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四章 精神の距離‐artificial‐(9)

 足止めを余儀なくされた彼女は、眼前の相手を睨み付ける。
「これはどういう事かしら、《執事》?」
「陛下の邪魔をされるのであれば、先程までは協力関係であったとはいえ、貴女方を排除します」
「上等よ!」
 相手の言葉を受けてレイピアを構え直すや否、アシュレイはエフレムへと直進した。
 エフレムもまた短剣を構えると、アシュレイを迎え撃つ。
「おい、アシュレイ! ……くっそ、聞こえてねぇなあいつ。とにかくエフレムの相手はあいつに任せて、俺達はあのガキのところに――は、どうやら行けねぇみてぇだな」
 急に困ったような声になったアクセルを不審げに思うターヤだったが、視線を彼に合わせれば、答えは自ずと出てきた。
 彼ら三人の前には、既にグランガチが先回りしていたのだ。その後ろ足は未発達なのか小さかったが、前足は頑丈そうだった。下敷きになっている腹部までは解らないが、見える範囲は殆どが魚の鱗で覆われている。
「随分と硬そうだな、こいつ」
 大剣を肩口で叩きながら、アクセルは戦闘態勢へと移行した。
「行っくぜぇ!」
 掛け声と共に飛び出していった彼を、仕方ないとでも言いたげにエマが追う。
「『渦巻く力の本流となりて』――」
 ターヤの詠唱を背に、まずアクセルはグランガチへと大剣を振り下ろした。だが、重さによる力の増加でも、目に見える傷を負わせるには至らない。
「ちっ……まじで硬ってぇな!」
 弾かれるようにして大剣を手元に戻したアクセルへと、今度はグランガチの尾が迫る。
 が、それは間に割って入ったエマの盾により阻まれた。続いて瞬時に槍が振るわれた為、相手は素早く後退する。
「せんきゅ、助かったぜ、エマ」
「貴様、攻撃の後にできる隙を対処しようとは思わないのか」
「おまえが居るんだし、問題無ぇだろ?」
 あっけらかんとして言う青年に、相棒は溜め息だけで返した。
「――『彼の者を支え給え』――」
 互いに距離を取り、睨み合う両者。その戦況に変化は起こらない。
「にしても、あの巨体と硬さのくせに素早いよな、あいつ。どーすっかな」
「攻撃に関しては貴様に一任するが、無謀な作戦だけは立てるなよ。とは言っても、普段通りに聞かないのだろうがな」
「何だとこら!」
 あからさまな呆れ顔になったエマに反論しようとしたところで、
「〈技攻上昇〉!」
 ターヤの支援魔術がアクセルに降り注ぐ。力が漲ってきたのが手に取るように解った。
「おっ、パワーアップだな! よっしゃあ!」
 途端に元気になったアクセルは、再び敵へと向かって突進していく。
 その光景を、エマは呆れた目で眺めたのだった。
 一方、アシュレイとエフレムの戦闘は、彼女の得意とする高速近接戦闘へと化していた。一般人には目にも留まらぬ速さで攻防を行い、少しでも速度で相手より上回った方が勝者となるのだ。
 一見、それはアシュレイの方が断然有利に思えた。
「その短剣、〔ウロボロス〕の奴が使っていた物ね」
「はい、《違法仲介人》から拝借しました」
 だが、エフレムもまた彼女に何とかついていけるだけの力量は持ち合わせている。
 逆にアシュレイはとある事情から普段程の速度が出せず、エフレムの追随を許す結果となっていた。

(……やっぱり、片腕だけでも封印状態での〈獣化〉はきつかったみたいね)
 袖の破れた右腕を一瞥してから、すぐに彼女は意識を元に戻し、エフレムの右肩を突こうとする。片腕を潰して少しでもアドバンテージを得ることが狙いだ。
 しかし相手もそれを見越しており、その先端を短剣で受け止めると、そこから刃先へと受け流すように武器を動かした。
「!」
 それによりアシュレイはバランスを崩され、前のめりの体勢になってしまう。
 この好機に、これまた没収していた銃をエフレムは左手で取り出すと、銃口を相手に向けて引き金を引く。
(しまっ――)
「――どぉっりゃぁぁぁぁぁ!」
 寸前で、左方向から謎の巨物がほぼ一直線に飛来してきた為、彼は即座に敵から離れて後退せざるを得なかった。
 間一髪で危機を脱したアシュレイも後退し、何事かと左方向を見る。
 そこでは、一頭のワニが仰向けの状態で目を回していた。
「……げ、アシュレイ」
 そして右方向では、彼女に気付いたアクセルが、しまったとでも言いたげな顔で固まっている。その大剣は振り払った後のように、斜めに持たれていた。
 どうやら、アクセルが力任せに放り投げたグランガチが、アシュレイにとっては救いとなったようだ。だが、当の本人はその事に全く気付いていないようで、アシュレイの邪魔をしてしまい怒られるのでないかという懸念を抱いているらしい。
(……気に食わない)
 たかが不調如きで《執事》に後れを取った自分も、結果的にアクセルに助けられる事になった自分も、自分を助けた事にすら気付いていないアクセルも。
(全部、気に食わないわね)
「……アクセル」
「な、何だよ!?」
 渋々名を呼んだだけで慌てられた。
「わ、悪ぃが、俺はおまえがそこに居るなんて知らなかったんだか――」
「ありがとう、助かったわ」
「……は?」
 予想外の言葉に、アクセルが再び硬直する。珍しく名前を呼ばれた事にも気付かぬまま、事態を把握できていない彼は、その場で動かなくなった。
 もう特に用は無いのでそちらは気にせず、アシュレイは再びエフレムを見据えた。
 彼は倒れ伏して動かなくなっているグランガチを見て、次いで同様に不動と化しているアクセルを見た。最後に、アシュレイへと視線が戻ってくる。
「グランガチを倒すとは、称賛に値します」
「それはあたしじゃなくて、あいつに言えば?」
「いえ、どうやら今の彼には何も聞こえないようなので」
 尤もな言葉に、アシュレイは肩を竦めるだけにした。どうも先程の一件もあってか、気力が削がれているように思う。
「――っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 だが、突如として響き渡った叫びが、その停滞を払拭し、強い危機感を募らせた。
 見れば、ヌアークは二人目の拷問も終えたようで、その腕を適当に投げ捨てていた。
「後は、あなただけねぇ?」
 そして楽しそうに、残った《精霊使い》へと歩み寄る。最早、彼女の行う『拷問』は、相手に情報を吐かせる為の行為ではなく、自らの欲求を満たす為だけの遊戯だった。
 その光景に、アシュレイの中で呼び起こされる記憶があった。
「っ……!」
 感情に身体が動かされる。意識と思考と理性などは二の次だった。

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