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三十九章 明けない闇‐advance‐(8)

 途中で近付いてくる気配か足音に気付いたらしく、栗鼠は首だけを回してきた。
「ん? あぁ、今代のケテルか」
「あの、ラタトスク」
 やはり彼にあの伝言を渡すタイミングはここしかない、と思ったターヤは、使命感に背を押されるように口を開く。つい恐る恐るといった態度になってしまった為か、ラタトスクは訝しげな顔となった。
「何だ、何か用でもあんのか?」
「その……前の《精霊女王》が、エリナさんが、あなたに『ありがとう、幸せでした』って」
 躊躇いつつも言い切った瞬間、彼の仮面が一気に剥がれ落ち、素顔が晒される。アシュレイに真っすぐ武器を突き付けられた時でさえ飄々とした態度を完全に崩さなかった彼は、けれどその名と伝言だけで、すっかりと表情筋をフル回転させていた。
 この様子から、ターヤは二人の間に強い絆があった事を確信する。
 ラタトスクはしばらく、不意打ちで背中を突き刺されたかのような様子で硬直していたが、やがて、ゆっくりと大きく息を吐き出した。それから首を元の方向に戻し、天を仰ぎみるように視線を持ち上げる。
「そうか、あいつは……とうとう逝っちまいやがったのか」
「あ、うん。その……」
「良いって、言わさんな。代替わりん時に先代は消滅するのが、精霊の習わしだかんな。あいつも、覚悟の上だろ」
 ターヤが続けようとしたところ、栗鼠は達観したような表情を浮かべて遮った。
「けど、できる事なら、もう一度顔を見たかったなぁ」
 しかしそれは一転、懐かしむように、嘆き悲しむように、彼は破願する。
「ラタトスク……」
「まぁ、ちょいと隣まで来て座んなさんな」
 拒否する理由も無かったので、ターヤはそっと栗鼠の隣まで行き、その場に腰を下ろした。
 しかし、会話が始まる訳でもなく、その場には沈黙が訪れる。後方からも特に声は聞こえなかった為、まだオーラは廻っているのだという事が判った。
「あいつの本名な、エリナ・ベアガーラっつぅんだ」
 唐突に、ゆっくりと何かを吐き出すように、ラタトスクは脈絡の無い話を口にし始めた。
 思わず驚きに目を丸くしたターヤだったが、すぐ隣の相手からごちゃごちゃに絡み合った行き場の無い感情を感じ取って、傾聴の姿勢を取る。それが、今この場で自分にできる最善の行動だと思ったのだ。
「あいつは扉の先を別の場所に繋げるっつー、召喚士らしい能力を持ってたんだがな、その癖、あの頃は制御できずにいたんだよ。そのせいで俺はあいつの能力で喚び出されちまってな、こっちに帰れねぇんで、あいつと〈契約〉したんだよ。最初はめんどいだのとっとと元の世界に帰りたいだの思ってたんだけどな、一緒に居るうちに情が生まれてきて……気付いたら、好きになっちまってたんだ」
 語りながら栗鼠が浮かべた、これまでの印象を払拭しそうなくらい最大級に優しく柔らかな笑みを目にした時、ようやくターヤは二人の絆の意味を知る。
(そっか、ラタトスクとエリナさんも、お互いが『特別』なんだ)
「笑っちまうだろ? 根っからの魔物が人を好きになるなんざ。けど、あいつも俺と同じ想いだって知った時は……びっくりする以前に呆れたなぁ。おまえ、こんな奴を好きになっちまったのかよ、ってな」
 自虐的な色を含みながらも、嬉しさを隠せていない笑みだった。それだけラタトスクは、前《精霊女王》――エリナのことを愛しているのだ。
 そうであるのならば、ターヤはしっかりと首を横に振ってみせる。
「ううん、とても素敵な事だと思うよ。だって、それはお互いに姿形に惑わされずに、心の底から相手を愛してるって事だから」
 自らもまたそれに近しい感情を自覚した時に痛んだ場所を、そっと両手で押さえる。
 一方、そう言われた方のラタトスクはと言えば、目を丸くして何度も瞬かせてから、気恥ずかしそうに視線を若干あらぬ方向へと動かした。そうしてそれの解消の意味も込めて、からかう意図を少しだけ含んだ声を返す。
「……今代のケテルは、随分と詩人なんだねぇ」

 指摘された途端に何だか恥ずかしくなってきて、慌ててターヤは話の着目点を逸らそうとする。
「でも、どうして、その話をわたしにしたの?」
「さて、な。何となく、誰かに聴いてほしかったんだろうな。そうすりゃ、この寂しさや虚しさが、少しは報われると思ったのかもしれねぇな」
 ターヤの直感通り、ラタトスクはやるせない顔で、更に首を上方へと向けて動かした。まるで天から降り注いでくる光の雨を浴びるかのように。そうすれば、胸に抱えるものが軽くなるのだとでも言うように。
 ターヤは、黙って前を向いていた。同じく疼いているかのような自らの胸元に、そっと手を当てながら。
 そうしてしばらく時間を費やしてから、ラタトスクは立ち上がって彼女に顔を向ける。
「さってと、邪魔したな」
「ううん。話してくれて、ありがとう」
 ゆるりと首を横に振れば、栗鼠は呆れたような笑みを返してくる。それから視線を戻して駆け出し、そのまま丘を下りていった。
 その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、ターヤは後方へと首を動かす。レオンスはまだそこに立っており、《世界樹》にも変化は見受けられない。まだかかるのだろう、と首を戻そうとした時だった。
「「!」」
 光が生じたように見えた彼女が慌てて顔の動きを反転させれば、確かに大樹の幹には、つい二時間半程前に目にした光の門が見えた。思っていたより時間がかからなかった事に驚きつつ、ターヤは立ち上がり、恐る恐るそちらへと歩いていく。
 同時に気付いていたレオンスはと言えば、不安と心配と期待とが混ざった顔で目を見開いている。
 そうしてそこから姿を顕したのは、彼が待っていた人物だった。
「やはり、待っていてくださったのですね」
 彼女は彼を目に止めるや否や、呆れを含んだ声を紡ぐ。それでもどちらかと言えばポーズのようであったのは、彼の願望なのだろうか。
 立ち尽くすレオンスをひとまず置いて、オーラは大樹を振り返り深々と頭を下げる。
「本当にありがとうございました、《世界樹》さん」
『主の方こそ、よく耐えた』
 大樹の応えを受け取ってから、少女は今度こそ青年へと向き直った。
 彼はまだ夢を見ているかのような顔で彼女を見ていたが、ゆっくりと確かめるように声を発した。
「大丈夫、なのか?」
「はい、もう大丈夫です。御心配をおかけして、すみませんでした」
 安心させるべく微笑んでみせた後、オーラはしっかりと腰を折って首を垂れる。
 それにより現実へと帰ってこれたレオンスは、慌てて気にするなと伝えるべく口を開く。
「いや、大丈夫なら良いんだ」
 距離を縮めるにつれて二人の会話が耳に入ってきた為、ターヤもまた上手く事が運んだのだと知り安堵する。同時に遠慮が薄れ、少しだけ足の速度が上がった。
 近付いてくる彼女に最初から気付いていたオーラは、首だけをそちらへと向ける。
 眼前の事で頭がいっぱいだったレオンスは、草を踏み分ける音で初めて彼女に気付いた。
 二人の近くまで辿り着いたターヤは、レオンスに良かったねと視線で話しかけてから、オーラに声をかける。余計な事は付け足さず、ただ一言だけに留める事にした。
「おかえり、オーラ」
「はい、ただいま戻りました。ところで、ターヤさんも待っていてくださったのですか?」
 解っていながら問うてくるオーラにターヤは苦笑し、首を横に振ってみせてから大樹を見上げる。
「ううん。わたしは、ユグドラシルに話があるの」
 真っすぐ見つめれば、何かを感じ取ったかのように緑が大きく揺れた。
 オーラは了解したと言わんばかりに頷いてみせてから、レオンスを振り向いた。
「では、私達は一足先に丘から下りましょうか。レオンスさんには、個人的に御話したい事もありますので」

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