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七章 天地の攻防‐revenge‐(12)

 エマの足は、アクセルから二歩程離れた場所で止まった。武器を振り下ろせば、ちょうど脳天を貫ける位置で。槍を握り締めたまま、エマは固まる。異様なまでに手が震えているのが感じ取れた。掌は既に感覚を持っておらず、まるで冷風に長時間当てていたようだった。
 耳元で、殺せ、と古き悪魔が囁いた。
「……っ」
 彼は唇を噛み締める。あまりに強い力を込めすぎたせいか、唇の皮が切れて血が顔を覗かせた。
(どうして)
 そして、その光景をただ見ていることしかできないターヤは心中で叫ぶ。
 アクセルだって好きで《守護龍》を手にかけた訳ではないのに、結果的には彼を救ったのだというのに、どうして彼ばかりが責められなければならないのか。どうして彼ばかりが損な役回りをしないといけないのか。
 どうして、彼に協力した共犯者である筈の自分は罪を背負わずにいられるのか。
「どうして……!」
 けれど彼女の声に応える者は居ない。
 なかなか実行に移ろうとしないエマに痺れを切らしたのか、ブレーズは身体を前面へと乗り出して、
「うふふふふ」
 唐突に、少女の笑い声を聞いた。
 その場違いでしかない様子に、彼女へと皆の視線が集中する。相変わらず右腕は龍の口の中だったが、俯けられた顔で唯一見える口元は、弧を描いていた。
「何が可笑しい」
「可笑しい? 可笑しいか、ですって?」
 どこかおかしい様子の少女が、訝しげな表情を向けたブレーズを見上げる。その表情は明らかに、先程までの『彼女』と同一人物とは思えないものだった。
「勿論、この茶番劇の滑稽さが、ねぇ?」
 そこにあったのは、嗤い。嘲りとは同じようで非なる、最高級の侮辱と蔑視と愚弄。
 ブレーズが自身の決意を嗤われた事に対し、激しい憤りを見せた。
「貴様……!」
「貴方、暑苦しいのねぇ。暑苦しすぎて、汗がかけそうだわぁ」
 あぁ暑い暑い、と少女は芝居がかった左手で自身を扇ぐ真似をする。
 それが更にブレーズの沸点を上昇させていくのだが、少女はそんな事などお構いなしだ。
「人質が勝手な真似をするな!」
 その言葉で再び緊張が戻ってくる。彼の言う通り少女の命は龍騎士の手に握られているのであり、その彼女が何をしようと無駄でしかない訳だ。
 けれども、少女は嗤う事を止めなかった。
「人質? この私が?」
 馬鹿じゃないの、とでも言いたげな顔だった。少女にはどこまでも余裕しかない。
「妙な動きを見せれば、クラウディアが貴様の右手を噛み千切る。動かない方が身の為だ」
 それをあくまでも虚勢だと認識して冷めた表情でブレーズは告げるが、少女が浮かべる笑みは益々深みを増していくだけだ。
「他の〔騎士団〕構成員にならともかくとして、貴方だけには無理よ」
「俺様も〔騎士団〕の一員だ。甘く見てもらっては困る」
 即座に否定するブレーズの言葉に少女は数秒だけ思案するような表情を見せてから、唐突に問うてきた。
「そこまで言うのなら、試してみる?」
「は――?」
 唐突な問に龍騎士が応え終えるのを待たず、

「ほぉらっ」
 少女は子供の如き無邪気な表情で、刃に隣接しているに等しい状態の右腕を、躊躇う事無くそちら側へと向かって動かしていた。そうすればその腕がどうなるのか、理解していながら。
「なっ――!」
「――っ!」
 幾つもの声にならない悲鳴や絶叫が上がる中、何かが裂ける音が周囲に響き渡る。
 反射的に両目を閉じていたターヤは、しかし、その音が明らかに腕を千切ったようなものではない事に気付く。不審に思い、恐る恐る目を開けて、
「……え?」
 眼前の光景に、しばらくの間唖然としてしまった。
「だから、貴方には無理なのよ」
「……!」
 龍に噛まれていた筈の少女の右腕には重傷もどころか掠り傷さえも無く、寧ろ衣服が破けている事だけが少々目に付く程度だ。龍の口の中からも出ている。
 対して、ブレーズは悔しそうに唇を噛み締めていた。
(どういう事? 何が、起こったの?)
 訳の解らないターヤの疑問など知らず、無事な右腕を宙へと持ち上げながら、少女は嗤う。
「先程も言ったでしょう? 貴方だけには無理だって。ほぉら、私の言った通り、貴方って本当に心の底から優しい人――だからこそ、自分の手を汚せないからこそ〔騎士団〕の中では一番弱いのよ」
「くっ……!」
 的確な少女の嘲りに、ブレーズは今度こそ隠す事無く拳を握り締めた。
 そんな龍騎士の様子から彼の感情を読み取ったのか、相棒たる龍が不安そうに一声鳴く。
 二人の様子を眺めながら、嗤い続ける少女。破けた個所を優しく触りながら、何事も無かったかのように続ける。
「どうせ私は『レガリア』なんだし、腕の一本や二本くらい、失ったところですぐに再生できるのよ? そう《団長》さんから聞いてないのかしら?」
 その予想もしていなかった言葉に蒼ざめる前に、唐突に少女の表情が一変した。
「けれど、私の大事な大事なこの子の身体を傷付けようとした償いは、してもらわなくちゃ。ねぇ?」
 瞬間、少女の全身が炎に覆われたかと思いきや、ブレーズとクラウディアの足元には二人がすっぽりと収まる大きさの、毒々しいまでに赤い魔法陣が浮かび上がっていた。
 その、それまでとは違う静かな嗤いに、見た者全員が悪寒を覚えるよりも早かった。
 最早、これは互いが力を発揮し競い死合う『戦闘』などではない。あくまでもこれは――明らかに一方的なまでの『蹂躙』だ。
 青年の顔が歪む。
「『レガリア』ッ……!」
 悔しげな彼に返されたのは、無慈悲な宣告。
「〈地獄の業火〉」
 瞬間、果てまでも赤い灼熱の炎が魔法陣の中に居るもの全てを包み込んで、舞い踊る。
 不死鳥の終焉のようにも見える華麗且つ美麗なまでのそれは、しかしまさしく、その名の通りである地獄の業火。
「っ……!」
 その光景に、ターヤは思わず口元を押さえた。顔から高速で血の気が引いていく。
 隣では動く事すらままならない様子で、エマもまた呆然とした表情をしていた。
 それは〈結界〉の中で護られている筈の面々も同じ事で、スラヴィはイーライが直視しないように彼の顔を自身の胸部に押し付けていた。アクセルは耐えられないとでも言うかのように、顔ごと視線を逸らしている。
 唐突に、炎が掻き消えた。
 舞い散る火の粉の中心に立つ火焔を纏った少女は、この世の者ではないかのような秀麗さを伴いながら嗤っている。
 だが、今のターヤにとってはそれも畏怖の対象でしかなかった。

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ヘルファイヤ

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