top of page

五章 胎動する闇‐Mule‐(3)

「うぉっ、何だよアシュレイ、びっくりしたじゃねぇか」
「これが、あの闇魔?」
 驚いて眉根を寄せた彼など気にせず、単純に問う。話に聞いた事ならばあり、知識としての『闇魔』は知っていたが、実物を目にしたのは、覚えている限りではこれが初めてであったからだ。
 エマも似たような反応を見せており、アシュレイと同等の認識しかなかった事が窺える。
「そうか、これが闇魔なのか」
「それにしても、あんた、よく知ってるのね」
 訝しげな眼がアクセルへと向けられる。
 突き刺さるような視線を難無くかわすと、彼は後頭部で腕を組み、大した事ではないかのように答えた。
「何回か見た事あるからな。とは言っても、俺も久しぶりに見たんだけどよぉ」
 途端に細められる、豹の眼。
「それ、どう言う――」
「ねぇアクセル、この闇魔って鳥に憑りついてるの? それとも鳥の姿をしてるの?」
 アシュレイの疑問を遮る形で、不思議そうなターヤの声が飛んできた。
 それに対して反射的に不満を感じるも、予想もしていなかった彼女の反応は、アシュレイ達にとってはアクセルの時よりは劣るが、意外なものではあった。
 若干の驚き顔を向けられ、逆にターヤの方が何事かと目を瞬かせていた。
「何だ、ターヤも知ってたのかよ? 闇魔自体知ってる奴は少ねぇし、エマとアシュレイはともかくとして、おまえは知らないかと思ってたぜ。あと、あの闇魔は鳥の姿をしてるだけだろうな」
 どこか意地悪気なアクセルに、少しだけむっとして頬を膨らます。
「リュシーに〈世界樹〉の話をしてもらった時に、ついでに教えてもらったの」
「へー、あいつ、本当にいろいろと知ってるんだな。ほんと何者なんだよ……」
 唖然とした顔を浮かべてから、アクセルはまた話を戻す。
「なら、これは知ってるか? 闇魔の住んでる[魔界二ヴルヘイム]と、ここモンド=ヴェンディタを繋ぐ境界の事とかよぉ」
「ううん。教えてもらったのは闇魔っていう名前と、どういう存在か、ってくらいだったから」
 首を横に振れば、若干アクセルは嬉しそうに表情を動かした。
「なら、俺が教えてやろうか?」
 突然の申し出には、正直なところ驚いた。
だが、その様子を見て、もしかするとアクセルは人に教える事が好きなのだろうか、とターヤは漠然と思う。何だか彼に抱くイメージからは、随分とかけ離れている気もしないでもないが。
「その話、あたしも詳しくは知らないし、ちょうど良いわ。教えてもらおうじゃないの」
「ああ、貴様が私よりも知り得ているという事も滅多に無いからな」
 どこか挑発的なアシュレイとエマの言葉に、アクセルが意地の悪い笑みを浮かべた。
「なら、ちょっと聞いてけよ」
 最初は、二人もほぼターヤと同じくらいしか知らない事には驚嘆していた様子だったが、気を取り直してアクセルは語り始めた。
 未だ、その視界には闇魔を捉えたまま。


 魔界二ヴルヘイム。それは常に暗闇と暗黒と、そしてそれらが具現化した氷とに覆われ、全ての外界からは隔離された、純粋な闇魔だけの世界。国や都市どころか、各種機関や建物といった機能や存在さえも無く、ただただ闇に包まれた世界。自然らしきものはあるが、それは毒や熱湯などである為、人間からしてみれば耐えられないであろう地獄。
 かの世界と、この世界モンド=ヴェンディタの間には〈門〉と呼ばれる空間の裂け目が存在し、基本的に闇魔はその境界を通ってこちらの世界に来るそうだ。
 そして、一見すると無法地帯なその世界にも、統治者は居る。名は《魔王》――四神が一角《終焉神ルシフェル》のことを指す。

 ただし、かの《魔王》は、現在は何らかの事情で封印された状態にあるらしく、加えて〈世界樹〉による抑制も働いているので、現在は闇魔の力も制限されており、彼らがこちらの世界を訪れる事は全く持って無い。
「……筈なんだけどよぉ、丁度今ここに一匹居るんだよなぁ」
 説明の後に、神妙そうな顔でアクセルが付け足す。どこか心配しているような、懸念があるような、そんな表情だった。
 ふん、とアシュレイが鼻を鳴らす。
「絶対に境界を越えないって訳じゃないんだから、別にそんな顔になる程の事でもないんじゃないの? それに、見たところあの闇魔は大して強くもなさそうだし」
 しかしアクセルは肯定の意は示さず、頭を掻いただけだった。
「いや、それがそうでもないんだよなぁ」
「どう言う事なの?」
 疑問を面に滲み出してきたアシュレイに、アクセルは答える。
「俺が闇魔を見たのはだいたい数年ぶりなんだけどよ、確か十年くらい前にも何体か見てるんだよ。あの時の奴らは、今そこに居るのとは違って格段に強かったしな」
「けど、闇魔は滅多にこの世界には来ないんでしょ?」
「ああ。けど、あの時見たのは確かに本物だった。禍々しい気配を感じたし、族長達までもが前線に出てきて倒してたからな」
 どこか悔しそうな雰囲気を醸すアクセルの様子を見て、アシュレイは眉根を寄せた。
「『族長』?」
「あ、いや……」
 訝しげな顔を向けたアシュレイに、自分の発言に気付いたアクセルは慌てる。それから誤魔化すかのように、一回咳払いをした後に口を開いた。
「と、とにかく! どーもここ十年くらいは、昔よりも闇魔が頻繁に現れるようになってるみてぇなんだよ!」
「ふぅん」
 追及の鋭い視線を突き刺してくるアシュレイから逃げようと、アクセルはターヤへと話題を振る。
「で、何か他に知りてぇ事とか無ぇのかよ、ターヤ?」
「えっ、えっと……」
 急に話しかけられても特に何も思い付かないターヤだが、アクセルの必死の形相を見ていると、何かしら発言をした方が良いような気がしてきた。
 そのくらい、アシュレイから逃れようとしているアクセルの表情は凄まじかったのである。
「じゃ、じゃあ、あの闇魔には何か名前ってあるの? えっと、モンスターみたいな種族の名前とか!」
 ふと思い付いた質問を投げれば、ここぞとばかりにアクセルは喰らい付いてきた。
「ああ、こいつは《アルプ》って言ってな、夢魔の一種なんだ。今は鳥の姿をしてるけどよ、他にも猫とかみてぇな動物の姿になれるらしいぜ。基本は夢魔だから人の夢の中に入って負の心を増長させようとするけど、吸血鬼的な性格も持ってるんだと」
「吸血鬼って……確か、ヴァンパイアとかドラキュラとか呼ばれてる、相手の血を吸う生き物の事だよね?」
 血を吸われた相手もまた吸血鬼になってしまうあるいはその眷属にされてしまうとか、十字架やニンニクに聖水が苦手だとか、鏡に映らないとか、流れている水の上を渡れないとか、棺桶の中で眠るとか、夜行性だとか。とにかく『吸血鬼』という存在に関する話は、なぜかターヤの頭の中にぽんぽんと浮かんできた。
 相手の考えまでは知らないアクセルだったが、彼女に対して頷く。
「ああ。とは言っても、アルプは吸血鬼としては大して力も持ってねぇし、夢魔としてもあんまり強くはねぇんだけどな」
「しかし、よく知っているな。それ程の知識を貴様はいったいどこで――」
「悪ぃ、エマ。この話はまた後にしようぜ。こっちに気付かれちまったみてぇなんでな」
 怪訝そうに凝視してくるエマをかわそうとして、そこでアクセルは闇魔が自分達に気付いた事を知った。伸ばされた利き手が大剣を掴む。

ページ下部
bottom of page