は言葉に詰まる。
「それに、貴方の露天商、よく見ると盗品だらけよ。それなら、この子に事情を訊く以前に、貴方を逮捕しなくてはならないんだけど?」
 あくまでも淡々とした声で言うアシュレイの顔からは、いつの間にか皺の数が減っていた。

ページ下部

​シュンポシオン

bottom of page