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七章 天地の攻防‐revenge‐(6)

「フ~ロくん?」
「フローラン」
「あ、そうだったね。ごめんごめん」
 あははと笑う彼女こそがそれだと知りながらも、しかしその手を振り払えなかった。力の差が歴然であるという事を解っているからなのかもしれないし、はたまた違う理由からなのかもしれない。
 結局は、情けない自分が不甲斐無いだけなのだからだろうが。
「あれ~? エディちゃんが居ないよ?」
「エディが?」
 気が付けば、そこはエディットの私室の前だった。開け放たれた扉とセレステの間から見える景色の中には、見慣れている橙色が確かに見当たらない。
「どこに行ったんだろ?」
 真剣な表情で悩むセレステはさておき、フローランは両目を閉じて精神を集中させる。そして、捜した。
「居た」
「へ?」
 微動だにもせず呟いた青年を、間抜けな声と共に女性は覗き込む。
 そちらは気にも留めず、灰色は橙色を追った。
「近付いてくる」
「え? もしかして、エディちゃん?」
「僕が探知できるのはエディだけ」
 機械仕掛けのように返答するが彼女は気にしたふうも無く、瞳をきらきらと輝かせながら彼を見る。
「うわぉっ! フロくん凄い!」
「だから、その名で――」
 呼ぶな、と言い終える前に。
「……フロ」
 橙色が、眼前に居た。
 ゆっくりと両目を開けば、そこには『彼女』が居る。長い前髪に隠されて全く表情の読めない顔でフローランを――二人を見上げて、相変わらず両手はお気に入りの糸で綾取りをしながら。
 エディット・アズナブールは、そこに居た。
 青年は一時的に全てが止まったような感覚を覚えていたが、すぐに彼女の様子が違う事に気付く。外観は普段通りなのだが、明らかに怒っている。自分と、その腕に引っ付いているセレステに対して。
「……フロ」
 彼女がもう一度名を呼んで、
「エディちゃーんっ!」
「……はぅ!」
 セレステがエディットに飛び付いていた。彼女はそのまま頬擦りを始める。
「エディちゃんエディちゃんエディちゃんエディちゃんエディちゃんっ!」
「……解放っ!」
 我に返ったエディットはじたばたと両手両足を動かして抵抗するのだが、
「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いっ!」
 すりすりすりすり、と相手の反応には気付いていないのか、過剰なまでの愛情表現とでも言うべき頬擦りを一向に止めようとしないセレステ。
 そうなれば彼女は、潤んだ瞳が容易に想像できる顔でフローランを見てくる訳で、
「セレス」
 フローランはエディから彼女をべりっと引き剥がした。
「あぅ」
 猫のように首元を掴まれたセレスが、玩具を取り上げられた駄々っ子のように情けない表情になる。そしてすぐに拘束を解くと抗議せんばかりに剥れた。
「フロくん」

「フローラン」
 淡々と言っても今の彼女にはさして効果が無かった。
 セレスが怖かったらしいエディはフローランを盾に隠れるようにして、しっかりとその腰にくっ付いている。
「せっかくエディちゃんに会えたのに! 鬼っ!」
「僕は鬼だよ? まして、君みたいに『アンティガ派』の人に対しては」
 売り言葉に買い言葉の如く返した、その言葉に。
 ぴくり、と。今の今までフローランが何を言おうとも決して微動だにする事も無かったセレステ・アスロウムの眉が、確かに動いていた。
「へぇ? そこに派閥の問題を持ち出してくるんだ」
 そう言った彼女の顔は、先程までのふざけようからは全く想像もできない程に嗤っていた。
 化けの皮が剥がれたか、とフローランも仕事用の表情に切り替える。
「元々、僕ら『クレッソン派』と君ら『アンティガ派』は相容れないんだよ」
「〔騎士団〕と〔軍〕のように?」
 くすりと嗤うセレステ。それはもう、別人の貌だった。
「その関係とは、また別かな?」
「そう。でも、これだけは覚えておいてね?」
 セレステは寂しそうに笑って。
「確かにあたしは『アンティガ派』よ。でもね、だからって全てを派閥で決められるほど割りきれた人間じゃないの。同じ派閥の中にだって嫌いな奴は居る」
 そこで急に、彼女は嫌悪感も剥き出しに眉を顰めた。どうせ、オッフェンバックの奴でも思い出していたのだろう。
 奴は例外だ。クレッソン派からもアンティガ派からも、同じように、ひどく平等に嫌われている。
「それと同じように、相手の派閥にも好きな人は居るのよ。例えば、あなた達、フローランとエディット。あと、ブレーズの奴も結構好きよ。まぁ、無駄に熱苦しいんだけどね」
 最後だけ遠い目をした彼女を見て、何だか笑いが込み上げてきた。
「確かにそうだね。ブレーズは良い奴だし強いし頼りになるんだけど、偶にウザイよ」
 そう言えばセレステは頷き、柔らかに笑む。
「団長のことだって嫌いな訳じゃない。ただ、副団長の思想に団長よりも共感できるものがあっただけ」
 そこで一旦、言葉を切って。彼女は二人をしっかりと見据えてきた。
「だから、あたしは君達のことは好きだよ? 君達が、あたしをどう思っていようともね」
「参ったな。降参だよ」
 フローランは軽く両手を挙げて芝居がかった降参のポーズを取り、エディットは相変わらずではあるけれど何も言わなかった。
 視界の先で、セレステが笑ったのが見えた。
「とは言っても、ちょっと誇張しすぎたかな? とにかく、あたしが言いたいのは『あたしは君達の敵じゃなくて、寧ろ味方っぽいんだよ』ってこと」
「十分承知してるよ」
「……許容」
「は~、やっぱエディちゃんは可愛いなぁ」
 うっとりとした瞳を向けて来るセレステに先刻の事態を連想したようで、再度エディはフローランの後ろに隠れた。
 事の張本人は「あ~」と至極残念そうだったが、すぐに表情を変える。
「そういえば、それで思い出したんだけど、ブレーズの奴知らない?」
「何か用でもあるのか?」
「えぇ。ブレーズが乗ってる龍の鞍、解る? あれ、結構古いみたいだから調整しようと思ってたんだけど、どうにも肝心の本人が見当たらないのよね」
 困ったような顔をするセレステと同様に、エディットもきょとんと首を傾げていた。

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