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四章 精神の距離‐artificial‐(2)

 ターヤが正直に首を振ると、ヌアークは説明してくれた。
「〔ウロボロス連合〕は《違法仲介人》や《禁忌研究者》に盗賊――表立っては動けない奴らの集まりなの。こそこそ隠れて悪事を働いているそいつらを懲らしめるのが、あたくし達〔君臨する女神〕のお仕事なのよ」
「そうなんだ……。でも、それって〔軍〕の仕事じゃないの?」
 その名を出した瞬間、アシュレイがここぞとばかりに口を開こうとするも、ヌアークがそれを制する。
「あら、今は〔軍〕だけで何とかできないからこそ、あたくし達が出張っているのよ? そうよね、《暴走豹》?」
 投げかけられた問いを、アシュレイは黙殺した。しかし、握り締められた拳と僅かに引き結ばれた唇から、答えは肯定である事が読み取れる。
「あなたってつまらないの。解りやすいけど顔には出ないんだから」
「そうでないと軍人なんか勤まらないわよ。それに反論させてもらうけど、あんた達のやり方はえげつないのよ。幾ら相手が相手とはいえ、拷問までするんだから。〔軍〕もそこまではやらないわよ?」
 拷問という部分に動揺するターヤだったが、ヌアークは寧ろ楽しそうに笑っただけだった。
「あら、あんな屑共、どうなったって良いわよ。あいつらが殺したい程嫌いだから、あたくしはこのギルドを始めた訳だもの」
「それはまた、随分と自分本位な理由ね」
「ギルドの名前程、崇高な理念なんて持ち合わせてないもの。あたくしはただ、あいつらを一掃できればそれで良いのよ」
 呆れ顔には、真顔が返された。
 アシュレイは一層強く相手を睨み付け、ヌアークは一層深く嗤う。
「そんなに怖い顔をするくらいなら、あたくしを見張ってたらどうかしら? そろそろ奴らも来る頃でしょうし、この作戦は知らないでしょうけど、当然警戒して《精霊使い》も居ると思うわ」
「その代わり、あんた達に協力しろとでも言うんでしょ? お断りよ」
「あら、よく解ってるじゃないの」
 図星であっても動揺を顕にする事無く、小さな女王はくすくすと声を立てて笑う。
「あんたっていつもそうだもの。使えそうなものはとことん利用する。流石は《女王陛下》よね」
「あら、これでもあなたの能力は高く買ってるのよ、《暴走豹》?」
 そう言いながらも、視線はターヤに移る。
「そこのあなたはどう? あたくしが奴らに酷い事をするのを、止めたいとは思わないかしら?」
 またも飛び出してきた知らない単語に意識を向けつつ、二人の会話を背景に流していた彼女は、唐突に声をかけられて驚き、跳び上がりそうになった。
「あ、うん!」
 そして訳も解らず、ただ問いの内容のみを把握して判断してしまう。
 瞬間、アシュレイが停止した。
 アクセルとエマもまた、やっちまったとでも言わんばかりの表情になる。
「……え?」
 状況を理解できてない当事者はと言えば、周囲の反応に戸惑うばかりだ。自分の選択が決して良くはなかった事は悟ったものの、その理由までは至れていない。
「決まりね」
 その中でただ一人、ヌアークだけはにこりと満面の笑みを浮かべたのだった。


「ヌアーク様、大丈夫でしょうか……」
 とある屋敷の廊下にて、箒を手に床を掃いていた少女は、ふと窓の外を見て呟いた。
 何度目になるかも解らないその独り言に、同じく廊下の掃除を行っていたメイドが苦笑気味に答える。
「ヌアーク様なら大丈夫だよ。あんたは本当に心配性だよね」

「す、すみません……」
「だから、そんな事で謝んなくて良いんだってば」
 委縮する少女に、同僚は苦笑で返した。本当にこの子は申し訳無さそうな顔で謝ってばかりだな、と。
「まぁ、あの煩い男共も一緒だから、そこは心配ではあるんだけどね」
 一転、思い出したように少々苦い顔になる。それに比例して、窓を拭く手が止まった。
 少女もまた、今回主人に同行していった男達を思い浮かべる。主人への忠誠心が強すぎる為に、主人が関わってくると大人らしさも落ち着きも無くなる人々。それ故に、何かと先々でも衝突や口論を起こす事も少なくはないようだ。
「でも、あの人達は、良い人ですから……」
 ただし、彼女は彼らが決して悪い人ではない事を知っていた。失敗ばかりの自分が引き起こしてしまった所業を強く非難するし、文句や嫌味を言われた事だってある。それでも、彼らは、自分が招いてしまった事態の片付けを手伝ってくれたり、手当てをしてくれたりするのだ。主人に出会う前まで困窮していた自分達一家のことを、存在していない者として見て見ぬ振りをしていた人々から比べれば、彼らはただ怒りやすいだけの根は『良い人』だった。
 無意識のうちに箒の柄を握り締めた少女を見て、同僚は息を一つ吐く。
「あんたって、本当に欲が無いと言うか、我慢強いと言うか。あいつらを『良い人』と言えるなんて、よっぽどだね」
「メラさんは、あの人達が嫌いなんですか?」
 不安そうな顔をした友人に、思わず笑いが込み上げてきた。それは彼女を馬鹿にするようなものではなく、その人柄が本当に好きだと実感できたという理由で。
「別に嫌いって訳じゃないよ。ただ、知らずに橋を渡ろうとしてきた人々と衝突してないか、って思うとね。まぁ、ヌアーク様の鶴の一声で静かになるとは思うけど」
 困ったように軽く肩を竦めてから、同僚は雰囲気を明るく一変させた。
「それに、ヌアーク様にはエフレムさんがついてるんだ。あのお二人が居れば、向かうところ敵無し、ってね。だから、心配しなくても大丈夫だし、あたし達はとっとと掃除を終わらせようか」
「はい、そうですね」
 ようやく微笑んで同意を示すと、少女ことユリアナ・コルテーゼは再び窓の外を見た。それから自分なりに気合を入れると、掃除を再開する。
 その姿を見た同僚は、やはり彼女は笑っていた方が良いと、一人密かに安堵を覚えたのだった。


「……全く」
 一方、レングスィヒトン大河川のエンペサル橋にて、アシュレイは何度目になるか判らない盛大な溜め息を吐いていた。
「……ごめんなさい」
 彼女から少し離れた位置では、ターヤがこれまた何度目になるのか判らない謝罪を口にして縮こまっていた。
 ターヤの善意を利用される形でヌアークの手伝いをする羽目になってしまった結果に、アシュレイは憤慨し、事の張本人は口車に乗せられてしまった事を反省している訳である。
 ずっと繰り返される同じ光景に、男性陣は仲裁に入ろうとする。
「二人とも、過ぎた事を悔いても仕方が無い」
「そーそー、つーかターヤはどんだけ流されやすいんだよ。あのガキに良いように動かされやがって。アシュレイも溜め息を吐くくらいだったら必死になってでも止めろっての」
 アクセルが口にした内容は正論だっただけに、その言葉はターヤの胸に突き刺さり、アシュレイもまた反論ができなかった。
 そして、エマは彼自体に呆れを感じていた。
「アクセル、止められなかった私達も人のことは言えないと思うが?」

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