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四章 精神の距離‐artificial‐(10)

 しかし、そう易々と通してくれるエフレムではない。
「どきなさい!」
「邪魔はさせません」
「っ――どきなさいって、言ってんのよぉっ!」
 激情のままに彼女は突進していく。
 だが、怒りに任せたその攻撃は単調且つ隙も多かった為、エフレムには難無くかわされただけでなく、簡単にレイピアを叩き落とされて利き手を掴まれた上、そのまま地面に叩き付けられるようにして締め落とされる。
「っ……!」
「このまま大人しくしていてください」
 完全に身動きの取れなくなったアシュレイへと、エフレムの声が振りかかった。
 二手に分かれてアシュレイとヌアークの許に行こうとした三人だったが、彼らもまた、突如として現れた部下の男達に取り囲まれる。戦力で考えれば三人の方が有利だったが、その数と気迫に、思いがけず圧倒された。
「《女王陛下》の邪魔をしないでもらおうか」
「そういう事なの。悪いわね」
 邪魔者は完全に抑制され、あとは《女王陛下》の独壇場となる。
「さぁて、そろそろ始めるわよぉ」
 しゃがみ込みながら、ヌアークは楽しそうに微笑んだ。その顔だけならば『天使』だが、内面に関しては『悪魔』と称するに相応しい。
 まさに死の宣告にも等しい状況に際し、ズラトロクに押さえ付けられながらも《精霊使い》は益々抗った。声の限りに喚き、力の限りに暴れて、自らの手を取ろうとするヌアークの接近を拒絶する。
 その様子に、ヌアークから笑みが消えた。
「……みっともないわ」
 眉を思いきり顰めた彼女が軽く手を振った瞬間、
「ぐぇっ……!」
 ズラトロクが他の〔ウロボロス〕メンバーを踏みつけていた足を《精霊使い》へと移し、更なる重みをかける。
 それにより、彼からは潰されかけている蛙のような悲鳴が上がった。
「やだぁ、醜いのね」
 くすくす、とヌアークが嗤う。それは既に悪魔の笑みだった。
「あのガキっ……!」
 アクセルは反射的に飛び出しかけるも、やはり部下達が立ち塞がった。
 彼は大きく舌打ちする。
「ちっ……退けよっ! 退かねぇなら斬るぜ!」
「来い! 《女王陛下》の邪魔はさせんぞ!」
 両者とも引かず、一触触発の雰囲気になりかけた時、それは起こった。
「「!」」
 突然、ヌアークと《精霊使い》の居る方向で何かが光ったかと思えば、次いで何かが砕けたような音が鳴り響いたのだ。
 しかもそれだけでは収まらず、次いで目に見えない『何か』がその周囲へと波動のように襲いかかった。
「っ……!」
「何、だよ……これっ!」
 実害こそ無いものの、その波動の如き『何か』は無音でありながら頭に強く響いてくる為、精神的な攻撃と言えた。皆、眼前の敵など関係無く、一様にこの精神攻撃に耐えようと奮闘している。
 だが、これによりエフレムもまた自らに意識の大半が向いた為、アシュレイが彼の拘束から脱出する契機ともなった。
 また《精霊使い》も、ズラトロクの下から逃げ出す事に成功していた。
 ともかく、良くも悪くもこの『何か』は、その場の全員を足止めできるくらいには強力なものだったのである。

「これは、まさか……!」
 ヌアークは苦悶の表情を浮かべながらも、ある一点に視線を向けていた。どうやら、この事態の原因に心当たりがあるようだ。
 そして、ターヤはこの『何か』自体に違和感を覚えていた。
(これ、ただの声じゃない……まるで、何かを通して聞いている声のような――)
 刹那、一層強い波動が発される。先程までとは異なり、今度は物理攻撃だった。
 しかし、ヌアークはズラトロクと駆けつけたエフレムによって護られ、部下の男達は互いに固まって耐え抜き、エマの許に集った一行は彼の盾で防ぎきる。
 そうして『何か』が収まった時、訪れたのは無音ではなかった。
『……ここは、どこだ……?』
 それは、初めて耳にする第三者の声だった。
 驚いて視線を動かした先に浮かんでいたのは、先程目にしたハリネズミだった。
 ただし、相変わらず全身は鋼色の光に包まれてはいるものの、それはどこからも伸びておらず、ハリネズミの全身を覆っているだけのようだ。また、最初に見た時とは異なり、誰の目にもまるで自意識を持っているかのように窺えた。
「何か、さっきと違わねぇか?」
 アクセルの言葉は、ここに居る大半の意見を代表していた。
 事実、ハリネズミの精霊は何をするでもなく、ただ宙に浮かんだまま虚空を眺めているだけだった。まるで何事かを考え込んでいるかのように、そのまま大きな動きは見せない。
「そうだな、まるで……」
「あの《精霊使い》の支配から逃れたみたいね」
 言って、アシュレイが視線を別方向に動かす。
 彼女につられた先に見えたのは、割れた〈精霊壺〉と、それに駆け寄り唖然としている《精霊使い》の姿だった。
 一応は事態が掴めたものの、エマは完全には納得がいかない様子だ。
「だが、そうなるとあの人工精霊は存在を保てないのではないだろうか?」
「けど、あいつは何ともねぇみてぇだし、何かカラクリがあるんだろ」
 言われてみれば確かに、〈精霊壺〉から解放されたという事は、同時に《精霊使い》から〈マナ〉の供給が途絶えた事を意味し、ただでさえ自らでは存在を保つ事の難しい人工精霊にとっては死活問題の筈だ。
 けれども、現に件の人工精霊は問題無く存在を保持しており、消滅の兆候すら見せていない。
「いったい、どうなってるのかしら?」
 このような状況下でありながら、どこか興味深げにアシュレイが呟く。
 すると、ハリネズミはそれまでどこかを眺めているだけだったが、唐突に思い付いたように口を開いた。
『……俺は、誰だ』
 次いで、今度は宙ではなく地を見回し始める。まるで何かを探しているかのように、どこもかしこをも、とにかく見る。
 そして目に付いたのは、一行、〔暴君〕、《精霊使い》だった。
 瞬間、次第にその目が据わっていく。
「何か、嫌な予感がするんだけどよぉ」
 冷や汗を流しながら警戒態勢へと移行したのは、何もアクセルだけではなかった。
 エマとアシュレイと彼らにつられたターヤ、暴君主従とズラトロクに部下達もまた、不穏な空気を感じ取って構え始めている。
 唯一《精霊使い》だけが、この予想もしていなかった事態に対して未だ戸惑っているようだった。
 だが、その時、事態を本能で理解し始めている人工精霊にとっては、現在視界に居る全ての生命体が憎く感じられていた。彼の思考と理性は機能せず、ただ本能のままに感情が動いていたのである。
『――俺を、生み出したのは……誰だ!』
 そう叫ぶや、弾丸の如く人工精霊は襲いかかってきた。一行も《精霊使い》も〔暴君〕も、全てが同等に関係無く。

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