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七章 天地の攻防‐revenge‐(14)

 イーライとオーソンの恩人だから、と無賃で二部屋を貸してもらえた一行ではあったが、皆もまたどこか心の奥では素直には喜べていないようだった。やはり昼間の一件を、特にアクセルは引きずっているのだろう。
 そして彼らとは別に、ターヤは銀髪の少女の台詞を思い出す。

『もし、貴女が自身について知りたいと思われるのでしたら、エディット・アズナブールさんを訪ねてください』

(彼女は、エディットに会えばわたしの知りたいことが解るかもしれない、って言ってた)
 あの時、彼女は確かにそのようなことを言っていたのだ。それは個人的には非常に魅力的且つ興味を惹かれる内容で、けれどもその条件は実に難易度の高いものであった。
 エディット・アズナブール。二大ギルドが片翼〔月夜騎士団〕が抱える天才暗殺者。その幼く可愛らしい容姿からは推測できない程の戦闘能力を持ち、特殊な糸で硬質の物体さえも切り刻んでしまう、通称《殺戮兵器》。
(もし、本当に何か解るのなら、会いに行きたいけど……)
 だが、自分は既にアシュレイの――彼らと敵対する〔軍〕の一員の仲間だと認識されている事だろう。ならば、幾ら彼女を連れずに会いに行ったところで、問答無用で武器を向けられるとしか思えない。それに、どのようすれば会えるのか、という疑問も残る。まさか部外者がギルド内にすんなり入れてもらえるとは思えない上、そもそも行ったところでエディットが不在ではないとも限らないのだ。
 視界は実に優美で壮大なものであったが、思考の内容が彼女の中に影を落としていく。
「きっと、エディットには会えないよね」
「そうだね」
「うん、そうな……」
 の、という前に、思考が停止した。
「……へ?」
 思わぬ賛同に、嫌な予感を覚えてゆっくりと隣を向けば、
「こんばんは」
 そこには、遠目では人が良さそうにしか見えない笑みを浮かべた〔月夜騎士団〕のフローラン・ヴェルヌが居た。
 何度目を瞬かせてみても幽霊でも偽物でもなく、少女の顔が固まる。
「あ、あ――」
「静かに」
 反射的に叫びかけて、しかし口元を手で押さえられて終わった。
「別に、危害を加えに来た訳じゃないから。ね?」
 それは先刻までと同じ笑みだった。けれど、明らかに違う。恐喝の意味合いを込めた嗤いだ。
 途端に背筋を這い上がってきた恐怖から、彼女はこくこくと何度も頷く。
「それで良いんだよ」
 柔らかな笑顔に戻り、彼は少女を解放した。
 その直後、彼女は後方にニ、三歩程素早く後退する。そして、胸のブローチをぎゅっと両手を握り締めて、前方に悠然と立つ相手を、天敵とも言える人物を精一杯の虚勢を張りながら睨み付けた。
 フローランはそれを意にも介さない。寧ろ、更に薄い笑みを浮かべただけだ。
「先程も言ったけど、別に君達を殺しに来た訳じゃないから。それに、今回僕が用があるのは君だけなんだ」
「え?」
 彼の発言には、目が点になった。
「えっ、と?」
 何を言えば言いのか分からなくなって、何となく首を傾げてみた。
 そうすれば彼は、面白いと言わんばかり笑う。

 何だか小馬鹿にされている気がして自動的に頬が膨らめば、更に笑われた。
「君は本当に面白いね、治療士」
 何だか憮然としない。
「それで、わたしに何の用?」
「ようやく本題に入れたね」
 拗ねるターヤへと返された言葉は、暗に彼女のせいですぐに用件を口にできなかったと言っており。それが益々、彼女の機嫌を低下させた。
「僕は今、ある物を探してるんだ」
 そんな彼女は気にせず、フローランはあくまでもマイペースだ。
「ロヴィン遺跡で落としちゃった、このくらいのサイズの指輪なんだよ――僕的には何よりも大切な、ね」
 手振りで表したそれを見た少女の顔が思い当たる節があるといった反応を示したのを、彼は見逃さなかった。脳内で予想は確信へと変わり、薄笑いを浮かべて歩み寄っていく。
 その含みを持った笑顔に、反射的に彼女は後ずってしまう。彼のこの笑顔は危険だと、経験と本能が告げていたのだ。
 だが、フローランはほぼ一瞬で最初から殆ど無かった間合いを詰めていた。逃がさないように相手の肩を掴み、鋭い視線を落とす。
「それがどこにあるのか、君は知らないかな?」
「もしかして、これの事?」
 躊躇うかと思われた少女はしかし、スカートのポケットに手を入れると丸まった布を取り出し、それを開いて中に収まっていた指輪を見せてきた。
 これにはフローランの方が唖然とする。まさか、これ程あっさりと話が進むとは思っていなかった。
「そっか……これ、フローランのだったんだね」
 そんな彼には気付かず、ターヤは一人で納得したように頷いていた。思わず拾ってしまった上、その事をすっかりと忘れて今日まで持っていたのだが、持ち主が自ら取りに来てくれるとは思っていなかったのだ。しかもそれがフローランだというのだから、更に驚きも深まるというものである。
「どうして」
「?」
 呟かれた言葉を聞き取れずにターヤが不思議そうな顔をすれば、フローランが信じられないとでも言いたげな顔をしていた。
「どうして、躊躇せずにそれを出したんだ」
「どうして、って……」
「どうして、敵である筈の僕に対して普通に接せられる?」
 しかし元から答えなど欲していないかのようで、フローランは表情を変えずに二言めを口にする。
 ターヤは黙ってそれを聴いていたが、自分でも解らないので答えようが無かった。
「どうして、なんだろうね?」
「自分でも解らないのか?」
 苛ついたのかフローランは叱責するような荒い口調になる。
 それに気付いていないらしく、ターヤは口を閉じようとはしなかった。
「解らない……けど、敵だから何だとか味方だから何だとか、わたしにはよく解らないの」
 顔を上げて、
「これがフローランにとって大切な物なら、ちゃんと返したいし」
 救い上げるような形を取った両方の掌を合わせて、眼前に立つ長身の少年に合わせた位置まで持ち上げる。そして、差し出すような姿勢で彼を見上げながら笑う。
「だから、はい」
「……!」
 その姿にフローランが動揺した事にターヤは少しも気付かず、微笑んでいた。

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