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四十章 決意の果て‐telos‐(11)

「っ……!」
 思わずターヤは唇を噛む。疲労の色を覗かせているのは彼女だけで、クレッソンだけが笑みを絶やさない。
 これで、もう何度目になるかも判らなかった。何とかして状況を動かそうとターヤが参戦の意を固めたのは良いが、どれだけオーラと同時に魔術を使おうと、相手がオーラの魔術を消した隙を狙おうと、オーラが一度に幾つもの魔術を発動しようと、結局は〈反魔術〉により全て無効化されてしまっていたのだ。
 まさか同時に二つ以上の魔術を消せるとは思ってもいなかった為、ターヤだけではなく、オーラの顔付きも渋くなっている。

 そもそも〈反魔術〉で相殺できる魔術は、下級だろうか上級だろうか、同時に一つだけなのだ。

 故にオーラの眼は時おり、その絡繰りを探して四方八方へと動いているようだった。
 ターヤは眼前のクレッソンから意識を逸らせる自信が無かったので、せめてもの反撃として彼を睨み付けたままだ。
 仲間達の姿は、とうに見えない。現在の落下すらクレッソンの仕業である事が解っているので、彼らは別の場所に行かされてしまっている可能性は充分に考えられた。何せ、クレッソンは《神器》と《神子》を利用しようとしているらしいのだから。
 それどころか、一緒に落ちていた筈の氷の破片すらも、その殆どが姿を消していた。やはり、相手が〈星水晶〉の力で移動先をコントロールしているという考えは、少なからず当たっているのだろう。
(でも、やっぱりクレッソンが凄いのもある)
 幾ら〈星水晶〉自体の力が膨大だとは言え、使い手の力量による部分も少なからずある。先刻オーラが口にしたように、原石のまま自在に使用しているところや、一度に〈反魔術〉や足場の浮遊など複数の事をこなしているところも、そうだ。
 すっかりと固定されてしまった状況にターヤが焦りを募らせていた時、足場である氷の降下速度が徐々に遅くなり始めた。それもすぐに終わり、氷が何かと軽く接触したような音と共に、足場は完全に停止する。
「ようやく着いたようだな」
 ここで初めてクレッソンは二人から視線を外し、辿り着いた先へと移した。
 ターヤとオーラもまた、釣られるようにしてそちらを見る。
 三人が到着した先は、先程の場所よりも開けた広い空間だった。ただし、空間全体が仄かに暗くなっており、どこか息の詰まりそうな圧迫感を有してもいる。また、陸地は殆ど無く、面積の大半は凍り付いた湖のようだ。見上げれば、遥か上空に穴らしきものと、壁伝いに構築されている螺旋階段が見えた。
「ここは、古代地底湖のようですね」
 注意深く周囲を見渡しながらオーラが呟く。どうやら、落下しているうちに氷の洞窟の最深部まで降りていたようだ。
 クレッソンは一足先にそこから地面に降り立つと、真っすぐ湖に向かっていく。
「あれって……!」
 そして視線を巡らせていたターヤは、その先に位置するあるものに気付いた。
 それは、今まで目にしてきた比ではない大きさの〈星水晶〉であった。中に人一人ならば入れるのではないかと思ってしまうくらい巨大なそれは、光を帯びた状態で湖面の中央に浮かんでいた。そして、その下部を取り巻くように、掌サイズくらいの〈星水晶〉が幾つか浮遊している。
 おそらく、これらもクレッソンが用意した物なのだろう、とターヤは直感的に悟っていた。この場所に来るのは初めてで、根拠も何も無かったのだが、感覚がそう訴えていたのだ。

 そして、これこそが彼の持つ最大の切り札であり、今までの絡繰りであろうとも。
 同時に、昨日の朝アシュレイが挙げた考えが当たっていた事をもターヤは知った。同時に、現在進行形で古代魔術を組んでいる事も。やはり、クレッソンは巨大化させた〈星水晶〉を、自らの計画に利用するつもりなのだ。
 最初にその巨大な〈星水晶〉の前まで辿り着いたクレッソンは、その表面に右手で触れる。
 途端に、足場や一緒に落ちてきた氷の破片が再び動き出した為、すぐにターヤとオーラは地面へと避難した。その直後、それらは一直線に天へと向かって上っていき、すぐにターヤには視認できなくなる。同時に、横穴らしき場所からも同じように破片が飛び出しているようであった。
「一度破壊しておいた足場を、修復しているのですか」
 しかし、オーラは何が起こったのか理解しているらしい。
 緊張を孕んだ彼女の呟きにより、ターヤはすぐに驚嘆させられる事となった。ついつい反射的にクレッソンを注視し直してしまった程だ。

 当の本人は、誇示するかのように振り返ってみせてくる。
「どうだ、オルナターレ。ここまでの〈星水晶〉を用意してみせたのだから、何かしらの感想はあるのだろう?」
 彼の様子は、まるで手に入れたお気に入りの玩具を自慢する子どものようであった。
 そしてターヤの思った通り、やはりこれらは全てクレッソンの仕業らしい。自然にここまで成長した〈星水晶〉があるとは思えないので、クラウディアに用意させたのだろう。
 また、彼女は気になる点を発見してもいた。
(やっぱり、クレッソンはオーラを意識してるみたいだ。だって、何かとオーラだけに話を振ってるみたいだし)
 だが、その理由までは至れなかった。二人の間に存在する因縁は知っているが、どうにもそれだけではないような気がしたのだ。もっと、父親を殺された恨み以外の、別の何かがあるように思えたのである。
 対して、その隣に立つオーラの顔は曇っていくばかりだ。
「古代地底湖を、凍らせたのですか」
「ああ、そうだ。以前のままでは、行動範囲が限られてしまうのだから」
 彼女の言葉は直前の問いかけを丸っきり無視していたが、クレッソンは気にした様子も無い。微塵も悪気を感じていない様子で理由を明かしてから、そこで彼は何かを思い出したように、一瞬だけ視線を上げた。何ともわざとらしい動作である。
「それにしても、その様子から見るに、貴女はこの場所に特別の思い入れがあるようだ」
 含みを持ったクレッソンの声で、ターヤは一旦それまでの思考を打ち切られる事となった。彼が何を言わんとしているのかは解らなかったが、オーラの顔付きがますます暗くなっている事には気付けたのだ。
 逆に、クレッソンの笑みは深みを増していく。相手がそのような反応となる事を、最初から知っていたかのようでもあった。
「だが、それも当然の事なのだろうな」
 あくまでもクレッソンは大袈裟だ。とことんオーラを煽ろうとしているかのようである。
「なぜなら、この場所は、貴女が先代《世界樹の神子》を裏切った場所であり、彼女が還る事となった場所でもあるのだから」
 そして視線は、ターヤへと。
 彼女は相手の言葉に驚かされ、思わず固まってしまっていた。
「ここで、お姉ちゃんが……」
 独り言を零せば、肯定するかのように胸中が熱くなった。そうなれば、ターヤは自然とそこから視線を離せなくなってしまう。クレッソンが意味あり気な視線を向けてきている事にも、気付けない程だった。
 オーラは、無言だ。
「うん、そうだね」
 やがて、ゆっくりとターヤは胸に空いている方の手を当てる。もう一度、胸に熱いものが込み上げてきたからだ。
「オーラもわたしも、もう大丈夫だから。だから、見守っていて、お姉ちゃん」
 ぎゅっと握りしめるように拳を作って瞼を下ろしてから、彼女はクレッソンを睨み付けるかのように見返した。その手には乗らない、と言わんばかりに。
 この反応を目にしたクレッソンは嘆息する。最初から、こうなる事を予想はしていたかのようでもあった。
「なるほど、この話題では最早、貴女達は動じないという事なのだな」
 それから、オーラへと視線を移す。
 彼女もまた、最初から表情を揺らがせてなどいない。
「私は、もう皆さんに全て聞いていただきましたから、受け入れていただきましたから。ですから、もう貴方の言葉に惑わされるつもりはありません」
 力の籠った声と目で行われた宣言だった。そこに、オーラの決意が込められている。
「そうか」
 対して、クレッソンは一言返すだけだ。ただし、その表情はどことなく、娘の成長を見守る父親のようでもあった。

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