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三十九章 明けない闇‐advance‐(10)

「だから、わたしとルツィーナさんは血縁関係だったんだ……ううん、ルツィーナさんとわたしが、選ばれたんだね」
 代わりに零したのは呟きだった。ここで初めて、ターヤは『ルツィーナ』という人物が、自らの従姉であるという実感を得られた気がしたのだ。
『そうだ。そして、ここでようやく本題に戻るのだが、主と先代は深く繋がっている。その強固さを利用して協力を仰ぎ、〈マナ〉の消費量を極力抑えるという方法が、最も安全であり効率的だろう。個々人が有する〈マナ〉の量を増大させる事は難しいが、先代の力量ならば消費を抑える事は可能だ』
「お姉ちゃんと……」
 口から零れ落ちたのは、あくまでも無意識下における呟きであった。故に当の本人はその事には気付かず、告げられた方法を脳内で何度も反芻する。
 ここで風に揺れていた葉の動きが鈍る。少し間を開けて言いにくそうに《世界樹》が告げたのは、問題の部分であった。
『ただし、リスクもまた存在する。深く繋がっているという事は、それだけ相手との境界線が曖昧という事でもある。故にそれ以上同調すれば、主や先代という「個」は失われる危険性が潜んでいるのだ。また、相手が応えてくれるかについても確信は持てない。故に、吾としては、あまり薦めるべき手段ではないと考えている』
「ううん、それでも良いよ」
 心配そうな声へとターヤは首を振ってみせる。
 途端に《世界樹》の動きが再び急停止しかけていたが、脳内を整理している最中の彼女は気付かなかった。上手く整頓できたものから消化するかのように、次々と言葉にしていく。
「わたしね、ルツィーナさんって人がよく解らなかったの。だって記憶が無いのに近しい『従姉』だって言われても、全然実感が湧かないんだもん」

 当初、ターヤにとって『ルツィーナ』とは、空想上の存在のようなものだった。実在していた事も、自分と瓜二つである事も事実なのだろうが、それが彼女の脳内では結び付いていなかったのだ。

「でも、ハーディ達の話を聞いたりして、自分なりに考えてみてるうちに、記憶にピースが嵌まった気がしたんだ。まだちゃんと思い出せた訳じゃないけど、もう抵抗無く『お姉ちゃん』って呼べるし、何より協力云々以前に、話してみたいって思えるようになったから。だから、教えてくれてありがとう、ユグドラシル。わたし、お姉ちゃんと話してみるよ」
 ターヤとしては当然の感謝を述べただけだったのだが、とうとう《世界樹》はそのまま動かなくなってしまう。流石に目を丸くして小首を傾げるも、やはり大樹は停止したままだ。どうしたのだろうかと見守っていると、やがて声が聞こえてきた。
『なぜ、この世界を構成する最小のエネルギーが〈マナ〉と呼ばれているか、主は知っているか?』
 少々強引に引っ張り出してきたかのような声だった。
 唐突に始まったのは何とも脈絡の無い話だったが、困惑しつつも彼女は首を横に振る。気になる話題ではあったからだ。
「ううん。〈マナ〉っていう名前は、ユグドラシルがつけたの?」
『そうだ、吾が付けた。そもそも、〈マナ〉という名は、ある一人の少女の名でもある』
「一人の、少女?」
 思いも寄らぬ由来に、驚きに襲われたターヤは目をぱちくりと瞬かせる。何かしらの由来はあるのかもしれないくらいには思っていたが、まさか人名から来ているとは思いもしなかったからだ。
 大樹は、どこか懐かしそうに声を紡いでいく。
『彼女は、吾が四神とセフィロト以外で初めて間近で目にした存在であり、初めて物怖じせず、吾に近付いてきた生命でもあった。そして彼女は、この世界に迷い込んできた初の異邦人でもある』
「そうなの!?」
 まさかの事実には益々目が見開かれる。
『そうだ。正しくは、彼女達姉妹と言うべきなのであろうが。なせなら、彼女の姉が《王冠》となる事を選んだからだ。セフィロトのリーダーであり特別な力を授かる《王冠》となる為には、一定以上の強い精神力と大きな器、そしてこの世界の住人ではないという点が必要であった。それらを兼ね備えており、尚且つ次代へと受け継いでいく血筋であった彼女は、正に適任だったのだ』
 これにより、ターヤの中でさまざまなものが、すとんと府に落ちた。先程放置した特定の血筋しかケテルになれない理由を、そして自分達の血筋がケテルとして選ばれた理由を。
 とは言え、未来の人間が過去の時間軸に来るという点については、未だによく理解できなかったのだが。

『対して、彼女の方は同じ血筋でありながら器としての許容量が足りなかったが、その代わりなのか、何においても不思議な者であった。吾にさまざまな事を、感情を教えてくれた相手でもあった』
 ちょうど『まな』という響きの単語が知っているだけで三つもあるなぁ、などと呑気な事を考えていたターヤは、その声で思考を停止させられた。霧散しかけていた意識が《世界樹》の話へと戻ってくる。
『彼女の「マナ」という名が「愛」という意味を持つ事も、彼女は教えてくれた。故に吾は、当時はまだ名前の無かった生命エネルギーにその名を冠した。彼女が、吾がそのエネルギーを世界中へと送る様子を「まるで皆に愛を降り注いでいるようだ」と褒めてくれたからだ』
 図らずともその由来を知った瞬間、ターヤは一気に胸中を温かいものに占められるかのような感覚に襲われた。思わずそっと、ぎゅっと両手でそこに触れる。それが、それこそが『愛』なのだと、彼女は瞬間的に確信していた。自然と呟きが零れ落ちる。
「愛……そっか、〈マナ〉にはそういう意味があったんだ。それは、とても素敵な考えだね」
 そして、そこに込められている、実に個人的であろう一つの想いにも気付いていた。血縁だからこそ、理解できてしまったのだとも思った。
『ああ。だからこそ、吾は当時から現在まで、そのように考えている』
 同意された大樹は、まるで踊るかのように葉を優しく揺らす。
 そんな相手の反応を目にしたターヤは何となく、本当に何となく思い浮かぶものがあった。無意識のうちに唇が動く。
「ユグドラシルは、マナさんのことが大好きだったの?」
 瞬間、面食らったかのように、ざわりと葉が揺れた。
『判らない』
 たっぷりと間を開けてから返された《世界樹》の答えが、それであった。
 ターヤは口を挟まず、続く言葉を待ってみる。もしもその正体を知りたいと思っているのならば、何かしらのアクションを取ると思っていたからだ。
 彼女の予想通り、再度の沈黙を有してから大樹は続きを紡いできた。
『確かに、吾は彼女が大切であった。だが、この感情がその言葉で表されるかどうかまでは、よく判らないのだ』
「でも、『特別』だったんだよね?」
『ああ』
 今度は間髪入れずに返答がなされた。
 そうなれば、ターヤが返せる答えはたった一つしか存在していない。
「それなら、ユグドラシルはマナさんのことが大好きだったんだよ。他の誰もが、代わりにならないくらい」
 言いながら、ターヤは以前の自分ならば、このような事は言わなかったのだろうと思ってもいた。けれども、彼女は特定の相手を『特別』だと感じる気持ちを知ってしまった――恋を、知ってしまったのだ。
(それを教えてくれたのは、他でもないエマだから)
 決して思うところが無い訳ではなかったが、それでもターヤはこの苦く苦しく、けれど優しい感情を大事にしたかった。例え叶わないと解っていても、大切に胸に抱いたままでいたかったのである。
 回答を得た《世界樹》は、ようやく納得がいったと言わんばかりの声を発する。何千年と世界を見守ってきた老樹が、今は数年程しか生きていない幼子のようであった。
『そうか、吾は、彼女のことを誰よりも好いていたのか……』
「うん、きっとそうだよ。だって『特別』だと思って、自分が生み出すエネルギーに『愛』を意味する彼女の名前を付けるなんて、大好きって事以外にないと思うよ?」
 そう言ったところでターヤは、《世界樹》が『マナ』について話してくれた理由を、子孫である自分に彼女の面影を重ねたからではないかと気付く。更に両頬を笑みが彩った。
(ほら、やっぱりユグドラシルは、マナさんのことが大好きなんだよ)


「……やっぱり気に食わないわ、あの男」

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