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五章 胎動する闇‐Mule‐(10)

「なるほど、可能性としては、まだ覚醒してないか、完全に覚醒しきれていないかのどちらかという事ですね」
 まるで大樹が喋ったかのように、それを受けて青年は納得した様子を見せる。わざわざ顎に手まで当てて。
 傍から聞いていれば単なる独り言でしかないが、まるで眼前の大樹と会話しているかのようにリチャードは振る舞っていた。それが真実なのか虚偽なのか、また別の問題として。
「では、ケテル同様、ビナーについても観察することにします。特定については急ぐ必要も無いので、気長に行おうかと」
 結論を出すとリチャードは会釈し、すぐに踵を返して街へと降りていく。
 その後ろで、もう一度、大樹が揺れた。


「……で、結局遠回りになっちまうのかよ」
 はぁ、と溜め息を零したアクセルを、少しだけ呆れたような顔で見るアシュレイ。
「別に良いじゃないの。こうしてスコットさんの馬車に乗せてもらってる訳だし」
「それはそうなんだけどよぉ……はぁ、何で今日に限って大木が倒れてんだよ。何か損した気分だぜ」
 アクセルは再度息を吐くが、エマもまた彼女同様の顔で彼を一瞥しただけだった。
「天災ばかりはどうしようもないだろう」
「そりゃそうだけどよぉ」
 どこか憮然としているアクセルだが、これには彼なりの訳があった。
 現在、一行はスコットの馬車に乗せてもらってガハイムズフォーリ鍾乳洞内部を進んでいた。
 当初は風の町ウィンドミューレから[街道]を通って[流通中心街カンビオ]を経由するルートが予定されていたのだが、生憎とちょうど街道は大木の転倒により通行止めになっていた為、仕方なく鍾乳洞を通ってリンクシャンヌ山脈方面ルートを使う事にしたのだった。
 ちなみに、スコットには鍾乳洞を抜けた先の[長閑な小村トランキロラ]まで送ってもらう事になっている。
「楽しみだなぁ」
 ところでターヤはと言えば、とても楽しみと言わんばかりに、うっとりとした表情を浮かべていた。理由は単純明快、これから向かう長閑な小村トランキロラが火山に面した町で、唯一の温泉町としても有名だと聞いたからである。
 今まで決して風呂に入ってこなかった訳ではなく、寧ろ宿に泊まれれば入浴できているのだか、ターヤとしてはあまり服や自分が汚れる事に慣れていないのである。元々自分が何をしていたのかまでは解らないが、少なくとも他三人のように旅や野宿をした事は無かったのだと推測できた。
 そして、それとは別に、温泉という言葉には純粋に惹かれるのだ。どうも自分は温泉が好きらしい。
「そう言や、今まで不思議だったんだけどよ、〔方舟〕ってモンスターと出くわした時はどうしてるんだ?」
 いつの間にか気にしなくなったようで、アクセルはスコットに話しかけていた。
 彼は前方の御者台に座ってはいるものの、基本的に相棒二頭には道を伝えるだけで、基本的には彼らに任せていた。故に、アクセルの会話にも応じる。
「戦えるやつもいるけど、基本的にわしらは戦闘系《職業》じゃないからねぇ。みんな傭兵を雇ったり、依頼人が戦える時は代金を安くする代わりに戦ってもらってるんだよ」
「なら、じいさんもそうなのか?」
「いや、わしにはアールとアルスが居るからな。余程強いモンスターや龍でない限り、わしの相棒達は負けんよ」
 誇らしげなスコットの言葉に続けるようにして、馬達は高らかに声を上げる。
 彼らの声を受けて、アクセルはどこか楽しそうに笑みを深めた。
「へぇ。って事は、そいつら結構強ぇんだな」

「ただ『はやい』だけの馬ではないんでねぇ」
 自慢げな表情から一転、スコットは若干の困り顔を浮かべた。
「ただ、こやつらにも一つだけ弱点があってのう。兄ちゃん達は《スコル》という狼の魔物を知っとるかい?」
「名前だけなら聞いた事があります。確か、太陽を追いかける狼だとか」
 アシュレイが答えると、頷きが返される。
「その狼だよ。どうにもあの魔物だけはアールもアルスも苦手みたいでねぇ、一度遭った事があるんだけど、その時はひたすら逃げたものだよ」
 どこか懐かしげな声だった。内容には合わないが、既に何事も無く終わった過去であるのならば、そのように回想できるものなのだろう。
 しかし、ターヤはそちらよりも疑問点が一つ。
「けど、『太陽を追いかける』ってどういう意味なの?」
 この世界モンド=ヴェンディタでは昼は太陽が、夜は月が、どこからでも見えるくらいに高く天へと昇り、世界を照らしている。しかし実際には太陽と月はこの惑星の外を回る別の惑星であり、宇宙に出なければ触れる以前に近付く事すら不可能なのだ。
 その名で比喩される人物や物体ならばともかくとして、実物を追いかけたところで何が起こる事も無いからこそ、ターヤにはその一文の意味が解らなかった。
 彼女の疑問には、皆もまた賛同する。
「だな、俺も知らねぇ」
「そうね、あたしも確かに意味までは知らないわ」
 言われてみれば、という顔になったアシュレイは、顎に手を添えた。
 誰も知らない事を認識するや、スコットはまた得意げに口を開くのだった。相棒に関する事柄を誰よりも自分が知り得ているという事が、彼にとっては非常に誇らしいのだろう。
「それはのう、スコルが『太陽』と認識しているのは、アールとアルスのことなんだよ。こやつらは『太陽を牽引する馬』とも言われとるからのう。ただ、どうしてそう言われとるのかまでは解らないがねぇ」
 途中までは自身に満ち溢れていたものの、後半では若干恥ずかしそうにスコットは僅かに視線を逸らした。
 そんな彼へと、苦笑も交えながらエマが微笑む。
「という事は、貴方が《太陽の御者》と呼ばれる理由には、彼らの事も入ってるのだな」
「どうやらそのようでねぇ、相棒に関した名前で呼ばれるのは嬉しい事だよ。まぁ、こやつらのことも全部知っとる訳じゃないんだけどねぇ」
 一方、スコットとエマの会話から離れ、アクセルはアシュレイに声をかけていた。
「それにしても、今回はおまえの他人不信もあんまり働いてねぇみてぇだよな。それとも、単に猫被ってるだけか?」
 からかう意味も確認する意味も込めての問いに、相手は面倒臭そうで鬱陶しそうな視線を寄こしてくる。
「スコットさんは素性がはっきりしてるからよ。彼女と彼に猫を被らないのは、何者か解らないから」
 そういえばこいつはこういう奴だった、とアクセルは思い出す。理由までは知らないが、アシュレイ・スタントンという人物は強い人間不信であり、相手を信用するか否かの要素として素性を特に重要視していた。
 ちなみに彼女というのはターヤ、彼というのはリチャードのことを指しているだろう。
 それはそうとして、相変わらずこいつは俺だけは悪い意味で特別視してるよな、とアシュレイから向けられる視線を複雑に感じたアクセルである。
「でも、彼女は嘘も誤魔化しも偽造も得意じゃないって事が解ってきたから、最近はそんなに警戒心を抱かないわね。だからといって、猫を被る必要も無いけど」
「けど、最近のおまえはちょっとずつターヤにデレてきてるって感じだぜ?」
 おちょくるような笑みを向けてくるアクセルを半眼で睨み、
「で、彼だけど、あっちは寧ろ警戒心が強まっていく感じね」
 最終的にはスルーして、アシュレイは少々強引に話題を次に移行した。

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