The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
五章 胎動する闇‐Mule‐(2)
「夜、と言う事は……」
「そのと~り。プライベートだよ~」
開いた口が塞がらなくなる。
驚きのあまり硬直しているユベールをよそに、青年は一人で語り出す。
「寝れなかったから、連絡一つで呼び出したんだ~。それで御茶会してたんだよ~」
楽しかったな~、と思い出して心の底から幸せそうな顔をしている上司を見て、完全に我慢の限界が来た。
「……貴方という人は! 寝れないからという理由だけで人を呼び出すんですか深夜に御茶会ですかそこまで《情報屋》と親しかったんですかと言うか自宅は自分以外立ち入り禁止だから所在不明じゃなかったんですかというかそうやって夜更かしをするから次の日に起きられないんです少しは反省して改善してください!」
「凄いマシンガントークだね~」
けれども、やはり上司には少しも通用していなかった。
なるべく直視しないでいたその事実を改めて認識してしまい、荒い呼吸を繰り返して息を整えていきながら、ユベールは地味に落ち込む。
「彼女は特別なんだよ~。だって《情報屋》だもん」
どこまでも余裕を崩さない上司に鋭い視線を送ってみるも、全く効果は無かった。
「うそうそ~。怒んないでよね~」
「……はぁ」
怒りを通り越して呆れを覚えた。
「でも、彼女は確かに特別だよ~。悪い意味でも、良い意味でも、ね」
「はぁ」
意味深な笑みだったが、面倒すぎて最早気の抜けた返事しかする気が起こらない。
そんな少年の様子を青年は気にせず、内心でも表面でも楽しみながら見ていたが、唐突に彼は子供のような仕草も表情をも止めて、真面目な色をその面に映し出す。
「話は代わるけど、最近は〔暴君〕とか〔騎士団〕とか〔教会〕とかが、ちょーっと怪しいんだよねぇ。〔ウロボロス〕も活動が活発になってきてるし」
「主要な幾つかのギルドが、ですか?」
相手の声色を読み取り、ユベールもまた一瞬で姿勢を正した。
普段は常時おちゃらけている問題児に等しきふざけた上司なのだが、このような表情をしている時は、まさしく二大ギルドの一角を担う巨大ギルドを総括する『ギルドリーダー』そのものを体現しているかのように全てが一転するのだ。
だからこそ、ユベールはここまで彼についてきた。
「うん。みんなして裏で何かしてるみたいなんだよ~。それが大した事じゃなければ別に良いんだけど――」
たった一瞬で、その場の空気が百八十度以上も切り替わる。
思わず背筋を凍り付かせてしまった部下に視線を合わせて、青年はその童顔に似合わぬ笑みで嗤った。
「もしも、こっちにも火の粉が飛んでくるようなら……その時は、きちんと対処しなくちゃ、ねぇ?」
それはまさしく〔モンド=ヴェンディタ治安維持軍〕最高権力者たる《元帥》の貌。
突如として変貌したギルドリーダーに、ユベールは恐怖にも近い感覚を覚えた。
そんな部下の様子にはいっさい目もくれず、すぐに普段通りの表情に戻ったギルドリーダーは、ふと思い付いたように呟く。
「ところで、あっちゃんは今どこに居るのかなぁ?」
「んん……」
ガハイムズフォーリ鍾乳洞にて、相変わらずエマの隣を歩きながら、アシュレイは眉を顰めた。突如として、背筋にどこかで噂されているような妙な感覚を覚えたからだ。
他者には届かない程度の声のつもりだったのだが、エマには聞こえていたらしい。
「どうした?」
「いえ、何でもありません」
たかが確証の無い感覚如きを彼に言おうとも思えず、にこりと笑って誤魔化せば、察しの良い彼はそれ以上の追求をしてはこなかった。
それきり、会話は起こらなくなる――否、最初から一行の間で声は飛び交ってなどいなかった。彼らの間に漂う雰囲気は重く、二人の後方を歩くターヤとアクセルは無言を貫いているからだ。前者は先刻のショックから未だ立ち直れておらず、後者はそんな彼女に気を使って話しかけないようにしているらしい。
あの後、《精霊使い》を食らった《鋼精霊》はどこへともなく消え、続いて〔ウロボロス連合〕の残り二人を連行して〔君臨する女神〕もその場を去り、後には一行だけが残された。そこで我に返ったターヤが慌てて皆を――特にアシュレイの左腕を重点的に治療し、一行は少し休憩を取ってから、ようやく当初の目的地へと向けて進み始めた訳である。
しかし、重い雰囲気に呑み込まれてか、休憩から現在に至るまで、一行の間に会話らしい言葉のやり取りは殆ど無いと言って良かった。
相変わらず蒼白な表情をしたままのターヤを、アシュレイは一瞥する。
(やっぱり、彼女はこっち側の存在じゃない)
今までの戦闘における様子や対応から推測するに、彼女はあまり戦闘に慣れているとは言えなかった。よくよく考えてみればインへニエロラ研究所跡での事もそうだ。記憶喪失である事を抜いたとしても、裏事情における『一般人』が死体を、しかも《殺戮兵器》による地獄絵図を目にして、何も感じない訳がない。
ましてや、今回の事など。
思わず内心で溜め息をつく。最初から最近まで、ずっと彼女には何らかの裏があるのではないかと疑っていた自分が、ひどく馬鹿らしく思えてくる。そして、研究所跡にて知らずとはいえ彼女に向けてしまった盛大な勘違いを、ここでようやくアシュレイは反省していた。
(あれは……流石に失礼すぎたわね)
その謝罪代わりとして、何かしらの策を講じて彼女に気を持ち直させるべきかとも考えてみたのだが、生憎とアシュレイは他人に対して素直になるのが苦手だった。慰めるなど、もっての外だ。
そういう訳で、先程から彼女は内心は複雑になっていたのである。
「……よし」
小さな呟きが耳に届いたのは、その時だった。
「アクセル、ちょっと訊きたい事があるんだけど、良い?」
先程までの沈み具合とは一転、突然、普段通りの様子を見せたターヤに、声をかけられたアクセルは戸惑っているようだった。
「俺は別に良いけど……大丈夫かよ、ターヤ」
「うん、大丈夫だよ?」
笑顔として浮かべられた筈のそれは、どこかぎこちない。
すぐに、空元気だと解った。けれど、それでも尚アシュレイには良い案は思い浮かばず、高いプライドも上乗せされてか、気にしていないかのような態度を貫くしかない。
(そうよ、あたしには、関係無――)
「――?」
心の中で自身に結論付けようとして、唐突に、彼女はその存在に気付いた。
一行の前方には、いつの間にか一匹の鳥が佇んでいた。サイズとしてはターヤの首から下の上半身くらいと、それ程大きくもないが、全身が黒一色な為、異様で不気味な雰囲気を醸し出している。
一度気付いてしまえばその存在感が解るが、ついさっきまでは気配さえ察知できていなかった事に戦慄を覚えた。
(こいつ、いつの間に――)
「何だ、《闇魔》じゃねぇか。久しぶりに見たなぁ」
だからこそ、続いて聞こえてきたアクセルの言葉には、反射的に素早く首が動いた。