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四十章 決意の果て‐telos‐(1)

「おやおや、これは珍しい。客人がここに来るなんてねぇ」
 野次馬の如く集まってきた村民達の中から姿を現したのは、一人の老婆だった。どうやら彼女は村長らしく、村民達を代表するように一行を見て、驚きの声を上げる。その身体はもこもことした温かそうな服に、頭や手に至るまでしっかりと包まれていた。
 ターヤ達もターヤ達で、状況がよく解っていなかった。確か、北大陸は人の住めない地域と化しており、それはここに来るまで彼女達自身が体験済みである。だからこそ、最早ここには人っ子一人も住んでいない筈だったのだ。
 老婆は笑みを湛えながら一行を眺めている。返事や質問を待っているようでもあった。
「あの、皆さんは、ここに住んでるんですか?」
 何か言わなければと思ったターヤは、咄嗟にそう訊いていた。そうして言ってしまってから、何とも阿呆な質問だったと我に返る。途端に多数の人々の視線に晒された気がした。
 彼女が真っ先に口を開いた為、残りの面々は老婆の返答を待つ事にする。

 ただし、彼女達がこの場所に住んでいる事と、北大陸のみに住んでいたとされる、寒さに強い民族《冬雪族》である事は、確信していた。
「ええ、驚かれたでしょう? ここは人の住めない土地だなんて言われてるし、実際そうだからねぇ」
 しかし、老婆は気を悪くした様子も呆れた様子も無く、解るよと言わんばかりに頷く。
 その態度には、アクセルが訝しげに眉を寄せた。
「なら、どうしておまえらは、こんな所に住んでるんだ?」
「見たところ、高度な〈結界〉が張ってあるようだし」
 スラヴィもまた頭上の薄い膜を見上げながら続ければ、老婆は何でもない事のように告げた。
「ああ、それは《氷精霊》様のおかげですよ」
「「!」」
 途端に、一行――特にマンスとモナトが過剰な反応を見せたのは言うまでもない。
「ここに精霊が居るの!?」
 残りの面々もまた驚きつつも、〈結界〉が張られている理由と、彼女達が今も尚ここに暮らしていられる理由を察した。
 これ程の吹雪から一つの村を護る為の〈結界〉を構築し続けるには、よほどの術者でなければいけない。術者の交代により受け継ぐ事も可能だが、その際には少なからず空白の時間が発生してしまい、一時的に〈結界〉は解けてしまうものだ。術者が何人も居ればそれは起こらないが、そもそもそれ程のレベルの術者が、この小さな村に何人も居るとは思えない。

 しかし、水から派生した〈氷〉を司る《氷精霊》が居るという事は、氷の結晶である雪への対処が可能という事でもあったのだ。
「ええ。何はともあれ、そこはまだ寒いでしょうから、まずは村の中へどうぞ」
 老婆がそう言えば、村民達が横に逸れて道を開けてくれる。
 確かに、幾ら村の出入口付近に居るとは言え、一行はまだ村を追う〈結界〉の外に居た。一応オーラのおかげで寒さも雪も気にはならないが、彼女らの気遣いを無下にする訳にもいかず、また精霊――おそらくは人工精霊が居るならばマンスとモナトは意地でも残るだろうと思われた為、一行は「お邪魔します」などと口にしながら、村に足を踏み入れていく。
 村の中にも雪が無い訳ではなかったが、それでも村外に比べれば明らかにその量は少なく、吹雪いてもいなかった。オーラの魔術が既に解かれているのか否かはターヤには判らなかったが、中でも変わらず寒さは感じなかった。
(それにしても、何かずっと見られてるような……)
 先程の問いの時から感じている視線は、まだ途切れる事が無かった。そっと窺うように振り返ってみれば、隠す事無く村人達は、まじまじと見つめてくる。彼らの顔は皆、驚きに満ちていた。何だかよく解らないターヤだったが、不快な訳ではなかったので、気にしない事にしようと自分自身に言い聞かせる。
 そうして、まず先に通されたのは、村の集会場と思しき場所だった。外観通り、内部もまた天上が高く円形状になっており、至る所に座布団が置かれている。

 村民達も久々の客人に興味津々らしく、人二人くらい通れそうな出入口から、茸のように顔を覗かせていた。
「さて、いらっしゃい、お客さん方。ここは何も無い所だけど、ゆっくりしていってねぇ」
 一行全員が座布団上に腰を落ち着けたのを見てから、老婆は口を開き直す。
 あまり悠長に事を構えてはいられない一行だったが、茶を濁すように曖昧に笑うしかなかった。

「あの、おばーちゃん、それで《氷精霊》って……?」
 マンスもまたその事は解っていたが、気遣ってくれている仲間達に感謝しながら、遠慮がちに口を開く。催促しているようで気が引けたが、あまり時間をかけすぎるのもどうかと思ったのだ。
 老婆は言われて思い出したらしく頬に手を当てた。
「ああ、そうだったねぇ。《氷精霊》様は、〈竜神の逆鱗〉より前からこの村に居てくださる、ありがたい精霊様ですよ。吹雪から村を守ってくれているあの〈結界〉も、《氷精霊》様が張ってくださったものでねぇ、おかげで私達は今日まで、ここに住んでいられるのですよ」
 やはりか、と一行は自分達の予測が正しかった事を知る。
「あの、その人に、会えたりしませんか……?」
 モナトもまたマンスと同じ思いであった為、相手の様子を窺いながら問うてみる。
 すると予想外にも、老婆はあっさりと頷き返した。
「ええ、久々のお客さんですし、《氷精霊》様も喜んでくださるでしょう。また歩かせてしまいますけど、ついてきてくださいな」
「うん! ありがと、おばーちゃん!」
 途端に顔を輝かせたマンスに続き、ターヤ達も大丈夫だと動作で告げてから立ち上がる。
 村人達は一定値まで興味の度合いが下がったのか、視線は寄越しても、ついてくる事は無かった。
 かくして、一行が次に案内されたのは、村の最奥に聳え立つ神殿だった。聖都シントイスモのサンクトゥス大聖堂や、廃棄された神殿などと比べると小さいが、家や集会場と比較すれば格段に大きい。その後ろには、フィデース雪山と思しき大きな影が見えた。
 その影を見上げた時、ターヤは背筋を、温度とは異なる寒さが駆け抜けたように感じて足を止めていた。
(あそこで、クレッソンが……)
 身体の横に下げていた両手をぎゅっと握り締めてから、彼女は何事も無かったかのように皆に続き、神殿の中へと足を踏み入れていく。
 神殿の中には必要最低限の灯りしか灯されておらず、厚い雲に覆われて陽光の差さない外よりも暗かった。気温もまた外と比べると低めのようで、ひんやりとした空気に剥き出しの肌を撫でられたターヤは、胸の前で左手に右手を重ねる。
 出入口を潜って少し歩けば、一行はすぐに祭壇が置かれた広い空間へと辿り着いた。その上には、一人の少女らしき人影が浮かんでいる。その全身には淡い水色の光が纏われており、一行には一目で精霊だと判別できた。その感情に乏しそうな顔付きから、氷を司るだけにクールな性格なのだろうか、とターヤは予想する。
 そしてマンスは、精霊に会えた事で胸の奥を熱くしていた。
「あの人が、《氷精霊》……」
「ええ、あの方が、私達を守ってくださる《氷精霊》様ですよ」
 少年の歓喜を隠しきれない呟きには、どことなく嬉しそうに老婆が応える。客人が自分達の『守り神』と会えて喜んでくれている事を、好ましく感じているのだろう。
 と、ここで訪問者の気配を感じ取ったのか、あるいは声が耳に届いたのか、それまで保たれていた静寂を破られた《氷精霊》が、ゆっくりと下ろしていた瞼を上げた。瞬間、その水色に輝く両目が大きく見開かれる。
『あなた達は、まさか……《精霊王》と《精霊女王》?』
 やはり気配で解るのかと皆は感じ、老婆は突然の単語に不思議そうな様子となる。
 ターヤは皆と同じ感想を抱きつつ、表情に出にくいだけなのかと思ってもいた。
 そのような空気の中、マンスはモナトの手を引いて祭壇へと近付いていく。《氷精霊》と無理なく視線が絡まる位置まで来たところで、彼は立ち止まった。
「うん、ぼくが新しい《精霊王》なんだ」
 そうして自信を持って頷いてみせた少年に、精霊は更なる驚きを顕にした。
『やはり、あなたが……』

インヴェルネーヴェ

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