The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
四十章 決意の果て‐telos‐(8)
「とにかく、〔騎士団〕の誰かが待ち構えていると見て、間違いないんだろうな。クレッソンはまだだろうけど、ブレーズか、それともエマニュエルか」
主に特定の数人へと釘を打つように、レオンスはあえて『彼』の名を上げる。
その名に二人の肩が僅かながらも反応したのを、ターヤもまた見逃さなかった。そっと、胸の前で杖を握る手に、一瞬だけ力を込める。
そうして、どことなく固い雰囲気のまま一行が辿り着いたのは、今までのどこよりも開けた空間だった。そしてその最奥、更に階下――おそらくは氷の洞窟へと続いているらしき穴の前には、アシュレイの言った通り既に先客が待ち構えている。
それは、龍のクラウディアとブレーズと――そして、見慣れた風貌の人物であった。だが、服装はがらりと変わっており、髪は後頭部で纏められている。何より身長に変化は無いものの、その体型は幾分か細くなっていた。
「エマ!」
それでも、ターヤは真っ先に『彼』の名を叫んでいた。男だろうが女だろうが、そこに居るのが自分達の知っている『エマ』だという事には、何ら変わりなかったのだから。
名を呼ばれた『エマ』であった女性は――今代《騎士団長》の快刀クラウディア・エヴァ・パーペンブルックは、僅かに表情を曇らせたようにも見えた。
「クラウ、ここは俺様に……」
彼女の変化に目敏く気付いたブレーズは何事かを言いかけて、けれど途中で口を噤んでしまう。結局、彼は無言で彼女を護るように、その前へと歩み出ただけだった。
龍はそんな相棒を悲しげに見つめ、クラウを睨み付けるように一瞥してから、ようやく彼の隣へと動く。
彼らに庇われるかのような形となったクラウは、さりげなく下がろうとする。
「逃げるの?」
その行動を見て、ターヤは反射的に叫ぶような声を上げてしまっていた。
瞬間、クラウが固まる。まるで凍結されたかのようだった。
責めるような響きになってしまった事は反省しながら、それでもターヤは言わずにはいられなかった。
「エマは、わたし達から逃げるの?」
今にも飛び出してしまいそうな感情を何とか押さえ付けながら、ターヤは非難めいた色を薄めて再度問う。根拠は無いが、ここが最後の機会だと思ったのだ。
アクセルもアシュレイも、誰も口を挟んではこない。
無論、当のクラウ本人でさえも。
「ずっとそうやってたら、何も――」
「クラウを惑わせるな!」
更に続けようとしたところで、ブレーズが武器を手に襲いかかってきた。懇願するような響きだった為か、ターヤは思わず硬直してしまう。
「ターヤ!」
慌ててアクセルは駆け出し、何とか彼女とブレーズの間とに大剣を滑り込ませる。
アシュレイもまた彼女を助けようとしていたのだが、その反応が普段の何倍も遅かったせいか、アクセルが先に動いた事で足が止まってしまっていたのだ。
「っ……!」
相手がアクセルに変わったからなのか、ブレーズは唇を噛んだ。それから声を飲み込んで攻撃してきた為、アクセルも応戦する。
かくして刃を交える事となったアクセルは、そこで相手が本気ではない事に気付く。
「おまえ――」
ブレーズは答えなかったが、肯定の代わりとするかのように、槍で刃の中心を鋭く突いてきた。
クラウディアは、その場から動かない。相棒に加勢する気配すら無かった。
アクセルの背中に庇われる事となったターヤは、それでもクラウから片時も意識を逸らさなかった。言葉にできないのならば視線で思いの丈を伝えようとして、じっと彼女を見つめる。
逆に、クラウは居心地が益々悪くなったらしく、ばつが悪そうな顔付きで少し身を引く。それがターヤの真っすぐな姿勢によるものだという事には、当の本人もまた何となくではあるが気付いていた。
(やっぱり、エマはまだ、本当はわたし達とは向き合えてないみたいだ。ここで引き留めて、ちゃんとアクセルと話し合ってもらわなきゃ!)
新たな決意を一つ抱くと、ターヤは更に気合いの籠った目でクラウを注視し続ける。
その後方で、レオンス達は潜めた声を交わしていた。
「思った通り、アシュレイとアクセルは、エマニュエルを相手にするのはまだ無理みたいだな」
「でも、おに……おねーちゃんたちを倒さないと、下には行けないよね」
エマことクラウの性別を思い出して言い直しながらも、マンスの声は強張っている。
少年の心境に気付いた隣のモナトは、繋いでいる彼の手を、もう片方の手で優しく包み込んだ。そうする事で、彼の不安や戸惑いを和らげようとするかのように。
「エイメのことはターヤに任せるよ。本人も、そうしたいみたいだし」
発言しながらスラヴィが視線を寄越した先では、ちょうどターヤが前方へと向けて一歩を踏み出していた。
弾かれるようにクラウは後退し、アクセル達は思わず手を止めてそちらに注目してしまい、ブレーズは反射的に戻ろうとして停止し、クラウディアは成り行きを見守るかの如く静かに横へと避ける。
この空間の中でただ一人、ターヤだけが動きながら、真っすぐにクラウを見ていた。
「――来たか」
だが、そのぴんと張り詰めた空気を破るように、割り込んできた声があった。
足を止めてターヤが視線を動かした先、階下へと続いているらしき穴からは、いつのまにかクレッソンが姿を現していたのだ。
何が何でも倒すべき相手であり、且つ強大な敵が現れた事で、自然と一行の緊張感は引き上げられる。
特にターヤとオーラは、手に力が籠るのを感じ取っていた。
上司が現れた為、ブレーズは瞬時にその近くまで下がり、クラウもまた動いてその傍に控える。クラウディアは相棒の隣に移動していた。
クレッソンは一行全員を一人ずつ見回し――無論モナトと《氷精霊》にも目を向けてから、再度オーラに目を合わせ、そこで止まる。
「しかし、随分と時間がかかったようだな」
「あんたの用意してた門番に、ものの見事に引っかかってきたって訳よ」
相手の気配に気付けないくらい動揺していた事を誤魔化そうとするかのように、アシュレイはその会話に割って入っていった。現在の全ての意識を、クラウからクレッソンへと向けようとするかのように。
そのような心理を見抜いていたクレッソンは、クラウを意味あり気に一瞥してから、アシュレイを見る。
「なるほど、マンモスと相対してきたという訳か。だが、倒せてはいないようだな」
「足止めはさせていただきましたので、しばらくは追い付いてこれないかと」
「だが、あの魔物は、実に頑丈で強大だ。そう簡単に足を止めさせる事は叶わないだろう」
淡々とオーラが返した内容には、クレッソンが仄かに嘲笑を覗かせる。
そうなれば《氷精霊》が、氷のように鋭く眼を細めた。
『あなたが、氷原の主をおかしくしたのか』
「そういうところなのだろうな」
クレッソンが曖昧ながらも肯定してみせた事で、《氷精霊》が纏う空気が一気に氷点下まで下がる。それでも相手の力量が高い事は察しているらしく、彼女が激情に任せて行動に移る事は無かった。
その反応を見たクレッソンは、小馬鹿にするかのように薄く笑む。
そして、警戒していたが為に彼を注視していたターヤは、この会話で気付いた事があった。
「そっか、あなたは『ひとり』なんだね」
思わず、彼女は悟ったように呟く。
瞬間、クレッソンの表情が初めて歪んだ。その意識が完全にターヤへと集中する。
「ひとり、か。なるほど、なかなかに皮肉な物言いだな、《世界樹の神子》よ」
鋭く射抜くような視線を向けられても、ターヤは今まで感じてきたような悪寒も恐怖も、今は全く覚えなかった。寧ろ、スタニスラフ・クレッソンという人物の本質が、ようやく見えてきたような気がしてさえいたのだから。