The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
七章 天地の攻防‐revenge‐(1)
ぴたり、と。
一歩一歩を適当な間隔で進めていた足が、何の前触れも無く唐突に停止した。
その原因は、急に感じ始めた胸がずきずきと痛むような感覚。すぐに気のせいだろうと、大した事も無いかと放っておこうとした矢先、いきなりその少々不愉快な違和感が激しく痛覚を攻撃するかのように存在感を増した。
「っ……!」
嫌な、予感がした。
気持ち悪さに耐える為に胸部を抑えながら、彼はある方角を反射的に振り返る。
「何かあった?」
前を行く友人が突然立ち止まった彼を不審に思い、同様に足を止めて振り返ってきた。そして、その姿に僅かな驚きを示したのか、元来た道を引き返してくる。
「大丈夫?」
しかし、彼は答えられない。
ただ、第六感が的中してしまった事に対して、彼女同様に何かが抜け落ちてしまったような虚無の感覚を覚えてしまったから。
その震える唇が、やっとのことで声を紡いだ。
「嘘、だろ――?」
「あぁぁぁぁぁっ!!」
アクセルが振り下ろした渾身の一撃の直後、派手な轟音と強烈な風圧を起こして敗者たる龍は地に倒れ伏した。その中に巣食っていた闇魔が、龍から抜け出るようにして消滅していく。
しかし、地面に降り立った勝者たるアクセルの面に喜びの色は無い。
そして、それはターヤも同様だった。
「アクセル……」
耐え切れずに彼の名を呼ぶが、青年は着地したままの姿勢で立ち尽くすだけだった。きっと彼の心の中は、アストライオスに対する罪悪感で占められている事だろう。
それでもアクセルが太刀を振るわなければ、彼は闇魔の侵食によって苦しみながら崩壊していくしかなかったのだ。だから、この選択は間違っていなかったのだと思うしかターヤにはできなかった。
「そんな顔するなよ、ターヤ」
顔を上げれば、アクセルが困ったような表情で彼女を見ていた。
「おまえのせいじゃないんだ。全部、俺が悪いんだからさ」
「でも……」
「だから、せめておまえは笑っていてくれ」
哀しげな笑顔で言われてしまい、それ以上の反論をターヤはできなかった。
普段は人をからかうのが好きで偶にナルシストなくせに、いざという時になると自ら汚れ役を買って出てしまう――どうして、アクセルはこんなにも気付かれない裏側で優しいんだろうか。
「うん」
そんな彼と違って何もできない少女は、ただ言われた通りに笑うことしかできなかった。ただしそれは、上手く笑えないぎこちないものになってしまったけれど。
彼女の表情を見て、青年もまた笑みを浮かべる。
「その方がターヤらしいな」
「そう、かな?」
「あぁ、おまえは笑ってる方が可愛いよ」
「え……?」
一瞬、彼が何を言っているのか解らなかったが、言葉の内容を理解すると同時に顔中が爆発する。
一方、やはりと言うかアクセルの方は確信犯であるらしく、彼女の反応を見て意地の悪い笑みを浮かべた。それでも、普段よりは嫌味に感じられない程度の。
「なんて、な」
「……アクセルの、ばか」
人の心配と少しの感情を台無しにしてくれた彼に憤慨して、それでも酷く安堵している自分が居る事に気付く。アクセルが普段通りである事がこれ程までに嬉しいと思える時があるなどとは、思ってもいなかった。
ぽかぽかと軽く背中を叩いてきたターヤを軽くあしらってから、アクセルは立ち尽くしたままのスラヴィに視線を移す。
「スラヴィも悪かったな、巻き込んじまって」
「『構わない』――とある男性の言葉」
相変わらず眉さえ動かさない少年は、しかし一旦間を置いてから珍しく言葉を続けて来た。
「『ならば、それに「銘」を付けてみては、どうかな?』――とある青年の言葉」
「銘って、名前か?」
こくりとスラヴィが頷けば、アクセルは困ったように眉を顰める。
「いきなりそんなこと言われてもなぁ。何が言いたいんだ?」
アクセルの言葉通り、ターヤにもスラヴィの言いたいことは解らなかった。まるで過去に聞いた事のある他人の言動をそのまま転用しているかのような彼の口調は実に独特であり、それ故に言葉の中に秘められた真意が理解できない。
困惑顔の二人に対し、少年は再び口を開く。
「『それが、ボクらに対するキミの贖罪だ』――とある人々の言葉」
けれど、益々意味が解らなくなるだけだった。
「何が言いたいの?」
ターヤのそれは答えを欲した訳ではなく、ただの呟きだった。
その時だった。
「!」
アクセルが二人を庇うようにして背後を振り向き、再び大剣を構えた。
「どうし――」
問う前に、振り向き終えた視界の中に映った光景。それはターヤを驚愕させた。
「闇魔……!」
元々龍が立っていた場所からは、彼に憑りついていたのと同じような黒い靄が噴水の如く大量に噴き出していた。それは際限無く湧き出し、あっという間に三人を取り囲んでしまう。
即座にスラヴィが〈結界〉を発動した為、襲いくるそれらからは護られるが、その代わり退路を失ってしまう。
「くそっ、まさかまだこんなに居たとはな!」
悔しそうに眉根を寄せたアクセルへと、スラヴィが声をかける。
「『早く、急いで』――とある少女の言葉」
「あ? ……はぁ!?」
一瞬何の事かと訝しんで、しかしすぐに理解した。
ようはスラヴィは先程からずっと、自分の作品であり完成品でもある大剣に『銘』を付けろと、持ち主となったアクセルを急かしているのだろう。
だが、現在の状況でそのような事を優先される意味が解らなかった。
「何言ってんだよ! 今の状況を解ってんのか!?」
それでも尚、スラヴィは急かしてくる。
訳の解らないアクセルは再び口を開こうとして、
「――『武器に銘を授ける事で巻き込んだ事への謝罪とし、同時に己が殺めた龍のことを忘れるな。そして、その大剣の真の力を引き出せ』。彼はそう告げたいのでしょう」
思いもよらぬ方向から、その答えは返ってきた。
後方を振り向けば、最奥の空間で唯一の出入り口である穴の前には、一人の人物が立っていた。そしてその人物は、以前エンペサルの路地裏でターヤの危機を救ってくれた、あの銀髪の少女であった。
「あなたは――」
彼女はターヤと視線を絡ませると微笑む。
その笑みに、同性である事も忘れて少女は思わず赤面した。