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四十章 決意の果て‐telos‐(5)

 彼女の言葉にはマンスが嬉しそうに破顔し、モナトも自分の事のように喜んでいた。
 二人を見た《氷精霊》は、こちら、と何事も無かったかのように一行を先導して、更に先へと進んでいった。それでも、その動作が照れ隠しのように見えたのは、決してターヤだけではなかったのだろう。


 こうして一行が案内されたのは、村から真っすぐ進んだ場所に位置するフィデース雪山の正面、ではなく、少し東寄りに進んだ場所だった。そこには、人二人くらいが通れそうな穴が口を開けている。
 それが不思議だったマンスは首を傾げた。
「何で正面から行かないの?」
『正面は氷に覆われているから』
「でも氷なら、イーチェは何とかできるんだよね?」
 彼の疑問は尤もであったが、《氷精霊》は神妙な様子で首を横に振る。
『あの青い一団からは、異様な気配を感じた。あれは、世界に害をなす存在。私は人工精霊だが、それだけは理解できた』
 相変わらず淡々としているようで、実際はそう振る舞っているだけのようでもあった。『異様な気配』という部分に確信は持てないものの、〈星水晶〉の事か、あるいは別の何かだろうと一行は考える。
『そして、あの青い一団が罠を張っていないとも限らないから、こちらの方が良いと思う』
「そうね。あいつもあたし達が来るのは解ってるでしょうし、そもそもその氷自体、あいつの仕業だとも考えられるわ」
「そっか。ぼく、まだまだだなぁ」
 後押しするかのようなアシュレイの言葉もあって、浅はかな質問をしてしまったと思ったマンスは自分を恥ずかしく感じた。
 すると《氷精霊》は首を横に振ってみせる。
『《水精霊》は、あなたはまだ完全ではないと言っていた。それに、あなたは見たところまだ若い。だから、今はそこまで気にせずとも良いと思う』
 気遣いの色は覗いていたが、決して気休めなどではなく、本心からの言葉だった。表情に乏しい分《氷精霊》の言葉は、モナト同様ストレートなようだ。
 だからこそ、マンスは彼女の言葉に安堵を覚えられる。
「ったく、しつこいわね」
 唐突にアシュレイが発した言葉にターヤは眉を潜めるが、アクセルやレオンスといった面々が構えていた事に気付く。またモンスターが群れをなしてきたのだろうかと推測しながら、彼女は取り出した杖を握り締めた。
 予想通り、またしても一行を取り囲むようにして現れたのは、北大陸に生息するモンスターの群れだった。一行の背後には雪山が聳え立っている為、それ以外の三方に円を描いている。

 ただし、今度はポーラーベアとホワイトフォックスが入り乱れた形となり、その数もまた先程までとは比べ物にならなかった。
『珍しい。彼らが手を組むとは、よほど、あなた達を狩りたいようだ』
 この光景を目にした《氷精霊》が驚きの声を零す。
 普段は捕食者と被食者の関係になる事が多い両者だが、一行が強いと知って、今回は協力する事にしたのだろう。あるいは、先程のリベンジの意味合いもあるのかもしれない。
「こっちとしちゃ迷惑だけどな」
 呆れたように息を吐き出しながら、アクセルは抜刀した体剣を右肩で担ぐ。
 他の面々もそれぞれ武器を構え、スラヴィは既に〈結界〉を張っている。フィデース雪山は目前なので内部に逃げ込む事もできたが、この大きさの穴ならば白熊も入ってこれそうな上、内部がどうなっているのかは判らない。もしも狭かった場合は戦闘が苦しくなる為、それならばこの場で対処してしまった方が良いと、一行は考えていた。
 白熊と冬狐は、じりじりと徐々に包囲を狭めながら一行へと近付いていく。
 眼前の光景から目を離さないように注意しながら、マンスは誰を呼ぶべきか思案する。《火精霊》を村に残してきてしまったので前々回と同じ手は使えず、これ程の数を《氷精霊》に氷漬けにさせる訳にもいかなかったからだ。

「!」
 だが、突如としてアシュレイが弾かれるように、前方から横へと視線を動かす。
 少し遅れて《氷精霊》も同様に、その方向を向いた。
 敵から意識は外さないようにしつつも、何事かと皆は内心で焦る。彼女の反応から見て、事態が良い方向に転がったようではないと予測できたのだ。
「二人とも、どうしたの?」
「鳴き声が、聞こえるのよ」
「鳴き声?」
 振り返らずに返された内容に、ターヤは思わず聞き返していた。
「ええ。これは――」
 彼女が言い終えるよりも速く、白熊と冬狐は皆全身を竦めたかと思えば、次の瞬間には一目散に逃げ出していた。一行のことなど最早眼中に無く、とにかくこの場から一刻も速く逃げ出したいといった様子である。
 突然の事態にターヤ達は困惑し、理解しているらしきアシュレイと《氷精霊》をもう一度見た。
「「!」」
 と、聴覚が何かを捉えた気がして、ターヤは反射的にそちらを見る。

 しかし、自分達以外の生命体は影も形も見えなかったので、気のせいかと胸を撫で下ろしかけた。だが、他の面々も似たような行動を取っていたので、錯覚ではなかった事を知って気を入れ直す。
(何か、鳴き声みたいだったような……)
「来るわよ」
 刺すように鋭いアシュレイの声で我に返れば、彼女も《氷精霊》も緊張しているようだった。けれども、フィデース雪山内部に逃げ込めと言わないところを見るに、何かを図りかねてもいる様子に見える。
 その間にも聴覚が捉えていた何かは、象の鳴き声だと確信できるまでに増大し、同時に周囲一帯に響き渡るような足音も聞こえてくる。巨大な何かが近付いてきているのだと知り、一行は警戒心を益々強めた。
 そうして姿を現した存在を目にした時、緊張に驚きの勝ったターヤは目を丸くしてしまう。
「マンモス?」
 間の抜けた声を発したのは彼女だけで、後の面々は一様に表情を強張らせていた。
 一行の眼前に登場したのは、象の魔物《マンモス》であった。その全長は八メートル程で、牙は五メートルにもなるようだ。全長こそ象と大差無いとは言え、その巨大な牙のせいか、威圧感には大きな差がある。
『マンモスは、ここディディオダートゥム氷原の主だ。滅多に人前には姿を現さないのに』
 一行にのみ聞こえるように《氷精霊》が小声で説明してくれたが、その声は堅い。
 そこから皆は、マンモスの様子がおかしいようだと推測できた。
『氷原の主』
《氷精霊》は声をかけるが、マンモスは聞こえていないかの如く、着々と一定の速度で一行に近付いてくる。その瞳は、濁っているようにも見えた。
 条件反射で一行は構えるが、《氷精霊》は姿勢を変えずに相手を見上げているだけだ。
『様子がおかしい。氷原の主は、明らかな害意と敵意のある者以外とは、常に対話を試みていた筈なのに』
 人工的存在とは言え氷を司る精霊だからなのか、付近に位置する村の守護者だからなのか、とにかく《氷精霊》とマンモスの関係は良好なようだ。そして彼女が言うのだから、マンモスは争いを好まない温厚な性格なのだろう。
 だが、現在のマンモスからは、平和的な意思など汲み取れそうにはなかった。
「おそらくはニスラの仕業かと。大方、魔道具辺りで意思を奪い、時間稼ぎの為の門番に仕立て上げたというところでしょう」
「って事は――」
 オーラの推測と同時に眼を凝らしたアシュレイは、すぐに目当ての物を発見する。
「あったわ、鼻の所。やっぱり魔道具で操ってるみたいね。しかも、どうやらコアは〈星水晶〉みたいだし」

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