The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
五章 胎動する闇‐Mule‐(9)
「おわーお……これは予想外」
唖然とした顔でしばらくそれを眺めてから、彼女は首だけを店の奥へと向けた。
「おーい、クロウくーん! スコットさんと馬車来たよー!」
だが、一向に応答は返ってこなかった。誰一人として居ないかのように、店内からは物音の一つも聞こえてはこない。
これには女性が困ったように頭に手を当てた。
「あっちゃー、こーりゃクロウくん、熱中してるわぁ」
「無理に呼ばんで良いよ。それより、馬車はどこに置けば良いんだい?」
「んー、大きさ的に店の中には入れられないから、店の前に置いてもらえるとありがたいなー」
少し考え込んでから答えた女性の言葉を、そのままターヤへと伝えるように、スコットは彼女を振り向いた。
「だ、そうだ。宜しく頼むよ」
「あ、うん。……えい」
速度と慎重さを意識しながら、できる限りゆっくりと馬車を、店の前の扉に被らなさそうな辺りに降下させる。
無事に下ろし終えた時には、どっと波のような疲れに襲われた。そのまま座り込みたいとすら思えたが、地面に付けた杖を支えにして我慢し、一息を吐く。
「ふぅ」
「おつかれさま」
肩を叩かれて振り向けば、エマが労いの笑みを向けてきており、ターヤは何だかこそばゆくなった。
「あ、うん。リチャードも助けてくれたからだけど、無事に運べて良かったよ」
「そうか」
そこでエマは素早くスコットに顔を向ける。
「スコットさん、彼女も馬車を運んで疲れたようなので、私達は一旦これで失礼します」
「ああ、ここまで運んでくれてありがとねぇ、嬢ちゃん。わしはこの店に泊まってくけど、嬢ちゃん達は宿に泊まってくんだろう?」
エマが肯定の意を頷きで示したのを確認してから、
「なら、明日の朝にでも宿の前まで迎えに行くから、寝坊しないでくれよ」
スコットは少しばかりおどけてみせたのだった。
「さてと、それじゃあ、今日は宜しく頼むよ、ケイちゃん」
「ほーい。ではでは皆さん、ご縁があればいずれまたー」
そして、ひらひらと手を振った女性を伴い、店内へと消えていく。
彼の後ろ姿を見送ってから、ようやく一行は自由時間となる。とはいってもターヤが疲労困憊な様子なので、一先ずは宿に行って部屋を取る事に決まった。
宿屋へと向かう道中で、ふとターヤは先程の疑問を思い出し、忘れないうちにと尋ねた。
「ところで、さっきおじいさんが言ってたウルズの花って、どんな花なの?」
途端にエマが唖然とした顔になる。その顔は、どこか呆れているようでもあった。
「なぜ、その話題が出た時に訊いておかなかったんだ?」
「何だか、おじいさんの話を途中で変えちゃいけないような気がして……」
困ったように笑えば、アシュレイには呆れたと言わんばかりの表情を向けられた。
「それで結局訊けなかったら馬鹿馬鹿しいじゃないの。まぁ、今ちゃんと訊けてる訳だけど」
その態度に、相変わらずアシュレイは自分のことは信用していないのか、と心中でターヤは密かに肩を落としたのだった。
「で、ウルズの花っつったよな? あれはな、その名の通り、花だ」
それは言われなくても、名前を聞いた時点でターヤにも予想が付いている。
明らかに揶揄する意図を持った言葉に、ターヤは不満顔になり、エマとアシュレイからは非難の視線が飛んだ。
劣勢だと感じたのか、アクセルは両肩を竦める。
「何だよ、軽いジョークだろ?」
「貴様の揶揄は性質が悪いからだ」
きっぱりとエマに切って捨てられ、アクセルはわざとらしく唇を尖らせる。それから再度口を開いたが、今度は真面目な説明だった。
「へいへい、今度は真面目にやりますよっと。ウルズの花ってのはな、強力な浄化作用を持つ花なんだ。だから〔教会〕からは神聖視されてるし、欲しがる奴も多いんだよ。けど、リンクシャンヌ山脈の極一部にしか咲かねぇから、なかなか見る事もできねぇんだよ」
リンクシャンヌ山脈とは、ここ南大陸の北部と東部にかけて奔る大きく長い山脈だ。エマによれば、かのロヴィン遺跡もまたこの山脈の中ではないかとのことだ。
「そのくらい稀少価値が高ぇし、あの山脈自体が険しいからな。実際に本物を入手できた奴なんて、それこそさっきのじいさんが言ってた依頼人くらいなんじゃねぇの?」
そこまでの代物なのか、と驚く。
「そんなに珍しい物なんだね」
「まぁ、モチーフにした装飾品とかなら、そこら辺の町の市場でも売ってるでしょうけど。なかなか人気らしいわよ?」
そうは言われても、まずどのような外見の花なのか判らないターヤである。
それにしても、少しは態度が軟化してきたようにも思えるが、相変わらずアシュレイは自分に対しては未だ棘があるように感じられる。やはりすぐには信用してもらえないのか、と考えるとちょっぴり悲しかった。
「ただいま戻りました」
その頃、少女の手助けを終えたリチャードは、自らが滞在する街へと帰還していた。街の入り口にて、誰へともなく報告するかのように、一礼する。
そんな彼を、門の近くで一人の少年が出迎えた。
「おかえり」
それは、橙色の長い前髪が目元を隠すように伸びている、十代前半に見える少年だった。リチャードと似たような服装を身に纏っており、彼と並ぶとまるで歳の離れた兄弟のようにも見える。
彼に対しても、リチャードは頭を下げた。
「ただいま戻りました、イェソド」
「様子は?」
簡潔な問いだったが、かれこれ十年の付き合いになるリチャードには、それだけで彼の言わんとしている内容が理解できる。
「ケテルでしたら、未だ魔術においては未熟な様子でしたが、それ以外は特に変わったところはありませんでしたよ」
「そうか」
安心したように呟くと、少年は街の中へと引き返していった。
「さて、私もあの方の下にでも行くとしますか」
その後ろ姿を見送ってから、リチャードもまた方向を転換し、元来た方向とも少年の向かった方向とも異なる、丘のある方角へと向けて歩を進めた。
目的の丘まで辿り着いた青年を待ち受けていたのは、天まで届きそうな程に伸びた大樹だった。幹は成人男性数人で囲んでやっと一回りという太さで、できる限り見上げようとすると首が痛くなりそうなくらい大きい。
「ただいま戻りました、ユグドラシル」
再び、お辞儀。
「ところでユグドラシル、一つ問いたい事があるのですが」
大樹は、何も言わない。
「ケテルの傍にビナーの気配をも感じたのですが、その反応が僅かな為、特定には至りませんでした。これはどういう事なのでしょうか?」
リチャードが軽く首を傾ければ、タイミング良く風が吹いたのか、大樹の葉が揺れた。