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七章 天地の攻防‐revenge‐(3)

 強い憎悪を向けられながらも、彼女がそのような感情を抱く理由が理解できなかった。
(二人は知り合いみたいだけど、いったいどういう関係なの?)
 ターヤの思考が巡る中、僅かに少女の口元が皮肉げに吊り上げられる。
「そろそろ、私は御暇した方が良さそうですね」
 元通りの顔になると、少女は歩き出した。先刻の憂いの陰など垣間見せる事も無い、まさに完璧なまでの笑顔で。歩いて、歩いて、スラヴィの横を通りすぎて――そして、ターヤとアクセルの前で立ち止まった。
「アクセル・トリフォノフさん」
「な、何だよ」
 フルネームで畏まって呼ばれ、青年は思わず戸惑う。
「先程の御話を掘り返すようで申し訳ないのですが、ラセターさんの仰る通り、貴方のその剣に銘を授けてはいかがでしょうか?」
「俺の剣に、銘を?」
 益々困惑する青年に対し、はい、と少女は頷く。
「熟練した職人が創られた武器に『銘』を授けるという事は、すなわち魂を持たぬ虚構でしかない武器に生命を吹き込むという事に値します」
「せい、めい?」
 ええそうです、ともう一度。
「一定値を超えた腕を持つ《職人》が製作した武器に所有者が『銘』を授けた時、その武器は『誕生』――いいえ、所有者にしか使用できない武器として『覚醒』します。その力と貴方自身の御力を併せて振るえば、先程の闇魔の大群など相手にもならなかったでしょう」
 その突拍子も無い話の内容にアクセルは戸惑い、反射的に名高き《鍛冶場の名工》であるスラヴィへと視線を寄越していた。
 視線を受けて、鍛冶屋は所有者へと答える。
「『その通りです』――とある少年の言葉」
「……まじか?」
 まだ信じられないと言った顔で、アクセルはまじまじとスラヴィを見た。
「『間違い無く』――とある男性の言葉」
 けれども再度しっかりと大きく武具職人の最高峰に頷かれてしまっては、流石にアクセルも信じる他に無かった。
「だから、スラヴィはさっき決めろ決めろって煩かったのかよ。けど、いきなり言われたって思い付く訳――」
「龍殺し」
 唐突に、ぽつりと紡がれた声。
「ターヤ?」
 それに反応して振り返ったアクセルは、呟いた本人である筈の彼女がきょとんとした不思議そうな顔で自分自身を見下ろしている事に、少なからず違和感を覚えた。
「……あれ? わたし、今何か言った……?」
 ターヤは自身の喉に手を当てながら、まるで夢から覚めたばかりのように焦点の定まらない表情で言う。
「ターヤ、おま――」
「『今何と?』――とある女性の言葉」
 不審げなアクセルの言葉を遮って、スラヴィは身を乗り出すようにターヤに問いかける。彼にしてみれば、彼女に起こった異変よりも、自身が製作した武器の『銘』の方が重要なのであった。やはり、そこは職人気質と言う名の性所以か。
 少女は「へ?」と間抜けな声を出してから、
「え、えっと、確か、『ずぃぞーん』って言ったような……」
 例えるならば、自分自身ではない他の人物が発言したかのように他人事として言う。そしてまた、確かめるように再度呟いた。
「〈龍殺し〉?」

 その瞬間。
「「!」」
 突如として握っていた大剣が目映いばかりの光を放出し始め、アクセルは目を見張った。
 周囲では、ターヤもまた驚きを顕にしている。
 スラヴィだけは相変わらずの無表情だったが。
「何だよ、これ……」
 その呟きに答えたのは、スラヴィだった。
「『武器の誕生です』――とある少年の言葉」
「武器の、誕生?」
 思わず彼は聞き返していた。
「そう」
 しかし、答えたのはターヤだった。
「これで大剣〈龍殺し〉は、あなたの願いにのみ真の能力を発揮する武器となった」
 何を考えているのか解らない瞳で、光の点っていない暗く濁った瞳で、人間らしくない無機的な瞳で、彼女は録音された音声を再生するかのように異なる口調で語っていた。それは研究所跡と、ここでの落下時に現れた『彼女』そのもので。
 スラヴィは何も言わない。補足も、訂正もしない。それは暗に、正論だという事実を明るみに肯定していた。
「じゃあ、俺の剣は……」
「〈龍殺し〉。それは、貴方が《龍殺しの英雄》たる証」
 その言葉に、時が止まった気がした。
 もう武器の銘に関する話にも、少女の身に起こった異変にも、品定めするかのような少年の視線にも、強張った表情を浮かべる少女にも、彼の意識は向いていなかった。
「俺が、《龍殺しの英雄》……?」
 彼は、自分が得てしまった異名に慄き恥じて悔いながら、それでも今だけは酔っていたのだから。
「……あれ? わたし、また……?」
 飛んでいた意識を少しずつ取り戻しながら、ターヤは上手く機能してくれない寝惚けた状態の頭に手を当てた。
 彼女の様子を沈痛の思いで見ている人物に、気付く事など無く。
「《龍殺しの英雄》アクセル・バンヴェニストさん」
 少女による再度の呼びかけは、しかし微かな違和感を覚えるものだった。
「何だよ?」
 今度は彼が先程とは違って多少の驚愕は残っていたものの、彼女よりは数段も落ち着き払っていた。
 自覚しながらも少女は忠告する。
「貴方がここの《守護龍》を、彼を殺害した事により、危ない均衡の元に保たれていた楔が抜け落ちました。どうか、御気を付けて」
 訳が解らずに眉を潜める青年から視線を外し、今度はターヤに目を向ける。
「ターヤさん」
「えっと、何?」
 少女に何を言われるのかは解らなかった。けれど、スラヴィとアクセルの時のように理解には至りにくい隠語を用いて、自分の――『ターヤ』にとっての重要な事柄に触れるのだろう事だけは、安易に予測できた。
「貴女は、自分が何者であるか知る事を望まれますか?」
 若干とは異なっていたものの、相手の発言は予想の範疇だった。だからこそ、頷く。
「うん。わたしは、自分のことが知りたい。あなたは、わたしのことを知ってるの?」
 続けて、今さっき生じた疑問をそのまま口にした。少女の言葉は、まるでターヤについて何かしら知っているかのように聞こえたからだ。

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ズィゾーン

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