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五章 胎動する闇‐Mule‐(8)

「リチャード、どうしてここに?」
「相変わらず神出鬼没な男だな」
 目を丸くしたターヤとは逆に、エマは呆れたように眉根を寄せていた。
「つーか、おまえってターヤの事となると、所構わず出てくるよな」
 相棒と似たような顔でアクセルが、皮肉も交えて指摘する。基本的にターヤ以外の面々は、リチャードに対して絶大な信頼を寄せている訳ではなく、それは彼もまた同じ事だ。
 しかしリチャードは気にする事も無く、真正面から返した。
「ええ、ケテルに何かあっては私も困りますから」
 いっさい動じた様子も無い青年に、逆にアクセルの方が言葉に詰まったのだった。
「ところで、リチャードはどうしてここに? さっきわたしが呼んだからって言ってたけど、別に呼んだつもりは無かったよ?」
「ですが、困っていたのですよね?」
 差し伸べられた手を取ると、引っ張られて立たせてもらえた。
「うん。やっぱり、まだまだ魔術が上手く使えなくて、でもあの時は使えたから、リチャードが手助けしてくれてたのかな、って思って」
 言ってから『あの時』だけでは伝わらないのではと思ったターヤだったが、リチャードは察してくれたようだ。
「〈空中浮遊〉の事ですか」
「うん」
「確かに、あの時はまだケテルは魔術に不慣れだったので、僭越ながら手伝わせて頂きました。気に障り増したか?」
「ううん、そうじゃなくて、ちょっと魔術が使える気になってたけど、やっぱりわたしはまだまだなんだなぁって痛感したの」
「なるほど。では、今回も手伝わせていただきますが、宜しいですか?」
 含みを持った言い方に、若干からかわれているのだと気付く。その事に少しだけ頬が膨らんだものの、やはり自分一人の力ではどうにもならないとの自覚はあったので、不満顔は引っ込めて、首を縦に振った。
「うん、お願いします」
 答えは既に予想済みだったのか、青年は特に驚いた様子も無い。元々、常に同じ笑みしか浮かべていないのだが。
「では、ケテル、構えてください」
「うん。『地より離れ、風の導くがままに、宙を行かん』――」
 詠唱しながら、先程とは感覚が異なる事に気付く。不安を全て取り払ってしまう程に、身体中に力が満ち溢れているように感じられるのだ。
(これが、リチャードの力?)
 そうだとすれば、いったい彼はどれ程の魔力をその身に秘めているのだろうか。
「〈空中浮遊〉!」
 瞬間、再び馬車が持ち上がる。
 けれども今回は、先程のように申し訳程度に地から離れた訳ではなく、一行の中で身長が最長であるアクセルの頭上を越える高さまで浮かんだのだった。
「おぉ、凄ぇな」
「本当ね。それだけ、そいつの力が抜きん出ているという事なのかしら」
「やはり、彼は魔術に長けているようだな」
 残り三人がそれぞれ渋面になりながらも感嘆の色を表す中、ターヤはといえば少々複雑に感じていた。こうして高く馬車を持ち上げていられるのは、先刻の一人で試した時と比べると、明らかに大半がリチャードの力である事が解るからだ。
 攻撃と召喚魔術以外ならば中級まで使用可能なターヤではあるが、やはりただ使えるだけでは駄目なのだと、今回の件で思い知ったのである。

「では、行きましょうか」
「え、でも、同じ魔術を使ってる間って、その場から動けないんじゃないの?」
 突然の彼の発言には驚き入る。教本として使用した書物にはそのように記載されていた為、ターヤの中ではそう認識されていたのだ。
 対して、リチャードは首を振る。
「いえ、流石に詠唱時は無理ですが、ある程度熟練すれば、術者は魔術を維持しながらでも動く事が可能になります。まだケテルは未熟ですが、今回は私が手伝わせて頂いているので、このまま動く事ができます」
 これには思わず驚嘆する。
「やっぱり、リチャードって凄いんだね」
「今更ですよ、ケテル」
 何を馬鹿なとでも言うかのようにあっさり肯定すると、今度こそターヤを促してリチャードはウィンドミューレへと向かって歩き出した。
 一方、彼に先導される事にあまり良い顔をしなかったアシュレイ達だが、相手が目的を遂行する為の鍵を握っているとあっては、渋々ながらも従う他に無かった。
 そうして町まで戻った一行を出迎えたのは、スコットだった。既に《職人》に話は付けてあるらしく、相棒達の姿も見えない。彼は小走り気味に駆け寄ってくると、その笑みをターヤに向けた。
「おお、持ってきてくれたのかい。ありがとうねぇ、嬢ちゃん。重かっただろう?」
「ううん、リチャードに手伝ってもらったから――」
 しかし、横を見れば、いつの間にか青年の姿は消えていた。
「……あれ?」
 きょとんとした顔で何度か目を瞬かせて、それから慌てて頭上に持ち上げている馬車を見上げるが、落ちてくる事も無く浮かんだままだった。
 今度こそ、こてん、と首が横に傾いた。
「あれ?」
 アシュレイ達もまた、そこでようやく彼の不在を認識したようだ。
「いつの間にか居なくなってるなんて、相変わらず気配も意図も読めない奴ね」
「だが、今回はあの男のおかげで事無きを得たのも事実だ」
「だな。それにしても、あいつが居なくなっても持ち上げてられるって事は、まだ手伝いは続いてるって事だな」
「うん、そうみたい」
 アクセルの言葉に頷きながら、未だ身体の内部にはリチャードの力らしきものを感じてはいた。どうやら彼は姿こそ消したものの、ターヤが目的の物を運び終えるまでは手助けしてくれるつもりらしい。
 一行の会話は理解できなかったスコットだが、区切れたと見るや話題を戻した。
「ここで立ち話をするのも何だし、わしが案内するから、大丈夫そうなら店まで運んでくれないかね?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
「そうかい、それなら頼むよ」
 そのままスコットに導かれた先は幾つもの店が並ぶ商店街のようで、その中で彼が向かったのは一軒の店だった。屋根から垂れ下がる看板には『烏の何でも屋』と殴り書きのような字で記されている。
 彼は扉を開けると、中へと呼びかけた。
「おぉい、二人ともー、馬車を持ってきたぞー」
「――はーい、今行きまーす」
 女性らしき声が反応したかと思いきや、ばたばたと足音を立てて、奥から一人の人物が姿を現した。
 濃い青色の髪と瞳をした、五十代から六十代当たりと思しき妙齢の女性である。だが、その表情や態度は明るく活発的で、年齢よりも若い印象を与えた。
「スコットさん先程ぶり~。で、肝心の馬車はどこ?」
 額に手を当てて周囲に視線を飛ばし、彼女は宙に浮いた物体に気付いた。

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