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六章 聖地護る者‐Craftsman‐(1)

 長閑な小村トランキロラ。その名の通りの小村でありながらも、この村が世界的に名を知られているのは、唯一の温泉がある場所としての効果が大きい。その上、温泉の効能も確かとくれば、世に知られるのも無理は無かった。
 だが、もう一つ、この村には有名となり得る要素が有った。
 軍団戦争。それは五年前に勃発した、現二大ギルドこと〔月夜騎士団〕と〔モンド=ヴェンディタ治安維持軍〕による全面戦争である。かの戦争により、当時の《世界最強》ギルドが位置していた古都は廃墟と化し、様々な兵器が用いられた上、双方の死傷者の数も決して少なくはなかった。
 そして、その和平調印が行われた場所こそが、このトランキロラなのであった。
 しかし、時と共に人の記憶も薄らいでいくもので、まだ五年しか経っていない現在でも、この村が平和の象徴である事はあまり意識されなくなってきていた。
(それが、あたしは少しだけ悲しいのよね)
 かの戦争を実体験したアシュレイだからこそ、それは切に思えるのだ。
 あれは、本当に酷い戦いだった。
 そして、本当に醜い争いだったのだ。
「――アシュレイ?」
 名を呼ばれて我に返る。そこで初めて、声の主がエマである事を知った。
「宿の前に着いたのだが」
「あ……すみません、エマ様。少々ぼーっとしてました」
 誤魔化すように笑う。
 だが、彼女をよく知るエマはそれが嘘である事を見抜いていた。
(やはり、軍団戦争の事でも考えていたのだろうか?)
 この村で、彼女が周囲も見えなくなる程に思考を巡らすものといえば、それしか思い浮かばなかったのだ。
 否、それ以外に何が有ろうか、といった方が正しかろう。
(まだ、一つも忘れられないのか)
 どうやら彼女の心に刻まれた傷は、未だ深い。
「何してんだよ、とっとと入ろーぜ?」
 遮るようにしてかけられた声は、どこか不機嫌で。それは後頭部で組まれた腕の僅かな力みようと、気になりながらも少ししか回されない首からも滲み出ていた。
 羨ましいのか、と気付く。彼女と自分の間で共有される、二人にしか理解できない空気が。
(決して、それだけではないのだろうが)
「そうだな」
 内心では苦笑交じりに、面には普段通りの表情を浮かべて、エマは相棒へと頷いた。
 アクセルは未だ後ろ髪を惹かれるようにアシュレイから視線を外さなかったが、相手がこちらを向く気配は微塵も無かったからか、諦めて宿の扉に手をかける。
「――!」
 寸前で、素早く後方を振り返ってくる。
 どうしたと問う前に、二人もまたその理由を察知していた。
「村の入り口の方だな」
「ええ。それと、僅かだけど血の匂いもするわね」
 眉根を寄せて眉尻を下げたアシュレイが呟く。
 その言葉が耳に届くや否、誰もが口を開くよりも先に踵を返し、元来た道を戻っていく。
「「……!」」
 そして目的の場所で目にした人物に、三人の顔から血の気が引いた。
 全身に負った傷から血を流しながらも、門柱を支えにして何とか立っている少年だった。外見から推測する歳は十歳にも満たず、様子から察するに満身創痍といったところだろう。今にもショック死してしまっても、おかしくはない状態だ。

「これは酷いな……アシュレイ! ターヤを呼んできてくれ!」
「はい!」
「俺は村の奴を呼んでくる!」
 アシュレイが頷くと同時、アクセルもまた駆け出していた。
 このまま立たせていてはいけないと思い、とりあえずは抱きかかえるべきかとエマは少年を怯えさせないようにしながらも近寄っていく。
「大丈夫か? 今、治癒魔術の使える者を連れて――」
「……らい……け、て……」
「え?」
 掠れた途切れ途切れの声を受けて、眉根を寄せたエマが聞き返す前に。
 そのまま、少年は彼へと向かって倒れ込んだ。


「――ルツィーナ……?」
 いきなり後方から聞こえてきた鈍い音に振り返ったターヤへと、確かめるような声がかけられる。
 声の主は、二十代後半と思しき女性だった。彼女は足元に散らばった籠と洗濯物の事などすっかりと頭から抜け落ちているらしく、一目散とばかりに駆け寄ってくると、ターヤの両肩を掴む。
「え、えっと……あの……?」
「やっぱり! ルツィーナ、あんたいったい今までどこに行ってんだい!?」
 しかし何事かと驚くターヤの声は聞こえていないのか、彼女は感極まったように抱き着いてきた上、強く抱き締めてくる。
 誰だろうか、と若干混乱しかけた頭で考えるも、やはり記憶喪失の彼女には解る筈が無かった。
「ルツィーナ、聞いてんのかい?」
 返事をしない彼女から離れて見つめてきたと思いきや、女性は途端に安心したように吹き出した。
「全く、あんたは昔っから変わらないねぇ」
 そうは言われても、やはりターヤは眼前の女性に見覚えが無い上、彼女の言う『ルツィーナ』という名前が自分のものなのかさえも判らない。
 けれど、どうしてかその名には聞き覚えがあるような気がした。初めて聞いたとは思えない上、今までのように反芻する事も無くすんなりと頭の中に入ってきたのだ。
 戸惑う彼女には気付いていないようで、女性は更に言葉を紡ぐ。
「それにしても、あんたは全く変わってないねぇ。まるで、一人だけ十年前に取り残されてるみたいだよ」
「じゅうねん、まえ?」
 その言葉を耳にした瞬間、まるで言葉を初めて口にした赤子のように、拙い声が口から零れ落ちた。
 なぜか、その単語がやけに引っかかるのだ。
(十年前って、確か〈竜神の逆鱗〉っていう大災害が起こった年で――)
「――ん? 何だい、やけに入口の方が騒がしいねぇ」
 訝しげな女性の声で我に返れば、何やら村の中が騒々しかった。人々は先程ターヤが歩いてきた方向へと、急ぐように、慌てるように走っていく。
(あっちって、確か村の入り口があった……)
 そこまで考えたところで、背後から腕を掴まれた。
「ターヤ! 怪我した子が居るの、良いから来て!」
 振り向く前に声でアシュレイだと解り、一瞬感じた警戒心は即座に消え失せる。故に返事をするより速く引っ張られても、すぐに身体が適応と対応を行い、彼女に合わせて足が動いてくれた。
 背後から女性の驚くような声、そして呼ぶ声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。
 ターヤが女性に呼び止められた場所は、それ程村の入り口から離れていなかったからか、すぐに騒ぎの中心地に辿り着いた。輪を描くように人々が集っている為、自然とその中心に視線が向かう。
「あ――」
 そこで少女が目にしたのは、傷だらけの少年を抱きかかえ、応急処置を施すエマとアクセルの姿だった。

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