top of page

五章 胎動する闇‐Mule‐(1)

「失礼します」
 軽い音を伴ったノックの後に、扉は開かれた。
 室内に入ってきたのは、軍服を纏った少年。背丈は平均よりも若干高く、全体的に大人びた雰囲気を醸し出していたが、その幼い顔立ちが彼はまだ幼いという事実を明るみに出している。
「お疲れぇ~」
 彼に答えて手を振ったのは、長椅子の上に寝転がったぶかぶかの服に身を包んだ――寧ろ、服自体に包まれている小柄な少年、ではなく青年だった。その姿は何とも滑稽だが、これでも彼は、とある大規模ギルドを纏める《ギルドリーダー》である。
「どうだった~?」
 にへら~、とふにゃけた笑顔を向けてくる彼だが、対する少年はいっさい表情を動かさず、
「御報告します」
 と、片手に抱えていたファイルを持ち上げて淡々と読み始めた。
「先日のインヘニエロラ研究所跡での事件の後始末が終了したと、先程帰還したアジャーニ中将から報告がありました。それから、始まりの街エンペサル近くの橋で〔君臨する女神〕が目撃されたそうです」
「何してたんだろうね~ヌアーク~。あー、もしかしてぇ、ま~た可愛い娘でも見つけちゃったのかな~?」
 長椅子の上でごろんと半回転して俯せになってから、青年はある種のからかいを含んだ笑みで指を立てた。
「だってぇ、ヌアークは可愛い子がだ~い好きだから、ねぇ?」
「私には解りかねます。それから、今回彼女は〔ウロボロス連合〕のメンバーと思しき者達と交戦していたとの報告も受けています」
 同意を求めるように送られた視線は、少年によって一刀両断された。
 つまらなさそうに青年は「ぶー、ノってくれても良いのに~」と唇を尖らせて、長椅子の上でひたすら落ちないように何度も器用に転がってから、ふと思いたったように停止し、少年に尋ねる。
「ところでぇ、あっちゃんは~?」
「スタントン准将でしたら、現在はインヘニエロラ研究所跡で出会った三人の《旅人》と行動を共にしているそうです。また、どうやら先のエンペサル橋での一件にも関わっていたとか」
 瞬間、僅かにどこか淡々として告げる少年。
 そちらは見て見ぬ振りをし、青年はやっぱりとでも言いたげな顔をした。
「ん~、わつぃの予測ど~り~」
 楽しそうな上司に部下は黙った。長い間この仕事に勤めている彼でさえ、自身らを統括する青年の言動と言葉遣いにはなかなか慣れない。しかも、仕事中だというのに部下を愛称で呼ぶわ、執務室に居ても長椅子に寝転がって飲食と娯楽に興じているわ、仕事を全く手にも付けずに自分達部下に押し付けてくるわ、などと彼の言動は大よそ一ギルドの長とは思えない程酷かった。給料が高くなければ、とうの昔に辞職していたと断言できる。
(口調はまだ良いとして、その変な一人称は止めてくれ)
「あれ~? ユベール君、今『その変な一人称は止めてくれ』って思ったでしょ~?」
「!」
 唐突に図星を点かれ、ほぼ常時において冷静沈着であった少年が両肩を小さく揺らした。
 その反応を見て、青年は緩んだ笑みを浮かべる。
 ユベール、と呼ばれた少年は思い出したように溜め息を付いた。
「そう言えば、貴方は読心術が使えるんでしたね、元帥閣下」
「えへぇ~」
 その皮肉と取れるにも、青年はだらしなく笑っただけだった。
 少年は溜め息混じりに呆れる。
 と、急に青年の顔に少々、真剣な色が浮かんだ。
「ところでぇ、ユベールく~ん?」
「はい、何でしょうか?」

「突然だけど《巫女》様って見つかった~?」
 彼の口から飛び出て来たその言葉に、少年の動きが一瞬だけ止まる。そしてまた、動き出した。
「いえ、まだです。目撃情報もありません」
「ん~前回から十年も経ってるから、もう顕れてても良い頃なんだけどね~」
「《情報屋》に依頼しますか?」
 ギルド間では『知らぬ者は居ない』と称される程、名の通っている人物を思い出しながらユベールは訊く。
 彼女は相応の対価を支払えば、どのような情報でも与えてくれるのだから。
 しかし青年は首を振り、
「ううん、だってぇ彼女は今〔屋形船〕に居るみたいだし~?」
 彼の言葉に、またも少年は止まった。停止時間は先程よりは短めな数十秒であったが、これは何とも衝撃的な言葉だ。
「《情報屋》が、〔盗賊達の屋形船〕に?」
「うん」
 即答する青年。
「だってぇ、この前そう言われたもーん」
 そして椅子の上で両足をバタバタと振り始めた上司という光景に、肩を圧迫していた重荷が一瞬で吹き飛んだ。
「いつの間に御会いしていたんですか?」
「いつだっけ~?」
 しかし、だらけた笑顔しか浮かべない青年はさりげなく追及の手を許さず、少年は無言で抗議するしかない。
 それと同時に彼は自分なりの推測を組み立ててもいた。この前、と言う事はそれ程昔という訳でもないだろうし、この上司の性質上、あの少女とは会えば最低でも一時間は茶会が開かれている筈だ。
(最近、この人が一時間以上の休憩時間を取った日は……)
 ユベールは隠そうともせずに手帳を取り出し、スケジュールを遡っていく。
 その様子を、相変わらずソファに転がって頬杖を付きながら、上司は含みを持った笑みと共に観察していた。
 素早く目を通しながら高速にも等しい速度で頁を捲っていく少年だったが、目的のものは一つとして見当たらなかった。
(おかしい、最近のスケジュールだと休憩時間は平均でも三十分程度しか取っていない。けれど、この人はプライベートだと関わりを絶って自宅に閉じ籠もっているから、必ず仕事の合間を縫っている筈――)
「十日ぐらい前かな~?」
 彼の思考を読み取ったかのように発された声は、ユベールを動揺させるには十分だった。
「十日前……ですが、その日は確か〔ユビキタス・カメラ・オブスクラ〕のギルドリーダーとの会談の日だったのでは?」
「ううん、間違い無く十日前だよ~」
 気の抜けてしまいそうな声に堪忍袋の尾が切れかけ、その時だけ少年はプライドも何もかなぐり捨てて頁を捲った。示された日付の箇所を三回以上じっくりと確認し、そこを上司だという事も忘れて眼前に突き付ける。
「これでも、ですか?」
 補佐として勤務中は四六時中と言っても過言ではないくらい上司について回っているユベールだからこそ可能な行動であり、それは生真面目な彼が付けている記録だからこそ十分な証拠でもあった。
 しかし、上司たる青年は再度ふにゃけた笑みを湛える。
「違うよ~、その夜に彼女と会ったんだ~」
「は……?」
 彼が何を言っていたのか、即座に理解できなかった。

ページ下部
bottom of page