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七章 天地の攻防‐revenge‐(15)

「まさか、この僕が言葉で負けるなんて、ね」
 はは、と相手が渇いた自嘲的な笑みを浮かべた理由が理解できなかったようで、少女が途端に慌て出す。先程までの威勢もどこへやらな彼女に彼が苦笑すれば、小動物の如き動きは更に加速した。
「え? え?」
「とりあえず落ち着きなよ」
 くすくすと笑えば、自分の滑稽さに気付いた少女は真っ赤になって停止し、縮こまった。ただし、指輪を乗せた手だけは少しも動かさないようにしながら。
「これ、持っていてくれたんだよね。ありがとう」
 ついつい本音が出てしまった。それに気付きながらも何とも感じず、指輪を拾い上げる。
 それを見たターヤが酷く安堵した表情を見せた。持ち主に返せて良かった、とその顔が隠す事無く物語っている。随分なお人好しだと内心で笑いが込み上げてきた。
「指輪を拾ってくれたお礼に、良い事を教えてあげるよ」
 だから、今だけはフローランも『お人好し』になってやるのだ。
「さっき、エディットに会いたいって言ってたよね?」
 図星を突かれたような顔になった相手を見て、確実性を感じた。それならば簡単な事だ。
「そんなに会いたいのなら、〔騎士団〕の本部まで会いに来ると良いよ」
 思いがけぬ言葉に、ターヤは両目を瞬かせた。目が点になる。
「え……?」
「僕ら〔月夜騎士団〕の本部が[首都ハウプトシュタット]にあるのは知ってるよね?」
 事態の展開についていけない彼女には合わせず、あくまでもフローランは自分の好きなように振る舞っていた。
「そこには本来ならギルドメンバーしか入れないんだけど、一部の人しか知らない秘密の抜け道があるんだ。裏に回ると一箇所だけ回転する壁があるから、暇があるなら探してみたらどうかな? しばらくは僕もエディも出かける用事は無いから、運が良ければ会えると思うよ」
 驚愕に目を見開いた彼女のリアクションに満足しながら、彼は更に続ける。
「けど、それだけで中を歩き回るのは無理があるから、見つかった時にはこれを見せると良いよ」
 一方的にそう言って、フローランは未だ表情の直せない少女の腕にポケットから取り出した何かを握らせる。それから踵を返し、
「またね、治療士」
 人の良さそうな笑みを浮かべて歩き去っていった。
 残された少女はその背中が見えなくなるまで一人立ち尽くしていたが、はっとなって渡された物を見るべく手を開く。そこに入っていたのは、手のひらサイズのカードだった。
「カード?」
 何が書かれているのか気になったのだが、現在の時刻は深夜であり、月明かりに透かしたところで見える筈も無いという事実に気付いて止めた。その代わり、まじまじと細部まで見つめてみる。
 ターヤがフローランから貰ったカードはどうやら〔月夜騎士団〕の一員である事を示す身分証明書のような物で、別に彼の物という訳でもなさそうだった。
「でも、これがあれば、エディットに会えるって事だよね」
「――『なーにしってるーの?』――とあ」
「わっ……!?」
 突如として耳元で紡がれた声に、思わずターヤは今度こそ飛び退っていた。
「ス、スラヴィ?」
 そこに居たのは、スラヴィ・ラセターその人だった。彼は相変わらずの無表情である。
 彼が先程の一部始終を見ていなかった事を内心で望みながら、ターヤは口を開く。
「スラヴィも、寝れなかったの?」
「『そうなんだよー』――とある少女の言葉」
 どうやら聞かれてはいなかったようだ。それなら良かったと内心で安堵しかけて、
 続けて発された言葉は、ターヤを凍らせた。
「『やっべ、密会現場見ちまった』――とある男性の言葉」
 ぎくり、と肩が揺れた。前言撤回。完全に見られていたようだ。

「見てたの?」
 間を置かずに頷いた彼に、ターヤは危機感を感じた。慌ててスラヴィに詰め寄ると、小声で懇願する。
「お願い! この事は誰にも言わないで!」
「『どうして? どうしてどうして?』――とある少年の言葉」
「それは……その、どうしても」
 語尾は消え入るようにして掠れていってしまう。ターヤは指輪を持ち主に返した礼を本人から貰っただけで、アシュレイには見咎められるだろうが、別に実際それ程やましい事をしていた訳でもない。それだというのに、なぜか皆に告げることを躊躇ってしまう自分自身が居た。
 スラヴィはしばらく無言で棒立ちしていたが、仕方ないと言わんばかりに頷いた。
「『分かったわよ。でも、今回だけだからね!』――とある少女の言葉」
 途端にターヤの顔が明るくなる。
「ありがとう、スラヴィ!」
 ぺこりと頭を下げてから、ターヤはそろそろ布団に戻ろうと思った。
「じゃあ、わたしは寝るね。おやすみ、スラヴィ」
「『おやすみっ!』――とある少年の言葉」
 宿屋へと戻っていく少女の後ろ姿をしばらくの間は見送っていた少年だが、唐突に顔を満天の星空へと向けた。
「……せ、……い……」
 唇から零れ落ちたのは、彼ではなく彼自身の声で、口調で。
「……か、……のす……、……よ……は……!」
 少年は、持てる力の全てを振り絞った。


 翌日、イーライ達宿屋一家と見送りに来てくれた村人達に別れを告げて、一行はとりあえず最も近い街[休憩地点フェーリエン]を目指していた。
 当初、目的であった《鍛冶場の名工》との邂逅もアクセルの武器の修理も完了した為、一行は次に向かうべき場所を模索していたのだが、首都ハウプトシュタットに行く事に決まったのである。言いだしっぺであるターヤは断られるのを覚悟しての発言だったのだが、エマはあっさりと受け入れ、アシュレイも渋りつつも一度〔軍〕に寄った方が良いかもしれないと賛成した。ただ一人、アクセルはでかでかと難色を示しはしたものの、最終的には渋々と頷いていた。
 ちなみに、彼らにはスラヴィも同行していた。目的の〈星水晶〉を入手した彼は芸術の都クンストに帰るそうで、首都とは方向が一緒なので途中まで同道したいと本人から申し出てきたのだ。
 かくして、五人になった一行は道中を行く。
 アクセルは普段通りに振る舞っていたが、内心では昨日の件を引きずっているのだろう。時おり、どこか遠くに視線を向けていた。
 いつもよりは会話も少なく、あまり時間もかからずに一行は休憩地点フェーリエンに到着した。ここがトランキロラからさほど離れていない事もあるのだろうが。
「ここが中継地点フェーリエンか。来るのは初めてだな」
 そうしてようやく足を踏み入れたその場所は、幾つかの建物が疎らに建っているだけで、あとは出店のように商人が各々の露店を開いているだけだった。やはり、町と呼ぶには建造物が少ない。
 だが、旅の必需品を入手、補充するには最適の場所と言えるだろう。そこは、流石に『中継地点』と言ったところか。
 フェーリエンを訪れるのは実のところ初めてだったエマは、見慣れない景色に目を動かす。
「わぁ」
 耳に届いた小さな声に振り向けば、ターヤもまた珍しそうに周囲をきょろきょろと見回していた。彼女もまた、この町は初めてなのかもしれないのだ。
 ここ休憩地点フェーリエンは、その名の通り《旅人》や《商人》などが休憩地として利用する事を想定して造られた、簡易的な町である。主に、大陸の東側ルートで首都ハウプトシュタットに行く為の中継地とされる事が多い。

 大陸の端の方に位置しているので地理的に見れば不便だが、[アンチョーの林]を抜けて橋を渡って街道に出るルートや、[ラ・モール湿原]を通るルートを使う場合には、ここは非常にありがたい位置なのである。
「露店がいっぱいあるんだね」
「ここはそういう場所なのよ。何なら、歩きがてらにでも覗いてみたら?」
 アシュレイも随分とターヤに馴染んできたものだ、と少女二人が話す光景をエマは微笑ましく見つめる。少しばかり娘に嫁に行かれた父親のような心境に陥るが、すぐに振り払えた。眉間を人差し指と親指で摘み、自身を戒める。
(全く、私はいつの間にアシュレイの父親気取りをしていたんだ)
 密かに溜め息を零した、その時だった。
「――てめぇのせいだぞ!」
 突如として、どこからともなく怒号が飛んできたのは。

  2010.10.02
  2013.03.29改訂
  2018.03.10加筆修正

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