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三十九章 明けない闇‐advance‐(9)

「あ、ああ、解ったよ」
 後半の言葉に動揺しつつ彼は平静を装うとするが、傍目にも実に解りやすかった。
 片や少女二人は、思わず互いに視線を合わせて苦笑し合うしかない。
 片や青年は、バレていた事に気付き、どことなく気まずそうに視線を逸らす。それでも眼前の少女へと手を差し出す事を忘れないところは、流石と言うべきか。
 そうしてレオンスと、彼に連れられたオーラはその場から去っていった。


「……ありがとう、か。あいつは、最後の最後まで、俺に気を遣わせやがらねぇんだなぁ……くっそ、今になって涙腺が緩んできやがった」
「大丈夫?」
「今代のイェソド、か。そういや、あんたの妹も亡くなったんだってねぇ」
「妹には、本当に、すまない事をした」
「そう思ってんのなら、何で一度も会いに行ってやらんかったんだい?」
「……否定は、できない」
「いや、俺も人のことは言えねぇや。悪かったな、イェソド」
「大丈夫、気にしてない」
「……そうかい」


 二人の背中を見送ってから、ターヤはようやく《世界樹》の前に立つ。
『それで、吾に用とは?』
「ユグドラシル、訊きたい事があるの。持ってる〈マナ〉を増やす方法、って無いかな?」
 殆ど躊躇は覚えなかった。これが自分にとって必要不可欠な話題であると、心のどこかでターヤは確信していたのかもしれない。
 しかし問われた方はと言えば、即座に動きを止めてしまう。
 そこからオーラの件と同様、あまり薦められた方法ではないのだとターヤは知るが、だからと言って引き下がる気は無かった。胸元付近でぎゅっと祈るかのように両手を組み合わせて強く握り締め、全身に決意を込める。
「お願い、教えて、ユグドラシル。急な話だって事は解ってるんだけど、でも、今のままだと、わたしはニーナを呼んだだけで何もできなくなっちゃいそうで、あんな偉そうなこと言っちゃったのに、何もできないかもしれないの」
 言いながらクレッソンに啖呵を切った時の事を思い出し、手には更に力が籠った。本当は、不安でいっぱいだった。初めて彼を目にした時に直感した危険信号と悪寒は、今でも感覚にこびり付いて離れない。本当は、ターヤは『クレッソン』という人物に対して本能的に恐怖を抱いていたのだ。
「それに、わたしもオーラの覚悟に応えたいの。クレッソンを、止めたいの」
 けれども、つい先程の彼女の覚悟を思い返し、ターヤは口にする事で自らを奮い立たせた。これまで何度も助けてくれた彼女に少しでも報いたい、いいかげん彼女をその執着心から助け出したいという気持ちと、クレッソンを止めたいという気持ち――そして、もう一つの秘めた気持ちで。
 少女の思いの丈をぶつけられた大樹はしばらく黙していたが、やがて言いにくそうに返答を寄越してきた。
『ある事には、ある』
「! 本当!?」
『その前に、一つ話しておきたい事がある』
 返された言葉に表情を一転して輝かせかけたターヤだったが、それを遮るように《世界樹》は話題を変える。一旦落ち着けと言われているようで、彼女は続きを紡ごうとしていた口を噤んだ。
『主は、なぜ自らが《世界樹の神子》として選ばれたのか、疑問に感じた事は無いか?』
「え、異邦人だから、じゃないの?」
 思いもしなかった内容に、ターヤは思わず間の抜けたな声を出していた。なぜその話になるのだろうかと首を傾げつつも、思ったままに答えてみる。

 だが《世界樹》は否定するかのように葉を左右に揺らした。
『否、それだけではない。主が、古代における二大王朝の片方、その系譜を継ぐ者でもあるからだ』
「……へ?」
 あまりに突然すぎた為、時間を開けてターヤの口からは出てきたのは、随分と間の抜けた声だった。
『ただし、それは、こちらの世界における「主」の事ではあるが。トリシアナ・ターヤ・ノッテ=シュヴァルツ。それが、こちらの世界における主の名だ』
「え……えぇっ!?」
 呑み込めていないところに更なる追撃をかけられた為、今度こそターヤは素っ頓狂な事を上げていた。とても重要な事を言われていると解ってはいるのだが、いかんせん理解するまでの時間と、話される時間とが噛み合っていないのだ。
 しかも彼女の混乱はさておき、大樹の話は進んでいく。
『こちらの世界と主の世界とは、所謂「平行世界」の関係となっている。故に、吾のような一部の特殊な存在を除き、二つの世界には一人ずつ、同じ魂を持った者が存在するのだ。つまり、この世界には転生前の「主」が存在するという事になる』
 しかし、この発言を聞いた瞬間、ターヤの脳は夢から覚めたかのようにクリアになる。同時に彼女は声を上げていた。
「え、でもさっき、こっちの世界から、わたしの世界に転生してくるって――と言うか、ユグドラシルだって今、『転生前の私』って……あれ、でもそうすると、平行世界にはならないよね……?」
 もう自分でも何を言っているのか解らないくらい、ターヤは混乱していた。
『直前に「平行世界」と言ったが、実のところ言葉通りの意味ではなく、通貨のように表裏一体になっているという意味で使用している。主の世界の方が、こちらよりも時間と文明が進んでいる為に『未来』という言葉を用いるが、実際には、この世界の未来と言う訳ではない」

 彼女の様子には気付いているのか、先程までよりも《世界樹》の声は若干ゆっくりになる。

「主の世界は、《時精霊》により繋げられた紛れも無い「異世界」であり、これは二つの世界の時間軸がずれているからこそ、可能な事でもある。言うなれば、過去と未来と繋がっているという事なのだ』
 説明を加えられたところで益々混乱するばかりな為、ターヤは理解しようとする努力を放棄したくなる。最早《世界樹》の話は、彼女の理解の範疇を超越していた。
 つまりは、ターヤの元々住んでいる世界が『未来』、この世界が『過去』であり、未来の『ターヤ』を過去の時間軸に連れてきたという事なのだろうが、どうにも矛盾が拭えないのだ。そもそも、なぜ時間軸の異なる筈の二つの世界が、表裏一体になっているのだろうか。
 大樹はそれに気付いているのかいないのか、先へと進んでいく。
『話を戻そう。先刻、こちらの世界にも主が存在すると吾は説明した。しかし世界が異なるとは言え、魂が同一であるならば「同じ存在」である事に変わりなく、同じ魂が同じ世界に存在する事は不可能に等しい。故にある者を喚ぶ際、こちらの世界の「その者」には、一旦吾の中で眠ってもらう事にしている』
 そこまで言われれば、ターヤにもすぐ予想は付いた。それと同時、嫌な想像も浮かんでしまったが。
「じゃ、じゃあ! こっちの世界の『わたし』は……今、ユグドラシルの中に居て、廻ってるの……?」
『確かに、こちらの世界の主は吾の中に居るが、廻っている訳ではなく、ただ眠ってもらっているだけだ。生者を廻す事は理に反する為、歴代のケテルを呼ぶ際にもこの方法を取っている。ただし、こちらの主は瀕死の状態ではある為、最悪の場合は廻す事になるかもしれないが』
 だが《世界樹》が否定した為、彼女は密かに安堵の息を吐き出した。こちらの世界の自分が、なぜそのような状態となっているのかは気になったが、そこには触れない方が良い気がしたので奥へと押し込める。
『更に話は戻るが、ケテルの条件には「異世界の住人である」という事も必要不可欠だ。なぜならセフィロトであった《王冠》は主の祖先、つまりは異世界の住人であり、ケテルに関しては、その特定の血筋でなければならないのだから』
 補足が済んだと認識した《世界樹》は、徐々に本筋へと戻っていく。
 今度はそこまで驚きも無く、ターヤは《世界樹の神子》の選出基準を理解して納得できた。なぜ特定の血筋でならなければならないのかという疑問は残るが、これ以上の理解と容量に自信が無かったので、今は止めておく事にした。

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