The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
四十章 決意の果て‐telos‐(4)
けれども彼女はすぐに、それで良いのだと思った。自分でも知らぬうちに始まって、気付いた時には終わっていた初恋。それは苦く切ないものでしかなかったが、自分とアシュレイとスラヴィだけが知っている、たった一つの秘密なのだから。
(きっと、想うだけじゃ生きていけないけど、想っていた事を胸に留めておくのは大切だと思うし。それに、これはアシュレイ達だけが知っててくれれば良い気持ちだから)
ちょうどアシュレイのことを思い浮かべた時、偶然彼女と目が合った。彼女がアクセルへと呆れを含んだ一瞥を寄越した事で、その意図を知ったターヤは、思わず苦笑するかしかない。
(ん? そう言えば、アクセルは、わたしにも春が来たって言ったんだよね? で、春が来たって言うのは、そういう意味で……)
そこで何かが頭に引っかかり、状況を脳内で整理し始めたところで、ターヤは再び服の裾を引かれた気がした。それにより現実に引き戻された彼女は、少年をすっかり放置するような形になっていた事を思い出す。
「あ、ご、ごめん!」
慌てて視線を戻せば、少年は再び俯いてしまっていた。故に、ターヤの位置からは旋毛しか見えなかったが、服を掴む手に更なる力が籠っているところから、落ち込んで拗ねている事は解った。
どうしよう、とターヤは声には出さずとも慌て出す。一瞬前までの思考は完全に吹き飛び、すっかりと脳内は申し訳無さと、自分に対する呆れで埋め尽くされていた。
彼女の慌てっぷりをアクセルは意地の悪い笑みで眺めていたが、それに気付いたアシュレイから無言且つ、力の籠った肘鉄を喰らってしまう。その衝撃と痛みから腹を抱えて上体を折り曲げた彼へと、彼女は非難の眼を寄越していた。
レオンス達や村民達は、ひたすら暖かな視線を渦中の二人に送っている。
しかし外野の様子になど気付かぬターヤは、何とか少年の機嫌を直すべく、いつも以上に鈍くなった思考を何とか動かしていた。
「え、えっと……君の名前は、何ていうの?」
その結果、結局は名前を訊くところに行きついてしまった訳だが。
それでも、少年は声をかけられた事で少しは機嫌が上昇したらしく、そっとターヤを見上げてきた。すぐには答えなかったが、一分と経たぬうちにゆっくりと口を開いてくれる。
「ジェド」
「ジェド、って言うんだ」
感嘆交じりに少年の名を反芻すれば、眼前の彼の頬に赤みが差した気がした。
「え、どうしたの? 寒いの?」
「おいおい」
アクセルの呆れ声が聞こえてきて、ますますターヤはクエスチョンマークを周りに飛ばす。
人の感情の機敏には意外と敏い筈のターヤも、こちら方面にはてんで疎すぎる、と仲間達の誰もが思った程だ。
そんな事になど気付かない当の本人は、何となく一つの可能性に思い当たっていた。
「あ……もしかして、わたしと話がしたいの?」
実際のところ赤くなっていた理由ではなかったのだが、それはそれで正解だったらしくジェドが頷く。未だその顔は俯き気味だったが、未だ頬は赤く染まっているように思えた。そんな彼を微笑ましく思いながら、彼女はゆっくりと優しく言葉を紡ぐ。
「そうなんだ。えっと、じゃあ、ちょっと待っててくれる? わたし達は、これから大事な用があるんだ。それを終わらせたら、ちゃんと戻ってくるから、その時にいっぱい話そう?」
「! う、うん!」
初めて発された声に内心驚きつつも、ターヤは微笑んで彼の頭を撫でた。
ジェドは驚きを見せたものの、擽ったそうに首を竦めつつ、嬉しそうな表情で受け入れる。
この光景を外野は時に微笑ましげに、時に揶揄の色を含んだ顔で眺めていた。
「じゃあ、行ってくるね」
何としてでもクレッソンを止めるのだという決意も込めて、ターヤは約束するようにジェドへと声をかける。
「いってらっしゃい!」
すると、それまでの無言っぷりもどこへやら、ジェドは元気よく彼女に答えてみせた。その言葉を胸中に抱き留めながら、ターヤは皆を率先するかのように、村の外へと踏み出していったのだった。その後ろで、本当にあの子が成長した姿みたいだ、などと呟かれていた事など知らずに。
そうして、ようやく目的地へと向けて進み出した一行であったが、アクセルはその事をいつまでも引っ張っていた。
「いやぁ、しっかしあのターヤにもようやく、なぁ」
「アクセル、しつこいよ」
ターヤ本人としては鬱陶しくて仕方が無い為、ついつい対応も粗雑且つ冷ややかなものになる。これから自分達は世界の命運を左右してもおかしくない戦いに挑むというのに、随分と緊張感が無いものだと彼女は呆れていたのだ。
だが、その他の面々は密かに気になっていたので、さりげなく聞き耳を立ててもいた。何せ、自分のことには鈍感なターヤである。
スラヴィも無表情を装いながら例外ではなかったが、オーラだけは相変わらず既に知っていたかのようである。
当のアクセル自身は気にした様子も無く、あくまでマイペースに言葉を紡いでいた。おそらく彼なりに、決戦前に緊張しすぎないよう気遣っているのだろうが、それにしては、とんだ野次馬根性である。
「何せ、俺らの中で浮いた話が無かったのって、おまえくらいだろ? 俺はアシュレイとだし、レオンは片想いだけどオーラとだろ、マンスはモナトと結婚まで漕ぎ着けやがったし、スラヴィはあの占い師の……」
名前が出てこなかったらしく、アクセルはそこで言葉を詰まらせる。そもそも彼女が名乗っていた時、その場に彼は居なかった筈だとターヤは思った。
アシュレイは赤くなった顔ごと視線を逸らし、レオンスは苦笑し、真っ赤になったモナトにはマンスが笑いかける。
そしてスラヴィは無視しようかと思ったが、口は無意識に動いてしまっていた。
「イーニッド。と言うか、俺と彼女が恋仲に見えるの?」
「そうそう、イーニッドな。つーか、俺としては冗談のつもりだったんだけどよぉ、実際のところはどうなんだよ?」
どう答えるのか興味があったターヤもまた、そっと彼に視線を向ける。
「さあ? 好きに想像して良いよ」
けれども、スラヴィは普段通りの表情ではぐらかすだけだった。
これにはアクセルが降参だとばかりに、後頭部を掻く振りをする。
「はぐらかされちまったか」
「ともかく、これでおまえと……じゃなくて、おまえだけ浮いた話がねぇって解っただろ? しかも、おまえはあれだからな、いろいろ弄りたくもなるんだよ」
アクセルは咄嗟に取り繕ってはいたが、彼がエマの名を口にしかけた事は皆、察しがついていた。
それを瞬時に察したアシュレイは、あからさまに溜息をついてみせる。
「「!」」
だが、そこで彼女やレオンスといった面々は、接近してくる気配に気付いた。臨戦体勢となった一行の前に現れたモンスターの群れを見て、スラヴィが呟く。
「今度は狐の群れだね」
冬狐――寒い地方に住む狐のモンスター《ホワイトフォックス》達は、先刻のポーラーベア達と同じく一行を取り囲んでいた。その眼付きもまた鋭く、やはり食糧に飢えている事を窺わせる。
あの村に《氷精霊》が居てくれて良かったと、それを見たターヤは心の底から思った。
すばやくスラヴィが全員を〈結界〉で包み込み、前線組が構えると同時、冬狐の群れは一行目がけて飛びかかってきた。
だがしかし、彼らは接近する事も許されず、瞬時に凍結されてしまう。
「「!」」
即座にオーラが居る方向を振り向いた一行は、その術者が彼女ではなく《氷精霊》である事を知った。十年にも渡って村を守り続けてきた彼女に、ここまでの力が残っているとは思ってもいなかったのである。
マンスに至っては、彼女の力を過小評価していた事を、声には出さずとも悔やんでいた。
「これが、イーチェの力なんだ」
『違う。これは《精霊王》のおかげ』
驚きのあまり瞠目するターヤの呟きは《氷精霊》が否定する。
『《精霊王》が私の存在を保っていてくれるから、私はこちらに集中できる』