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八章 《召喚士》‐espri‐(15)

「『火の化身よ、烈火の如く爆ぜる火竜よ、御身が姿を顕現させ、その気高き焔を我に貸し与え給え』――」
 右手で巻物を取り出し、左手でその炎に触れると、少年は早口気味に詠唱を開始する。
 直後、男性の顔色が大きく変貌した。
「その詠唱――!」
「――『我が喚び声に応えよ』!」

​ その齢に不釣り合いなくらい鋭い眼光は、《精霊使い》ただ一人へと向けられていた。

「――〈火精霊〉!」
 瞬間、巻物に周囲を覆われたマンスの頭上に、火を纏った巨大な龍が姿を現す。その足元には赤く大きな魔法陣が浮かび上がっていた。
 だが、皆は少年が呼んだその《精霊》の名の方に信じられないと言いたげな顔になる。
「『サラマンダー』って……!」
「《四精霊》の一角かよ!?」
 四精霊。それは地水火風の四大元素を司る精霊にして、精霊界を統べる《精霊王》あるいは《精霊女王》の側近であり、彼らに次ぐ中精霊の中でも格別な存在である。その別格さは、幾ら〔召喚士一族〕の《召喚士》といえども、その中でも特に才能を持つ者しか契約まで至れないとも言わしめる程だ。
 そのような存在と、このような小さな少年が契約しているという事実は、その場に居る皆にとっては到底信じがたいものであった。
 しかし火龍の姿をした精霊が放つ雰囲気は、明らかに《鋼精霊》や青年が使役する人工精霊とは格差がある。それは《召喚士》ではない一行にも身に染みて理解できる程で。
「嘘だろ……」
 アクセルの呟きは皆の心中を表していた。それは《精霊使い》も例外ではなく、それまでは不動だった表情に変化が起こっていた。
「その子を解放して、おにーちゃん」
 そんな彼を強い怒りと憎しみの籠った眼で睨み付ける現在の少年は、確かに年上ですら圧倒する程の威力を全身から発していた。
「……これは、駄目っすね」
 確信したような声で男性がそう呟けば、謎の人工精霊は瞬く間に吸い込まれるようにして彼の左腕のブレスレットへと吸い込まれていった。そしてそれを待たず、いつの間にか右腕に握られていた筆が何事かを宙に描く。
 瞬間、彼の姿が空気へと解けるように端から薄れだした。
「あ、待て! 話は終わってないよ!」
 マンスは男性を止めようとするが、時既に遅し。彼が手を伸ばした頃には、相手の姿は完全に掻き消えていた。
 空を掴んだ手はそのまま握り締めて、少年は地団太を踏む。
「あぁもう! 逃しちゃうなんて悔しいっ!」
『オベロン様……』
 そんなマンスの足元でモナトが心配そうに名を呼ぶ。
いつの間に顕れていたのだろうか、と目を瞬かせる皆には気付かないようで、少年は白猫を再び優しく抱き上げた。そして、ぎゅっと抱きしめて顔を俯ける。
「うん、大丈夫。次はちゃんと、救うから」
『はい。オベロン様なら、大丈夫です』
 応えるように慰めるように、モナトもまた小さな身体で彼を抱きしめ返そうとくっ付いた。
『貴様は何者だ』
 そこに落とされた声で、反射的に皆の目が動く。
 見れば《鋼精霊》がその眼にマンスとモナトを映していた。
『その猫は……《月精霊》だろう。ならば、貴様も《精霊使い》――』
『違います!』
 勘違いによる激情からマンスを護るべく動こうとした一行だったが、それよりも早く、まるで相手の言葉を妨害するかのようにモナトが叫んでいたのだった。

『オベロン様は……マンスール様は、そんな人達とは違います! モナトのこと、ちゃんと一人の精霊として見てくれるから! だから、あんな酷い人達と、モナトのオベロン様を一緒にしないで!』
 一度に想いのままに叫ぶと、白猫は疲れたのか肩で息をする。その頭を少年が撫でれば、途端にその顔全体が赤く染まった。我に返ったところで自身の発言を頭が理解し、瞬く間に羞恥を襲われたのだろう。
 消極的というか恥ずかしがり屋という印象が強かったモナトだけに、その感情のままに発された言葉を聞いた一行は唖然としてしまっていた。白猫にとってのマンスはそれ程までに大きな存在なのだ、という事も認識し直しつつ。
 一方、《鋼精霊》は何事かを思案しているかのような真剣な表情で、モナトとマンスを見つめていた。そこに先程までの感情に呑まれている様子は窺えない。
「……じゃあ、アシヒー!」
『は?』
 突然かつ脈絡の無い言葉に目を丸くした《鋼精霊》へと、その原因たるマンスは笑顔を向けながら自信たっぷりに言う。
「君の名前だよ、アシヒー! だって、君も人工精霊だって事は『サラマンダー』とか『ウンディーネ』みたいな名前を持ってなくて、《鋼精霊》って呼ばれ方しかないんだよね? だから、アシヒー。古代語で『鋼精霊』って意味なんだけど、どうかな?」
 基本的に精霊の一部から造り出される人工精霊は、それ故に名前を持たない。現存できる精霊の数は最初から決まっているので、彼らは《精霊王》あるいは《精霊女王》から『サラマンダー』や『ウンディーネ』といった名称を与えられるのだ。しかし人工的な存在である人工精霊は精霊の統治者と対面した事も無く、イレギュラーな存在でもある為、個々の名称を持たないのである。更に《火精霊》や《鋼精霊》という呼称はあくまでも精霊としての《職業》名であり、決して名前には成りえない。
 どうかな、と問われても《鋼精霊》はすぐには答えられなかった。
 それは一行も同じ事。攻撃されるかもしれなかった相手に対して笑いかけられるとは、意外とマンスは寛容で度胸を備えているのだろうか。
(ううん。多分、相手が精霊だからなんだ)
 漠然とターヤは思う。精霊の事となると危険を顧みずに行動できるのもの、それだけマンスが精霊を愛しているからに他ならない。モナトの言う通り、彼にとっては人工精霊も精霊も同じなのだ。
 彼を見ていた《鋼精霊》も同じ事を考えていたのか、表情から驚きは消えていた。
『貴様は、本当におかしな奴だ』
 それから、溜め息を吐くかのように言葉を零した。
『《月精霊》があそこまで言うのなら、貴様は悪い人間ではないのだろうな』
「! じゃあ、ぼくと一緒に行こうよ!」
 その言葉で花咲くように表情を明るくしたマンスは《鋼精霊》へと手を差し出した。
『だが、俺は人間が信じられない。貴様のことも今回は見逃してやるが、次に俺の前に現れるようならば、今回のようにはいかないと思え』
 しかし、続けて《鋼精霊》が発した言葉は決して肯定的なものではなく。
 それでもマンスは笑っていた。手は残念そうに降りていったが、顔にいっさいの悲壮さは無かった。
「うん、それで良いよ。ぼくは君に信じてもらえるように頑張るし、君もさっきの子も……人工精霊みんなを救ってみせるから。だから、君はぼくを信じられるようになったら一緒に来てよ」
 断られて尚、強い眼で見つめてくる少年に《鋼精霊》は今度こそ度胆を抜かれたのだった。
 そんな事など露知らぬマンスは、少し遠慮がちになって問う。
「だから、アシヒーって呼んでも良いかな?」
『好きにしろ』
 なぜそこで謙遜するのかが解らない《鋼精霊》だったが、思わず了承してしまう。すぐに正気に戻るが、不思議と前言撤回をしようとは思わなかった。けれど、これ以上絆されては敵わないとして即座に踵を返す。

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サラマンダー

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