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四十章 決意の果て‐telos‐(2)

「すぐには信じられないと思うけど、ぼくは、ぼくの意志と前の《精霊女王》の意志で、きみたち精霊みんなを助けたいんだ。だから、ぼくが信じられるようになるまで、ぼくを見ててほしいんだ、イーチェ」
「モナトも、まだ一人では歩けませんが、できることをします! だから、オベロンさまを、オベロンさまを信じるモナトを、信じてください!」
 マンスが隠さず真っすぐに訴えれば、モナトも真摯な態度でまた彼を後押しする。
 自分よりも小さな二人に、拙いながらも裏の無い言葉でそう言われた《氷精霊》は、思わず呆気に取られた様子となっていた。
『いえ……こちらこそ、〈結界〉の方に集中していたとは言え、すぐ気付けずにすまない。ところで、その「イーチェ」と言うのは……?』
 殆ど無意識下の発言だったらしく、言われて初めて気付いたマンスは慌てて説明する。
「あ、いきなりごめんね! サラマンダーとかウンディーネみたいに、君の名前だよ! 『氷精霊』って意味なんだ」
『イーチェ……良い、名前だと思う。ありがとう、我らが《精霊王》』
 再度その名をなぞってから、《氷精霊イーチェ》はここで初めて、仄かながらも嬉しそうな笑みを零していた。そして跪くような姿勢となって頭を垂れ、礼を述べる。
 彼女の返答にマンスは顔を輝かせると同時、安堵してもいた。いつも相手から答えが返ってくるまでは気に入ってもらえたかどうか判らない為、不安に襲われ緊張しているのだ。
 その隣でモナトは、良かったですねと伝えるかのように手に力を込めていた。
 一方、そのやり取りを目を丸くして見ていた老婆は、会話が途切れて間ができたそのタイミングで口を挟む。
「《氷精霊》様、その子達とお知り合いだったのですか?」
 先程の反応からしても、彼女は精霊についてはそこまで詳しくないのだろうとターヤ達は結論付けていた。
 同時に姿勢を元に戻した《氷精霊》は首肯する。
『はい。この御二人は、私達精霊を総べる王と女王だから』
「あら、まぁ!」
 予想通り、《氷精霊》が説明したところで、ようやく老婆は理解したようだった。それまでは殆ど動きを見せなかった顔が驚きに染まり、視線がマンスとモナトに移る。こんなに若い子達が、という驚嘆が、その目には表れていた。
 そこでマンスは思い浮かんだ事があった。
「サラマンダー、ウンディーネ!」
 名を呼べば、二人はすぐに姿を顕す。
 この流れを見ていたターヤ達は、やはりもう魔術無しでも喚び出せるのだと実感し、老婆はますます驚愕に見舞われているようだった。
 そして、《氷精霊》は声も無く顕れた《火精霊》と《水精霊》を見ている。その目は先程ではないにしろ、見開かれているようでもあった。
『あら、何の用かしら、新たな《精霊王》様?』
『ウンディーネ』
 どこかからかうような声を出した《水精霊》には《火精霊》が苦言を呈す。
『だって、まだ完全には精霊になっていないんでしょう?』
「うん、まだだよ」
 しかし当の本人は特に気にする訳でもなく、あっけらかんとした様子で肯定する。
 これには《水精霊》の方が不意を突かれたような顔となった。
『一本取られたな』
 顔付きは変えぬまま《火精霊》が追い打ちをかければ、彼女は流れるような動作で口元に手を添える。誤魔化そうとしているのだとは知りながらも追及する事はせず、彼は現在の主へと声をかけた。
『それで、用向きは?』

「あ、うん。サラマンダーには、ぼくらがやるべきことを終えて戻ってくるまで、ここの人たちをずっと暖めててほしいんだ。イーチェはずっと一人で頑張ってきたんだから、そろそろ休まないと、倒れちゃうかもしれないし」
 思ってもいなかった彼の言葉に《火精霊》は驚きを露わにするも、すぐに頷いてみせた。
『了解した』
『《精霊王》……』
 逆に、気遣われたのだと知った《氷精霊》は申し訳無さそうな、けれどもどことなく嬉しそうな表情になる。
 少年が見せた大人顔負けの気遣いにはターヤ達や老婆だけではなく、《水精霊》もまた少なからず驚嘆した。まさかここまで成長していたとは、思ってもいなかったからだ。レオンスに至っては完全に叔父の顔になっていた。
 ただし、唯一モナトだけが最初から解っていたような顔をしている。
『あら、サラマンダーが居なくて大丈夫なのかしら?』
 このままやられっぱなしではいたくなかったらしく、ここで《水精霊》が静かに反撃へと打って出た。四精霊一の攻撃力を誇る彼が戦闘時に不在でも大丈夫なのか、と暗に言っているのだ。
 しかし、現在のマンスはすっかり《精霊王》としての顔になっていた。
「ウンディーネ、前からこっそり〈マナ〉をどこかに流してたよね。それも全部、イーチェの為だったんだよね?」

 問いかけてこそいたものの、そこには確信が籠っていた。

「でも、ずっとここを守ってたのなら、イーチェも疲れてると思うから、休ませてあげたかったんだ。サラマンダーなら村中をあったかくしてくれるし、ウンディーネたちだけでも、だいじょぶだって知ってるから」
《火精霊》を見上げてから《水精霊》に視線を戻した少年の言葉には、今度こそ彼女が呆気に取られたような顔になる。常にどこか余裕染みていた彼女にしては、非常に珍しい様子だった。
『サラマンダーには知られていたけど、まさかマンスにまでバレているとは思わなかったわ』
 それでもすぐに普段通りの表情に戻ると、彼女は降参だと言わんばかりに眉尻を下げた。先程の分も合わせてという様子だ。そしてそこには、新たな王から向けられた信頼に応えたいという思いが滲んでもいる。
『やっぱり、あなたの精霊に対する意識の向けようには、誰も敵わないわね』
 この言葉には、当然だと言わんばかりにマンスが笑んでみせた。
「だって、ぼくは精霊が大好きだもん!」
 つまり、だからこそ精霊のことはよく見ていると言いたいのだろう。
 すっかりと大人びつつも子どもらしさも残っているマンスを見ながら、ターヤは姉のような心境になっていた。それと同時に、自分も先に進まねばという気持ちにもさせられる。胸に抱えた決意がその大きさを増した。
 そんな彼女の眼前では《水精霊》が母性を面に覗かせている。
『そうね、だからこそ、あたし達はあなたを選んだのだもの』
 彼女の呟きには《火精霊》が首肯の代わりとばかりに、そっと瞼を伏せた。
 マンスはそんな彼ら二人を見ていたが、重要事項を思い出して《氷精霊》へと向き直る。一瞬前までとは打って変わり、どこまでも真剣な顔付きだった。
「イーチェ、ぼくと〈契約〉しよう。そしたら、きみもみんなも助けられると思うんだ。きみがこの村を守りたいなら、精霊界にいなくてもだいじょぶだし、ぼくも何かあった時以外、喚ばないようにするから」
 人工精霊である《氷精霊》の不安定さや《水精霊》の負担を解消する為にも、マンスは《氷精霊》へと〈契約〉を持ちかけていた。《精霊王》となった今ならば、《鋼精霊》の時のように他者をも巻き込む事態にはならないと確信できていたからだ。その発言の端々にも、精霊に対する強い思いやりが見え隠れしている。
 先日の一件が身に新しいターヤ達は不安が頭をよぎるも、それも一瞬の事だった。
 そして、提案された当人たる《氷精霊》は逡巡している様子だったが、マンスの真っすぐな目に押されたらしく、ゆっくりと頷いた。
『《精霊王》が、そう仰るのなら』
 返された答えには、マンスがぱぁっと花開くような笑顔を見せる。だがしかしすぐに引き締め直し、眼前に浮かぶ《氷精霊》へと手を差し出した。
 同時にモナトがそっと繋いでいた手を離し、ゆっくりながらも一歩だけ下がっている。

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