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四章 精神の距離‐artificial‐(1)

 眼前の幼女へとアシュレイが放った言葉に、ターヤは目を白黒させた。
 女王陛下。その名称が表すは、一国を統べる王の伴侶、あるいは王そのもの。
 だが、現在この世界の実質的統治者となっているのは主要ギルドにより結ばれた〔ヨルムンガンド同盟〕であり、そもそも『国』という概念すら無い。
(それなのに、アシュレイはあの子を『女王陛下』って呼んでたし、どういう事なの?)
 世界には、未だ彼女の知らぬ事は多かった。
「何だ、ちゃんと解ってるんじゃないの」
 アシュレイの言葉に、ヌアークはくすくすと声を上げて笑う。それから、彼女の後ろに居る他の三人を見回した。楽しそうに弧を描く唇は、おおよそ子どものものとは思えない色気を灯していた。
「珍しいのね、あなたが誰かを連れてるなんて。どういう心境の変化なの?」
「あんたには関係無いわよ」
 ばっさりとアシュレイは切り捨てる。
 その態度と返答に、ヌアークは興味深いとでも言いたげに笑んだだけだったが、彼女の周囲に尽き従っていた男達が目敏く眉根を上げた。彼らは、それまで仏頂面に溜めていた怒りを爆発させる。
「貴様っ、《女王陛下》に何という口の利き方を!」
「無礼者めが!」
「そもそも、最初から素通りしようとしていた時点で不敬だ!」
 何だかんだと口々に言葉を放つ彼らを見て、アシュレイは面倒臭そうに大きく息を吐いた。
「だから嫌だったのよ、こいつと関わるのは」
 取り巻き共がめんどいのよ、とのアシュレイの心の声が、ターヤには肉声に続けて聞こえた気がした。
 確かにその通りかもしれない、とターヤはこっそり男達を見る。主君の為に少しの事にでも素早く反応できるのは高い忠誠心の成せる業だろうが、彼女の部下でもないこちらからしてみれば、いちいち突っかかられるのは面倒だと感じられるのだろう。
 そもそも、ヌアークが『女王陛下』と呼ばれる理由は未だターヤには不明だが、統治者でない事は確かなので、こちら側が彼女に過剰な敬意を払う必要も無い。それは不信の強いアシュレイならば、尚更の事だ。
「何だと、貴様!」
「たかが軍人風情が生意気な!」
 それでも尚、男達の激情に駆られた言葉の本流は続く。
 既にアシュレイは、その混雑した音を左耳から右耳へと流し、聞く事を放棄していた。
「ちょおっとぉ、あたくし、躾のなってない駄犬は嫌いよ」
 しかし、ヌアークが呆れたように言葉一つを放った瞬間、
「申し訳ございませんっ!」
 男達が一斉にヌアークに向き直ると、その場で素早く土下座をしたのだ。頭を地面に擦り付けんばかりに低く下げ、ひたすらに小さくなろうと努めている。
「そう思うんだったら、作戦通りにしてちょうだい。今は指定の位置で待機の筈よ?」
「はっ! 御心のままに!」
 土下座したままそう応えると、男達は素早く立ち上がり、橋の方へと戻っていった。
 それら一連の光景を、ターヤは唖然として眺めるしかできなかった。十歳にも満たないように見える幼女に、大の男達が揃って平伏している様子は、どこか異常にも感じられたのだ。
 事態が飲み込めず一人きょとんとする彼女に気付き、エマは耳打ちした。
「彼女はギルド〔君臨する女神〕のギルドリーダー、ヌアーク・カソヴィッツだ。力無き者を強制的に従わせる能力を持つ為、《女王陛下》と呼ばれている」
「ギルド……そっか、そういう事なんだ」
 簡素ながらも、その説明で疑問は解消される。
 先程の男達は強制的なのか自発的なのかは判らないが、ともかくヌアークに従っているギルドメンバーなのだ。そして、ギルドリーダーである彼女は、その能力故に部外者であるアシュレイ達からも《女王陛下》と呼ばれている訳である。

 男達が皆所定の位置に戻った事を確認すると、ヌアークはふぅと一つ嘆息した。
「ふぅ……やぁっと居なくなったわ。あいつら、本当に煩いのよね」
「なら、従わせなければ良いじゃない」
「それは無理よ。あたくしの能力が制御の利かないものだって事、あなたならご存じよね?」
「ええ、知ってるけど。それが何か?」
 何気無く発された言葉に衝撃を覚えたターヤだったが、アシュレイは左程気にも留めていないようだった。アクセルとエマもまた然りなのか、特段驚いた様子も無い。
 ヌアークもその事について切羽詰っている訳でもないらしく、笑みを湛えたままだ。
「知ってるのなら、余計な口出しはしないでちょうだい。あたくしだって、この能力には辟易してるのよ」
 肩を竦める様は、本気半分冗談半分といったところだ。
「嘘ね。随分と楽しそうに見えたけど?」
「ええ、半分は本気よ。だって、薄汚い男が――しかも人間の大人が、子どものあたくしに無様に従う様を見られるなんて、滑稽で愉悦以外の何物でもないもの」
 言葉通りの『子ども』とは思えない言葉と共に浮かべられた笑みは、ひどく歪み、裏側に黒く濁った感情を潜ませていた。
 そしてそれは、ターヤに得体の知れない悪寒を覚えさせる。
「っ……!」
 そちらを一瞥してから、ヌアークは面白いと言わんばかりに目を細める。
 そこに不穏なものを感じたアシュレイだったが、先手を打つ前に、逆に相手に先行されていた。
「ところで、あたくしがこの橋を封鎖している理由なのだけど――」
「お断りね」
 実は密かに理由の気になっていたターヤだったので、間髪入れずにアシュレイが遮った事には驚くと同時、若干残念だとも感じた。
「あら、まだ何も言ってないわよ?」
「あんたがいちいち説明し出すのは、大方面倒事に巻き込まれる前兆だからよ、《女王陛下》」
「随分な物言いね、《暴走豹》」
 二人の間で見えない火花が飛び散ったように見えて、ターヤは両目を瞬かせた。
 男性陣は、無言で見守っている。
「――でも、そこの子は聞きたそうにしてるけど?」
 流れるように、ヌアークの視線がターヤを捉える。
 相手の意図を知ったアシュレイもまた彼女を見た為、少女は二人分の視線を向けられる事となった。しかもアシュレイに至っては、強い目付きで何事かを訴えてきているのだ。生憎と彼女と付き合いが浅く、人の考えを読む事に長けている訳でもないターヤにそれを汲み取る事はできなかったが、その威圧感だけで足が一歩程後退する。
「え、えっと……」
「あたくしがこの橋を封鎖した理由が知りたいのよね?」
「誰もそんな事は――」
「あ、うん。気にはなってるけど……」
 アシュレイが何事かを言いかけるも、思わずターヤは頷いてしまっていた。
 途端に固まるアシュレイ、それを好機と畳みかけてくるヌアーク。
「なら、話してあげるわ。今日この橋をね、〔ウロボロス連合〕の奴らが通るのよ。そこを待ち伏せて、一網打尽にするの。だからこそ、あたくし達はこの橋を封鎖したのよ」
 待ち伏せて一網打尽、という事は、その〔連合〕というのはヌアークにとっての敵なのだろう。しかし、その名称に聞き覚えの無いターヤの顔には、自然と疑問の色が現れるのだった。
 そして、いまいち理解しているとは言えない相手の表情に、ヌアークは面にこそ出さないもののペースを崩されそうになっていた。そのような事などあって良い筈も無いと、平静を装いながらも彼女は続ける。
「あなた、〔ウロボロス連合〕はご存じ?」

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