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四十章 決意の果て‐telos‐(20)

 名指しにされて、思わずターヤは怯みかけた。
 これ以上好きにはさせまいと、闇魔と戦っている面々以外は、彼女を護るべくクレッソンの前に立ち塞がる。
 同時に自らを叱咤できたレオンスは、再び闇魔の対応へと戻っていっていた。
 それでも、クレッソンの余裕は石造の如く不動だ。
「あなたは、何がしたかったの? どうして、ここまでして世界を掌握したかったの……?」
 何とかして震える心身を落ち着かせようと、ターヤは彼へと疑問をぶつける。しかし声は、やはり震えてしまっていた。
「何がしたかった、か」
 けれどもクレッソンは、まるで過去に思いを馳せるかのように思考へと傾いただけで、彼女の揚げ足を取ろうとはしなかった。
「貴女は、私を愛に飢えていると言ったな。確かにそうだ。早くに父も母も無くしていた私は、愛情を注がれる事は無かった。愛が、欲しかった」
 まさか、他ならぬクレッソンが『愛情』について語るとは思ってもいなかった為、ターヤは声も出せずに話を聞いているしかない。
 その間にも、彼の話は脈絡も無く進んでいく。
「初めて《神器》を、彼女を目にした時、私の中には大きな衝撃が走っていた。私は、魅せられたのだ。その強大さに、暖かさに。私は、《神器》の力が、彼女が欲しかった、父を殺した彼女が、私を裏切った彼女が憎かった。彼女に、私の力を見せつけてやりたかった」
 まるで数人分の意識が混ざり合っているかのように、クレッソンの言葉には今までのような纏まりが見受けられない。問いに対する明確な答えというよりは、不明瞭な独り言のようだった。
 ふと、ターヤはこの言葉で《世界樹》が〈マナ〉について教えてくれた時の事を思い出していた。その名の元となった彼女は〈マナ〉が『愛』のようだと言ったらしい。
 例外無く《神器》の力も源もまた〈マナ〉である為、まるでクレッソンは《神器》の『愛』に触れたと言っているかのように聞こえてしまったのだ。
 だが、オーラは自分を実験体として扱った彼らを快くは思っていない。

 その事を思い出せば、ターヤには何とも皮肉な話に感じられてしまった。
「そして、私は運命を変えたくもあった。父を殺したこの理不尽な世界に、復讐してやりたかったのだ」
 後半はもう、自分本位な部分をも含んだ私怨となっていた。
 闇魔と交戦したままの面々にも彼の言葉は聞こえているらしく、マフデトが一瞥を寄越す。
 クレッソンはそこで言葉を切った。
「ところで、貴女は自らの祖とも言える《王冠》に興味は無いか」
 次は何が来るのかと身構えていたターヤは、世間話の一端かのような気軽さで向けられた予想外の内容に、ついつい張り詰めていた気を抜かされてしまう。しかしそれは、オーラがこの場に居たのならば、言い終わる前に妨害しているくらいの効果であった。
 なぜなら、それは対《世界樹の神子》用にクレッソンが用意していた切り札だったのだから。
 策が滞りなく進んでいる事に対し、彼は笑みを深める。
「貴女達《世界樹の神子》の起源である《王冠》は――レン・ケテル・コクヨノミヤは、闇魔を生み出した一人でもある」
 え、と零されたのは、いったい誰の声であったのか。
 思わず攻撃の手が止まってしまうくらい、皆が受けた衝撃は強いものであった。ただしクレッソンに命令でもされていたのか、その隙を闇魔が狙ってくる事は無かったが。
 《光精霊》だけは闇魔への攻撃を止めないでいたが、やはり、きりが無かった。
 そしてターヤは、途端に自らの奥底で帯同し始めた熱い何かに、意識を流されかけていた。同時に、自分の中にヒビが入ったかのような感覚をも覚えてもいる。
(何、これ……!)
「実に皮肉なものだな。《神子》とまで呼ばれた《セフィロト》のリーダーが、まさか《世界樹》の大敵である闇魔の起源の一端を、担ってもいたのだから」
 彼女の中に生じた綻びを見逃さず、クレッソンは畳みかけていく。

「ターヤ、そいつの言葉を聞くな! 耳を塞げ!」
「そんなの嘘に決まってるよ、おねーちゃん!」
『ターヤさま、ご自分を保ってください!』
 ようやく我に返ったレオンスやマンス、モナトが叫ぶが、クレッソンの笑みは変わらない。
 渦中の人物たるターヤの耳に彼らの声は届いていたが、それよりも内部に生じた割れ目の進行速度の方が強かったのだ。呼吸が、ままならない。まるで自分のものではなくなってしまったかのように、身体は殆ど動かせなくなっている。
(何、で……何なの、これ……!)
 現状の理由が解らず、ターヤは恐怖に襲われる。それでも『ルツィーナ』のせいではない事だけは理解できた。
「やはり《セフィロト》の第一位とは言え、一人の人間でしかなかったという事だ。奥底にこびり付いていた妹に対する嫉妬心が、大敵である筈の私達に共鳴してしまったのだから」
 ますますクレッソンの言葉は複数人の意識が交じっているかのような様相となっていたが、凄まじい速度で『自分』を壊されかけているターヤは気付けない。最早、クレッソンが最初に言っていた内容すら、頭の中から吹き飛んでいた程だ。
 そんな彼女の様子を、クレッソンはこれ以上愉快な事は無いとばかりに見下していた。
「てめぇ、ターヤに何をしたんだよ!」
「私は、彼女には何もしていないのだがな」
 アクセルの怒号に、クレッソンは肩を竦めてみせるだけだ。
『どこからどう見たって、あんたの仕業でしょうが!』
 吠えると同時にマフデトはクレッソンに飛びかかろうとするが、その軌道上に何対もの闇魔が割り込んできた為に思わず躊躇してしまう。それでも即座にその間を縫っていこうとするが、彼女を防がんと大量の闇魔が殺到してきたので先には進めなかった。
『ちっ……ターヤ、しっかりしなさい!』
 結局マフデトもまた、彼女の目を覚まさせようとして叫ぶ事しかできなかった。
 スラヴィと精霊達は、口を噤んでしまっている。
 あくまでも自分の思い通りに運んでいる状況に満足した様子で、クレッソンは彼らへと状況を説明してやる。
「打撃を受けているのは現在のケテルではなく、彼女の魂に残っている《王冠》の記憶、つまりは原罪の記憶だ。私は、尤も忌まわしいその事実を掘り起こしてやっているに過ぎない」
 何を言われているのか解らない彼らを置き去りにして、クレッソンの視線はターヤへと戻った。
「そして私が揺さぶろうとしていたのは、何も《神器》の精神だけではない。貴女とメイジェル・ユナイタスの間に火種を放った事自体が、貴女の精神に綻びを生じさせておく為だったのだ」
 その言葉で、ターヤは自らへと向けられた親友の憤怒を思い出す。自分を殺そうとした彼女の形相が浮かんだ時、今まで以上に裂け目が進行した気がした。
「っ……!」
 胸部に強い痛みを感じ、思わず彼女はそこを両手で握り締めるようにして掴む。取り落した杖が、からからんと音を立てて転がった。
(いた、い……でも、これは、胸の、痛みだ。あんな事を、してしまったから……少しでも、あの子を、疎んでしまったから。でも、それでも、あたしは、どこまで真っすぐで強いあの子が、誰よりも羨ましかったんだ……!)
 思考に誰かの意識が交じってきていたが、もうターヤはその事にすら気付けない。
「ターヤ!」
 誰かに焦ったような声で名前を呼ばれるも、最早ターヤは自らの意思で『自身』を制御できなくなっていた。主導権は、彼女の許には無かった。
 これを見たクレッソンは、駄目押しの言葉を告げる。
「結局、貴女は《勇者》の足元にも及ばなかったという事だ、《王冠》」
 そして、その一言が止めだった。
 その瞬間、一気にヒビは拡大し、ターヤは今までの比ではない激痛に襲われる。

「あぁぁぁぁぁ!!」
 自分のものではない悲痛な叫びが、喉から迸った。そしてターヤに残っていた彼女自身の意識に反し、身体は残っていた全ての〈マナ〉を、先刻の〈星水晶〉のように周囲へと向けて暴発させる。
 それは仲間達どころか、闇魔をも飲み込む。
 けれども、ターヤは周囲の様子どころか、自らの視界すらも既に保ってはいられなかった。深い穴へと今まさに落ちようとしているかのように瞼は閉じかけ、何も考えられなくなり、そしてそのまま急降下していく。その途中で、脳の奥から誰かの嘆きのような叫び声が聞こえた気がして、
 そして、全ての意識が闇に呑まれた。

  2014.10.20
  2018.03.19加筆修正

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