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六章 聖地護る者‐Craftsman‐(7)

(あれって……)
 ようやく意識が覚醒してきたところで、彼女は前方に温かさを感じた。まるで母にでも抱かれているかのような、人肌の温もり。どうやら誰かに背負われているようだ、とぼんやりとした頭でも理解できた。
 そして徐々に視界も元通りになり、いっぱいの赤を映し始める。
(これって、もしかして……)
 視線を動かした先に見えたのは、更に色鮮やかな赤毛だった。
「アクセル……?」
 呟く声に反応して赤毛が動き、見慣れた顔がこちらを振り向いた。
「ようやく起きたのかよ、ターヤ」
 呆れたように、笑われる。それさえも、ここが間違い無く現実であると証明してくれているようで、今の彼女にはありがたく感じられた。力無く引っかけられていただけの両腕を緩慢ながらも動かし、相手の首元に巻き付ける。
 彼女のそんな動作に彼は驚いたようだったが、振り払おうとはしなかった。
「何だ、そんなに俺に甘えたいのかよ?」
「うん、おにいちゃん」
「……って誰が『お兄ちゃん』だよ!? おまえまだ寝ぼけてるだろ!」
「わっ!」
 鋭い突っ込みと共に支えてくれていた腕が両方とも離れ、瞬間的にターヤは落とされた。尻から地面に衝突させられた為、そこと背中と腰回りが最も強く痛む。
「いたたたた」
「ったく、起きたのかと思ったら若干寝ぼけてるしよぉ」
 痛む場所を擦っていると、頭上から降ってくる呆れ声。見上げれば、アクセルが見下ろしてきていた。
「うぅ、ごめん」
 正鵠を射られたターヤは返す言葉も持っていない。自然と顔が下を向く。
 途端に今度は溜め息が降ってきた。
「ほれ」
 更に何かしら言われるのかと思いきや、視線だけを上げれば手が差し伸べられているだけだった。これにはターヤの両目が何度も瞬かれる。
 すると、アクセルは更に呆れを覚えたようだ。
「おまえなぁ……とっとと立てよ、ほれ」
「う、うん」
 導かれるように、その手を掴む。と、一瞬にして宙に浮かび上がったかと思いきや、次の瞬間には地面に両足が付いていた。
「おぉ」
 感嘆の声を上げると、頭を軽く小突かれる。
「ほら、とっとと行くぞ。上に戻る道を探さなきゃならねぇしな」
 そう言って歩き出した彼の後を小走りに追う。隣に並んだところで、ようやく周囲の様子を確認する余裕が生まれた。
 そこは、先程までの広さは無いものの、同様の美麗さを有した空間だった。壁に天井に床にと至る所で淡い光を灯す水晶が、人二人が通れるのがやっとなくらいの道を仄かに照らしていた。
(やっぱり、さっきの場所と同じできれいだなぁ)
 そう思ったところで、ふと自分達が今ここに居る原因を思い出す。
(そう言えば、わたしの不注意で落ちちゃったんだっけ)
 以前のエンペサル橋でもそうだった。自分の不注意で川に落下した上、アシュレイをも巻き込んでしまったのだ。
(なのに、またやっちゃった)
 内心で嘆きつつ自分を責めながら、ターヤは隣を歩くアクセルの顔を気付かれないようにこっそりと窺う。どうやら今は怒っていないようだが、彼の事だ、心の中ではいったいどれ程煮え滾っているのだろうか。

「えっと、アクセル……?」
「何だよ、そんな遠慮なんかして」
 恐る恐る声をかければ、変なものを見るような目を向けられた。ほんの少しだけ傷付いた。
「えっと、その……あの、ごめんなさい」
 何を言うべきかと悩んだ末に出てきたのは、簡素なその一言だった。
 だが、アクセルは怒るどころか、寧ろ笑顔を見せてきた。
「気にすんなって。おまえが鈍くさいのは前々から知ってたんだから、目を外した俺も悪ぃ」
 地味にけなされているように感じられる上、まるで自分はターヤの保護者あるいはお目付け役であると主張せんばかりの言いようである。
 けれども、彼に引け目を感じているターヤには気にならなかった。
「で、でも……」
 尚も言葉を紡ごうとする彼女に、アクセルはどうしたものかと頭を掻く。
「そう言えばよ、おまえってさ、エマが好きなのか?」
「? エマのことは好きだよ?」
 唐突に提示された話題に反応して見上げてくる少女の顔は、全く解っていなかった。なぜそのような事を訊いてくるのかと、きょとんとした不思議そうな表情を浮かべ、軽く首を傾げてもいる。
 思わず溜め息を吐いた時のような顔になったのは言うまでもない。
「そうじゃなくてよぉ、恋愛感情でエマのことが好きなのかって聞いてるんだよ。どうも見てると、何かとエマに対しては思うところがあるみてぇだしな」
 アクセルとしては、興味半分、からかい半分といったところだった。自責の念を覚えている彼女の気を紛らわす意図が無い事も無いが、前々から気になってはいたというのが主流意見である。
「ううん」
 だが、返されたのは即答だった。
「エマのことはアクセルよりも好きだけど、そういう『好き』じゃないの」
「おい」
 前半部分に突っ込むものの、言った当人には軽くスルーされる。
「確かに、エマを見ると凄くどきどきするし、笑いかけられたり褒められたりすると凄く嬉しいし、もっと褒めててほしい、って思うよ」
 ここまでは、概ねアクセルからの質問に対する肯定だった。
 しかし、ここからは違う。この後には、理屈では表せない感情的な否定しかないのだ。それを確かめるかのように、ターヤはそっと左手を心臓の辺りに当てた。
「でも、違うの。これは決して、恋愛感情なんかじゃない。多分、兄弟とか家族に対する感情なんじゃないかなって」
「家族だぁ?」
 うん、と訝しげな顔をしたアクセルに向けて頷く。
「だから、わたしのエマに対する『好き』は『お兄ちゃんへの憧れ』みたいな感じなんじゃないかと思うの」
 真剣な顔でそう答えられたアクセルはといえば、どこか唖然とした様子だった。行き場を無くした事を誤魔化すかのように片手で後頭部を意味も無く掻きながら、その瞳にはターヤを移している。
「マジかよ。って事は、おまえってブラコン気質なのか?」
「ぶらこん? かどうかは解らないけど、本当だよ。だって、エマに優しくされると『お兄ちゃん』って凄く呼びたくなっちゃうから」
 最後の方は何とも言えない羞恥に襲われて頬が火照った。その事がどうしようもないぐらいに恥ずかしくて、ターヤは両方の掌で全ての紅さをできる限り隠し通そうとする。
 そんな彼女の様子を見て、寧ろこいつは『ブラコン』という言葉自体を理解してねぇ、と若干ずれた方向に逃避する事にしたアクセルである。
「そうだ。アクセル、わたしも訊きたい事があるんだけど良いかな?」
 どうやらターヤも前々から気になっている事があるようだ。彼女なら変な質問もしないだろうと考え、彼は快諾した。
「おう、良いぜ」

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