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七章 天地の攻防‐revenge‐(13)

「せめて、安息の辺で眠れ……なんて、ねぇ?」
 そう言って嗤った少女の顔が、今でも頭から離れない。
「さぁて、どのくらい素敵に焼けたのかしらぁ?」
 うふふふふ、と唐突に少女が嗤う。目を向けて、しかしすぐに眉を顰めた。
 彼女らの眼前、炎の檻によって完膚なきまでに焼き尽くされた筈の場所には、龍と龍騎士の姿が健在だった。彼らの全身には軽い火傷すら見当たらず、意識不明や疲労困憊といった様子にも見えない。
 皆が安堵の様子を見せる中、少女だけは不満顔を隠さなかった。
「どういう事なのかしら?」
 まるで自分自身に問いかけるかのように身体を見下ろして、そして溜め息を零す。
「ひどい子。私はこんなに貴方を心配してるのに」
 響が冷めたと言わんばかりに少女が笑みを浮かべなくなった刹那、その足元から大量の炎が吹き上げ、先刻の魔術と同様の光景を作り上げる。
 反射的にターヤを庇ったエマだが、それは彼女らでなく術者たる少女を包み込んでいた。
 そして熱源が消え去った時、そこにもう誰も居なかった。
「嘘……」
 ターヤが唖然として目を瞬かせる。
 皆もまた、何が何だか解らず、胸中に大きな混乱だけを残していた。
 あれ程の攻撃魔術を受けて尚、対象に傷一つ無いという事は、彼らがそれに相当する防御魔術に護られたという事になる。
 だが、ターヤは少女に比べればまだまだ非力だった。
 ならば、少女自身がブレーズと龍を業火から護ったという事になるだろう。この場であれ程の攻撃魔術を相殺できる力を持つ者は、少女以外には居なかったのだから。
 しかし少女は二人を焼き殺そうとした時、心の底から楽しげに嗤っているように見えた。あれは、目にした誰もが寒気を感じてしまうくらい狂気に塗れたような笑顔だった。
 ならばなぜ、その殺そうとしていた相手をわざわざ護ったのか。ターヤには解らない。
(でも、あの時の彼女は、採掘所で会った時ともブレーズから助けてくれた時とも、まるで別人みたいだった)
「そうか、あれが『レガリア』の――」
 そんな中、ブレーズが何事かを呟く。彼はそのままゆっくりと立ち上がると、相棒たる龍へと声をかけた。
 クラウディアは一鳴きすると、彼を乗せて再び上昇する。
 思わず身構えた一行だったが、相手は今のところそれ以上交戦する気は無いようだった。
「次は、必ず殺す。それまではその命、預けておいてやる」
 未だ座り込んだままのアクセルを睨み付けると、竜騎士と龍は空の彼方へと去っていった。
 一先ず平穏を得た事への安堵からか、理解できない事実についてはひとまず置いておき、ターヤは思わずその場に座り込んだ。
 それは皆も同様で、スラヴィは〈結界〉を解いて、未だしがみ付いているイーライの頭を撫でている。アクセルは複雑そうな表情のまま息を一つ吐いてから、アシュレイの肩を揺らしにかかっていた。
 その中で、エマはただ一人、竜騎士が去った方向を見上げ続けていた。
「……ブレーズ」


『なぜ、あのような事をしたのですか』
 淡い淡い水底で、彼女は咎めるようにして呟いた。
 腰まで届く銀色の長髪を流れのままに漂わせて、踝まで届くスカートを傘のように広げながら腰を下ろして。彼女と同じ、だけど明らかな非難に染められた顔で。
 銀髪の少女は問うていた。
『なぜって、それは気に入らなかったからよ』
 その問に、周囲を炎に取り巻かれた少女は嗤った。
 腰まで届く火色の長髪を流れのままに漂わせて、踝まで届くスカートを後方へと靡かせながら宙に浮かんで。彼女と同じ、だけど明らかな狂気に染められた顔で。
 火色の少女は嗤っていた。

『ディフリングさんが、ですか?』
『えぇ』
 何の迷いも無く、赤髪の少女は頷いた。
 聴いた銀髪の少女の瞳が、細められる。
『だって、あの龍騎士は貴女のことを「レガリア」と呼んだのよ? 幾ら何でも失礼じゃないかしら。私の――』
『だからと言って、あれはやりすぎです。貴女は、罪無き人を殺める御つもりですか?』
 遮るようにして言葉を紡いだ銀髪の少女に、赤髪の少女は一瞬だけ表情を無くして嘲笑う。
『よく言うわね。貴女だって、私と同じ「ひとごろし」のくせに』
 ぴくり、と銀髪の少女の眉根が動いた。
 それを見て、赤髪の少女は嗤う、嗤う。
『うふふふふ……素敵、素敵よ、私の愛しい愛しい器』

 眠れない、とベッドの中でターヤは、何度目かになる呟きを内心で零した。
(ちょっと、外の空気でも吸ってこようかな)
 このままでは朝まで意識を保ったままかもしれないと思い、隣で寝ているアシュレイを起こさぬよう、音を立てないように気を付けながら布団から這い出る。ベッド下の横側に置いてあるブーツに両足を入れ、足音に注意しながら部屋を出ていく。きぃ、と掠れる程度に音が鳴って、扉は彼女を外へと招き入れた。
「風……」
 どうやら家の主人が窓を閉めるのを忘れたらしく、一階から少女が立つ二階の吹き抜けまでは風の通り道が形成されていた。
(閉めなくても、良いかな)
 少々自分勝手だとは思ったが、寒いとは感じない上、この心地良さを消してしまうのは気が引けたのだ。
 そのまま階段を下って居間に降り立つと、庭に続く扉サイズの大窓がぽっかりと口を開けていた。苦笑を交えながらその光景を一瞥して、立ち止まらずに玄関へと向かう。
 扉を押し開けた先は、満天の星空だった。
「きれい」
 思わず声が零れ落ちる程に、視界の中に広がる景色は美しかった。雲一つ無い夜空には至る所に静かな光を放つ星達が存在し、ただでさえ美しい蒼穹を彩って更に優美なものへと変貌させている。
 ここまで綺麗な星空を見た覚えの無い記憶喪失の少女は、胸の奥から湧き上がってくる感動に身を震わせる。
 けれど、そこで昼間の事を思い出してしまった。
(アクセル……)
 振り向いた背後には、今し方少女が出てきた二階建てで大き目の一軒家が建っていた。ここがイーライ少年の実家にして、ターヤを除いた三人が当初部屋を取ろうとしていたトランキロラ唯一の宿屋である。
 あの後、微妙な空気のままイーライを連れてトランキロラに戻った一行は、ほぼ全員と言っても過言ではなさそうな大勢の村人達に出迎えられた。感謝感激雨あられ、とばかりに息を吐く暇も無く礼を述べられ、あれよあれよという間に宿屋に連れていかれ、丁重なもてなしを受けたのであった。
 心のどこかで『ルツィーナ』の事がずっと気になっていたターヤは、その名を口にした名も知らぬ女性に話を聞こうと、村人達に取り囲まれながらも必死になって彼女の姿を捜したのだが、見付けた彼女は知らぬ男性と一緒だった。二人の間に流れる空気に入り込んではいけないものを感じた彼女は、その後もずっと接待されていた事もあってか、結局、話を訊く事を諦めたのである。
 無論、楽しみにしていた温泉にも入れたのだが、思考は『ルツィーナ』と昼間の事で埋め尽くされていた為、温泉を堪能する精神的余裕は無かった。

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