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三十九章 明けない闇‐advance‐(6)

 と、そこで彼女は本当に偶然、何気なく動かした視界の端にリチャードを捉えていた。そうして認識した彼の顔に、これまた何となく視線が向いた瞬間、背筋を強い悪寒が駆け抜ける。
「っ!?」
 それは、貼り付けたような笑みさえ取っ払われた、無感情な表情だった。いったい何が彼の琴線に触れたのかまでは判らなかったが、これ以上無いと言って良いくらいの激情を湛えた雰囲気が、そこから醸し出されているのである。例えるならば、心臓や精神の弱い者ならば、それだけで殺せてしまえそうな程の。
 図らずとも彼の本性を見てしまったように感じ、反射的にターヤは顔ごと視線を逸らしていた。
 そんな彼女に気付きつつも、アクセルはとりあえず知らない振りをする事にした。同じく気付いていたらしき渦中の人物を一瞥してから、何気ない話題を皆へと振り始める。
「それにしても、おまえにまで闇魔が憑いてたなんてなぁ」
「だから、最近は体調を崩す事が多かったんだな」
「御迷惑をおかけして、すみませんでした。内容が内容でしたので、どうにも言い出しにくくて……」
 彼の思惑に乗ったレオンスが話を繋げれば、オーラもまた本心を織り交ぜながら便乗してきた。
 マンスは彼らの意図にもリチャードの様子にも気付いていなかったが、まだ心配事があったので会話に入る。
「でも、おねーちゃん、ほんとにだいじょぶなの? だって、失敗するかもしれないんだよね?」
「危険な賭け、なんですよね……?」
 少年の不安が強いものである事を、手を握られているモナトは知っていた。だからこそ、彼女もまたついつい口を挟んでしまう。
 しかしオーラは微笑み、二人の頭をそっと優しく撫でる。
「ですが、もう決めた事ですから。それに、私は大丈夫です。信じてくださいな」
 本人からそう言われてしまえば、少年少女はそれでも治まらない不安を抱えながら様子を窺うように見上げつつも、黙るしかなかった。
「けど、もっと早く話してくれても良かったんじゃないの?」
 ここで容赦の無いアシュレイが、いっさいオブラートに包まず指摘を開始する。まずは闇魔の事についてだった。
 しかし、これに対しては本人が何事かを言うよりも先に、スラヴィが行動している。
「《神器》に闇魔が憑いていて、しかも浄化できずにいるだなんて、なかなか言いにくい事だと思うよ?」
 さりげない擁護にはオーラが数回目を瞬かせてから、どことなく嬉しそうな様子で申し訳無さそうに彼を見た。
 彼の方は彼女を意図的に見ない。
「そもそも、ここに居るのは大丈夫な訳? 何せ、最大の聖地と言っても過言じゃないわよね」
 行動力のあるアシュレイは、次いで別の疑問をぶつける。
 言われてみれば確かに、闇魔を抱えた身に高濃度の〈マナ〉が毒だと言うのならば、その中心たる《世界樹》の麓では尚更ではないのだろうか、とターヤ達も気付く。
 けれども、オーラからは特に披露した様子などは見受けられない。
「問題ありません。ここにはウルズの泉がありまして、その強力な浄化効果により、闇魔は刺激されるどころか押さえ込まれてしまいますから」
 返された回答にターヤ達は安堵の息をつく。それから彼女は密かにアシュレイを窺った。こちらに気付いた相手と目が合えば、彼女の表情に気付いたのか、相手は若干頬を赤く染めてぷいと顔を逸らしてしまう。やっぱりアシュレイもオーラが心配だったんだなぁ、とターヤは先程の寒気も忘れて頬を更に綻ばせた。
 そして話の流れ的にここで訊いておくべきかと思い、アクセルもまた口を開く。
「話ついでに、一つ訊いても良いか?」
「はい、何でしょうか?」
「何で、おまえは誕生したばかりの闇魔の事も知ってたんだよ? つーか、何で人の過去まで知ってんだよ? やっぱり、《神器》だからなのか?」
 責めるような色を含みつつも遠慮がちという矛盾したアクセルの疑問は、一度は同じ疑問を抱いた事のあるターヤ達にも同感できるものであった。

 この問いに対し、オーラは言われて思い出したと言うような顔になる。
「そう言えば、その辺りのシステムについては、殆ど御話した事がありませんでしたね」
「そうだね。良い機会だし、話した方が良いんじゃないかな?」
 やはりスラヴィは知っていたようで、ここで初めてオーラに視線を寄越した。
 彼女もまた同じように思っていたらしく彼へと頷いてから、皆へと向き直る。
「私が大量に、そして秘匿性が高い筈の情報を有しているのは、ひとえに《神器》としての能力故です」
 今度は回りくどい言い方はせず、はっきりとした説明をオーラは行う。
「その能力の名を〈世界図書館〉と言います」
「びぶりおてーか……」
 いつも通り、ターヤは自然とその名を反芻すると同時、聞き覚えがあった気もした。あれは確か、初めて世界樹の街に来た時だっただろうか。けれども話は先へと進んだ為、その思考はそこで打ち切られるような形となった。
「これはその名の通り、収集した世界中のさまざまな情報を、『本』という形で異なる次元に存在する『図書館』に保管しておくという能力です。そこには誰がいつ何をしていたという情報から、ある人物がこれまで歩んできた人生まで、実に多種多様な情報が保管されています」
 つまり、実にどうでも良い内容から、秘匿性が高くなくてはならない筈の内容まであるという事なのだ。
 ここまで聴いたところで、ターヤは思い付くものがあった。
「って事は、さっき言ってた《神器》の記憶と記録が保管されてるのが、〈世界図書館〉って事だよね?」
「はい、その通りです。ただし、世界中からさまざまな情報を入手するという事は、必然的にそれを確認し、整理する時間をも必要とします。ですから、入手している情報には、どうしてもタイムラグが発生してしまいます。故に、決して全てを知り得ているという訳ではないのですよ。とは言え、情報を選別すれば、リアルタイムで閲覧する事も可能ですが」
 だからこそオーラは知っている事もあれば、知らない事もあったのだ、と皆は知る。
 そして実に意外だと感じたらしく、モナトが丸い瞳を更に大きくしてぱちぱちと瞬かせた。
「オーラさまでも、知らない事があるんですね」
「ええ、幾ら《神器》とは言え、《神》や《世界樹》さんには匹敵しませんので。ですが、それですら、私は全てを受け入れきれなかった。そのしわ寄せが、スラヴィさんに与えられていた《記憶回廊》という役目でした」
 そう言いながら彼女は再度スラヴィを見る。しかし、そこに自嘲の色は微塵も見当たらない。
 彼もまた視線を向ける。何かを推し図ろうとしているかのようでもあった。
 眼前の光景を視界に収めながら、以前《世界樹》からも、そのような話をされていた事をターヤは思い出す。次いで、今日は思い出してばかりだ、と思わず独り言ちた。そうして重要な情報は、何気なく既に開示されていたのだという事に気付く。当時は他の事に意識の大半を割いてしまっていた為か、さほど重要視する事も無く聞き流してしまっていたようだ。
(わたし、やっぱり抜けてるんだなぁ。もうちょっと頭を動かせるようになった方が良い気がするよ……)
 気付いてしまうと何だか軽い自己嫌悪に襲われてきて、ターヤは小さく息を吐き出した。比較的すぐに立ち直ったのだが。
 その間にも、何事かの確認が終わったらしきスラヴィが目を元に戻した事で、オーラもまた皆へと向き直る。
「ですからスラヴィさんは、この世界に纏わる事実や皆さんの事情について、御存知な事も多かったのです。無論、前者については、世界樹の民であったという点が大きいのですが」
 スラヴィもまたオーラに次いで既知な事が多いので、最早あたりまえの事のように認識していたが、言われて納得の事実であった。
 そこでふとターヤは、珍しくリチャードが揚げ足を取ったり口を挟んできたりしていない事に気付き、少々の違和感を覚える。先刻の件はまだ記憶に新しかった為、意識せずとも相手に気付かれぬよう細心の注意を払いながら、そっと様子を窺う。その顔には先程のような暗い影は見当たらなかったが、やはり普段とは何かが異なるように感じられた。その『何か』についてまでは解らなかったが。

ビブリオテーカ

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