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三十九章 明けない闇‐advance‐(16)

「!」
 その言葉にターヤは思わず過剰に反応してしまうも、すぐ我に返って上がりかけていた腰を下ろしながら、落ち着きもまた取り戻す。それでも、緩んでしまった頬だけはそのままにしておいた。
「そっか。今度は、ちゃんと仲直りできると良いね」
「うん。良い報告ができるようにするよ」
 二人は互いに微笑み合い、それから同時に天を仰ぐ。ちょうど、視界の中央付近で流れ星が落ちていくところだった。それを目にしたターヤは静かに瞼を下ろす。神に祈るかのように、願い事を心中で口にした。
 途中からそんな彼女を見ていたスラヴィは、思い立ったように質問を投げかける。あくまでも、直前の彼女と同じく殆ど無意識で。
「ところで、ターヤはまだエイメが気になる?」
 その名を聴覚で認識した瞬間、ターヤは自らの身体が大きく震えたのが手に取るように解ってしまった。慌てて物理的にも精神的にも止めようとするが、話題が話題だけに上手くいく筈もなかった。
 スラヴィは、無言で答えを待っている。
「……うん。気になる、よ」
 今までで一番長いと言っても過言ではなくくらい、ゆっくりと吐き出すようにして発した声からは、やはり動揺が隠しきれていない様子が丸判りだった。自ら滑稽だと感じつつも、ターヤは言葉を紡いでいく。
「だって、アクセルもアシュレイも……みんな、何も言わないけど、このままにしておいちゃいけないと思うから」
「うん、そうだね。俺もそう思う」
 抱えた膝に埋めそうなくらい顔を下げてそう言えば、スラヴィは本心からの同意をくれた。理解してくれていると感じられる彼の声に安堵して、ターヤはゆっくりと顔を元の位置まで持ち上げる。頭の中は、エマの事でいっぱいになりかけていた。
「みんなだって、そう思ってるとは思うんだ。でも、アクセルとエマが真正面から向き合えない限り、きっと何も進まないんだと思う」
「現状を受け入れるのと、相手と向き合うのとはまた別物だからね」
 言いたかった事を先取りしてくれるスラヴィに若干甘えている事は理解しつつ、これくらいなら許容範囲である事を知っていたターヤは気にしない。
 彼もまたその事には気付いていたが、以前の借りを返す為なので何も言わなかった。
「うん。だから、わたしが何とかできたら、って思うの。何ができるかなんて解ってないけど、エマにまた笑ってほしいから。それが、わたしの素直な気持ちだから」
 エマが好きだった事を彼には伝えていなかったが、ターヤは流れるようにそう言っていた。どう受け取られても良いと思えた上、何となく彼は気付いていそうな気もしたからだ。
「ターヤがそう思えているのなら、大丈夫だよ」
 あくまで迷いのない声で彼女の背中を押してから、スラヴィは立ち上がる。
「じゃあ俺はもう戻るよ。お休み」
「うん。お休み、スラヴィ」
 言外に感謝の気持ちを込めながら彼に挨拶を返したターヤは、そのまま丘を下りていく背中を見送った。完全に見えなくなってから、再び首を上方へと向ける。また、流れ星が視界を横断するように通り過ぎていった。
 最後の決意をも固めた少女は、ゆっくりと立ち上がる。首は俯け気味になるまで下ろし、両手は胸の前でしっかりと組み合わせ、そして瞼を閉ざした。
(――お姉ちゃん)
 そうして、ターヤは祈るように自らの奥底へと呼びかける。そもそも《世界樹》の言う通り、答えが返ってくるのかどうかも判らなかったが、それでも、彼女はこの可能性に賭けたかったのだ。無論、自らが『姉』として慕っていたらしき人物と、話をしてみたかったのもある。もう、自然と呼称は決まっていた。

 しかし、応える声は無い。確かに今まで『ルツィーナ』がターヤの身体を借りたり、脳内で呼びかけてきたりした事はあったが、ターヤ本人は彼女と面と向かい合った事は無かった。そもそも、相手がターヤをどのように思っているかすら本人は知らないのだ。
(お願い、お姉ちゃん……もし、わたしに力を貸してくれるのなら、応えて……!)
 ぎゅっと眉間と手に力が籠る。
 唐突に、背後から肩に触れられる感触と共に、どこか懐かしい声が届いた気がした。
「!」
 我に返って弾かれるように振り返るが、そこには誰も居る筈が無い。それでも、ターヤは喜びと嬉しさを覚えていた。確かに感触があって声が聞こえた上、身体の奥底から湧き上がってくる、何か暖かいものを感じ取っていたのだ。

 故に、彼女は感謝と気合と諸々の感情を込めて、彼女へと答える。
「うん……ありがとう、頑張るから、だから見ててね、お姉ちゃん……!」
 雲一つない夜空で、やはり星が瞬いた。


「――ルツィーナ?」
「急に立ち止まってどないしたんや、ヴォルト」
「……いや、何でもねぇよ」
「……今日は、随分と星がよう見える日やな」
「……そぉだな」


 翌朝、全ての準備を終えた一行は、《世界樹》に挨拶すべく丘の頂上を訪れていた。ヴァンサンも律儀に来ていたが、リチャードの姿はどこにも見当たらなかった。
『改めて、これから宜しく頼む、新たな《精霊王》、並びに《精霊女王》よ』
「うん、よろしくね、《世界樹》!」
「はい、よろしくお願いします、《世界樹》さま!」
 まず昨日はタイミングを逃していた新たな精霊の主への挨拶を行った大樹へと、マンスとモナトは気合いを入れて応えてみせる。
 この様子を大樹の葉の間からラタトスクが覗いている事に、ターヤは気付いていた。
 大樹もまた気持ちが良いくらい元気な返答を受け取ってから、続いて一行全員を一人ずつ見回す。
『そして、主らに改めて吾から頼みたい。北大陸に潜む彼の者の暴挙を止めてほしい』
「僕からも、お願い」
「はい、必ず」
「うん、任せて!」
 《世界樹》とヴァンサンの依頼にはオーラが応え、ターヤが応え、そして残りの面々が動作で応える。
 そうして一行は、ターヤが喚び出したニルヴァーナに乗って北大陸へと向かったのだが、結局着いて早々、その雪を踏み締めて歩く事となっていた。
 その理由としては、クレッソンが大規模な魔術を構築している影響により、現在の北大陸における〈マナ〉の流れの狂いが、更に加速してしまっていたからだ。その為にニルヴァーナですらも先に進めないくらい上空は荒れており、まだ下の方が安全だからと、目的地の上方たるフィデース雪山どころか、その周囲に広がる[ディディオダートゥム氷原]に下ろされる事となってしまったのである。
 しかも状況が状況だけに、オーラの転移魔術でもどこに飛ばされるか解らない恐れがある事は全員が承知していたので、何とか雪山に向けて進んでいかなければならなかった。
 けれども、眼前には到着した時と変わらぬ一面の白と、そして数メートル先も見えない程に激しく吹き荒ぶ白しかない。これには主にターヤとマンスが怯みかけたが〈結界〉を貼ったまま移動する事はできない為、結局先に進むには生身になるしかなかったのだ。
 かくして、現在一行は肌を刺すような寒さと戦いながらオーラの先導の下、フィデース雪山を目指していた。

 ただし、横薙ぎに襲いかかってくる吹雪と地面を覆う高い積雪については、オーラが常時魔術で溶かしてくれている為、雪に埋もれる危険性と足元を気にする必要が無いのは幸いと言えた。また、その際に発する熱により、寒さもほんの少しは軽減されている。

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