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六章 聖地護る者‐Craftsman‐(11)

 結晶化病。全身が徐々に硬直していき、最終的には心臓が停止する難病。種族を問わず発病するそれは、幾ら発病の確率が低くとも、三十年前までは言葉通りの『不治の病』だった。現在では確実な治療法が発見されているが、その為には莫大な資金が必要となるので、未だ不治の病のままなのではとの見方もあるそうだ。
 だが、まさかその難病をかの《守護龍》が患っていようとは。
『これが現在の《守護龍》の姿だというのだから、情けない事この上無いわ。我も歳をとったものだ』
 途端に、表情が悲しげに歪む。
『これが、彼女の想いに蓋をさせた罰だというのか――』
「そんな事ないよ、アストライオス!」
 その顔を見た時、思わずターヤは叫んでいた。龍を見たのも相対したのも初めてであるというのに、どうしてかそれが彼の名だと脳が理解していた。
『娘よ、なぜ我の真名を――』
 ひどく驚いたようにターヤを見た《守護龍》だったが、すぐに彼女の正体に気付く。
『そうか、そなたが今代の《ケテル》なのか』
「ケテルって、やっぱりそれがわたしの名前なの?」
 リチャードに続いて眼前の龍にも同じように呼ばれたとあっては、ターヤにはその名が自分の本名であるかのように思えてきていた。
 だが、龍は静かに否定する。
『否、それはそなたという存在を指し示す記号にすぎぬ』
「じゃあ、わたしの名前じゃないんだ」
 がっくりと肩を落としたターヤから、静かにアストライオスは目を逸らした。
『話を戻そう。加護を受けし者よ、我がそなたに頼みたいのは、今ここに蔓延る闇魔の討伐だ』
「おまえの治療は良いのかよ?」
『我は構わぬ。元より治療してまで延命する気など無い。長老達も我が亡くなれば新たな《守護龍》を選出するであろう』
 少し皮肉気に向けた問いは、恐れも怯えも無い潔い決断によって軽くいなされた。
 それが、アクセルは心底気に食わない。なぜ傍にその手段があるのに活用しようとしないのか、なぜ自ら命を捨てるような行為に走るのか。自然と眉根が寄せられた。
「けど、ここには〈星水晶〉があるんだろ? それに治癒魔術が使える奴ならここに居るんだ、今なら治せるかもしれねぇ」
 アクセルの言葉に、龍がターヤを見る。しかし首は横に振られた。
『今のケテルには無理だ。我が見るに、その娘の〈マナ〉の巡り方はおかしい。本来あるべき《ケテル》としての姿ではない』
 その言葉でアクセルの視線もまたターヤに集中するが、次げられた内容には本人が最も困惑していた。
(わたしの中の〈マナ〉の流れがおかしい? どういう事なの?)
『そもそも、そなたには上級治癒魔術が扱えるか?』
 問われて、ターヤは視線を落とすしかなかった。彼女はまだ、どの魔術においても中級までしか制御できていない。更に上の上級までは至れていないのだ。
 アストライオスも最初から解りきっていたようで、特に驚いた様子も無かった。
『元来、そなたは誰よりも〈マナ〉に愛された存在だ。だが、現在は何らかの原因によって阻害され、従来の力も引き出せてはおらぬ』
 続く言葉に、ターヤは弾かれるようにして面を持ち上げた。龍の言葉が信じられなかった。
「それって、どういう事なの?」
『そなたは――』
 龍が答えようとした、その時。

『――っ!』
 突如として、その巨体が身悶え始めた。
 同時に、ターヤは形容しがたい悪寒を覚える。
「アストライオス!?」
「どうしたんだ!?」
 驚く二人だったが、その声は聞こえていないのか、龍は暴れ始める。その様子は、まるで激痛に耐えかねているかのようだった。
 続いてその影から黒い靄が噴き出した事で、二人は状況を理解する。
「闇魔の浸食か……!」
 苦々しい表情でアクセルは歯を噛み合わせた。
 その〈結晶化病〉に侵された身体はまだ人間よりは強いだろうが、中位闇魔の浸食を許してしまうくらいには弱体化してしまっているのだ。幾ら《守護龍》とはいえ、完全に取り込まれるのは時間の問題だと思えた。
 龍は自らを浸食せんとする闇魔に意識が向いてしまっているようで、周囲を顧みずに動き回る。その巨体が方向を半回転すれば、必然的に巨木を凌駕する太さの尾が薙ぎ払うようにして迫ってきた。
「!」
「っ……!」
 避けきれない、と悟った二人が反射的に身構えた時だった。
「――『発動します』――とある女性の言葉」
 第三者の声が聞こえたかと思いきや、
「!」
「――!」
 龍を覆うようにして半円形の薄い膜が発生していた。それは高速で振り回された尾をも難無く受け止め、ついでとばかりに弾き返してしまう。その反動によって龍は地に倒れ伏し、黒い靄もまた縮小していく膜に押し込められていった。
「これは――」
「〈結界〉?」
 入口付近で見た物と似ている、と感じた時には、既に闇魔の姿も〈結界〉も無くなっていた。
 二人は先程の声の主を探して後方を振り向き、そこに一人の少年を見付ける。
 彼は、ターヤよりも何歳か幼げに見える少年だった。前髪は芸術と言っても過言ではない程に爆発しており、服装は《職人》が着ていそうな暗色のつなぎ。何より、その双眸には光が灯っていない。そして、その髪と目は、見覚えのある黄色だった。
「この人が、イーライの言ってた『おにーちゃん』?」
「『そのとーり!』――とある少年の言葉」
 何気無くターヤが零した言葉には、他でもない彼自身から反応が返ってきた。まさか即座に肯定されるとは思わなかった為、ターヤは驚く。それと同時、無事に合流できて良かったとも安堵する。
 だが、アクセルは不審感を丸出しにしていた。
「それなら無事みてぇで何よりだけどよぉ、そもそもおまえは何者だ? 幾ら弱ってるとはいえ《守護龍》を押さえ付けちまう程の〈結界〉を扱えるなんて、並大抵じゃできねぇぜ?」
 疑惑の瞳を向けたアクセルへと首だけを動かすと、
「『《鍛冶場の名工》スラヴィ・ラセター』――とある人々の言葉」
 少年は確かに、淡々とそう告げた。
「スラヴィ、ラセター?」
 どこか聞き覚えのある名にターヤは首を傾げて、
「! 《鍛冶場の名工》!」
 元々現在の旅路の目的であった筈の人物の異名を、戦慄を感じながら口にした。
 逆に、アクセルは益々胡散臭そうな目付きになっている。そいつがあの《鍛冶場の名工》だぁ? はっ、信じられるかよ! そう言外に表情がありありと語っているとターヤにすら解るのだから、相手にも読み取れている事だろう。

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