The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十九章 明けない闇‐advance‐(15)
あの後、何とか残りを完食してみせたモナトだったが、今もまだ申し訳無さそうに肩を落としていた。今にも抱えた両膝に頭を突っ伏しそうな様子だ。
「うぅ……すみません、オベロンさま」
ずっと沈んだままの彼女を見たマンスは、慰めるべくその頭を撫でる。
「ううん、別に良いんだよ。ゆっくり慣れてけば良いんだから」
「すみません、オベロンさま」
「だから、謝らなくて良いって言ってるのに」
むぅ、と頬を火の上の餅のように膨らませたマンスだったが、そこでふと何かを思い付いたような顔となる。
「そうだ! これから何でもないことで謝るたびに、ぼくのほっぺたにちゅーしてよ、モナト!」
「えっ、ええっ!?」
突然の提案に素っ頓狂な声を上げるしかないモナトだったが、言い出しっぺのマンスはと言えば、全くもって気にしていない。恋などまだ知らぬ彼は、自分の発言が意味するところを、ちょっとした罰ゲーム程度にしか考えていなかったのである。
しかし、モナトの方はそうはいかない。彼女はこれでも、ずっと彼に対して無自覚に淡い想いを抱き続けていたのだから。ならばこそ乙女の恥じらいが、そう簡単に事を運ばせてはくれなかった。
あー、だの、うー、だのと真っ赤になった顔で唸るモナトを見て、冗談だと言おうとしたマンスだったが、何かが近付いてくる気がして開きかけた口を噤む。そうして彼が立ち上がった瞬間、その眼前に二つの影が姿を顕す。
『なるほど、御前が次の《精霊王》となったのか』
『お久しぶりです、マンスールさん』
突如として顕れたのは、悪魔のような青年と天使のような少女だった。
突然の来訪者にモナトは目を丸くしていたが、マンスは表情を引き締めながら彼らと視線を交わす。何となく、そんな予感がしていたのだ。これも《精霊王》としての力なのだろうかと思いながら、彼は口を開いた。
「久しぶり、《闇精霊》、《光精霊》」
まずは挨拶に声を返せば、相変わらず冷たい表情をした《闇精霊》が、射抜くような視線を一直線に突き刺してくる。
『少しは変化があったようだが、及第点だな』
相変わらず容赦の無い《闇精霊》に反論したくなる気持ちを、マンスはぐっと飲み込んで堪えた。そうしてしまえば、まだまだ子どもだという証明になってしまうと思ったのだ。
言葉通りで判りやすい様子の少年を見下ろしながら、ふん、と《闇精霊》は鼻を鳴らす。そこで初めて、彼の隣に座る少女へと目を向けた。
急に渦中へと引き込まれたモナトは思わず身構えるも、即座に姿勢を正して真っ向からその視線を受け止める。まだ自力で立ち上がる事はできなかったが、自らの『王』の為にも、ここで逃げたくはなかったのだ。
《光精霊》は、笑みを浮かべたまま事の成り行きを見守っていた。
やがて、睨み合いは始まりと同じく《闇精霊》が終わらせる。
『だが、御前の伴侶に免じよう』
何とも簡潔な言葉ではあったが、彼は暗にマンスを主として認めると告げていた。ただし、モナトの意思の強さを加味してではあったが。
片割れの発言を受けた《光精霊》は、二人分の総意を目を丸くしている少年へと告げる。
『これからよろしくお願いしますね、我らが《精霊王》、並びに《精霊女王》』
『……異論は無い』
やはり《闇精霊》は最後の最後まで渋々という感じではあったが、それでも否定されている訳ではなかったので、マンスは気にならなかった。寧ろ反抗心は、いつの間にかどこへともなく吹き飛んでおり、これから徐々に認めてもらえば良いのだと思えるようになっていた。そうなれば、自然と満面の笑みが浮かぶ。
「うん、よろしくね!」
それに対して《光精霊》は微笑み、《闇精霊》は鼻を鳴らしてから同時に姿を消した。
二人の精霊が居なくなっても、その場所をマンスは見つめ続ける。
そんな彼の横顔を、黙ってモナトは見上げていた。
「モナト」
幾許か時間が経ってから、マンスは隣に座ったままの彼女に視線を戻す。そうして、決意も新たに手を差し出した。
「ありがとう、きみがいてくれてよかった。……ぼく、がんばるよ。だから、どこまでも一緒にいてね!」
「っ……はい、オベロンさま!」
差し伸べられた手を心の底から嬉しそうに取りながら、モナトもまた、彼へとはっきり答えてみせる。
そんな二人を、レオンスは宿泊場所の窓から微笑ましげに眺めていた。未だにオーラは戻ってきていない為、彼女が戻ってきた時にその分の夕食をすぐ温めるという役目を、自ら買って出たのだ。勿論、何人かには呆れられもしたのだが。
(マンスールくらい、素直になれれば良いのかもしれないな……いや、それは俺らしくもないか)
内心とは言え弱音を吐きかけるも、すぐに我に返る。その弱気な考えを振り払うべく視線を窓の外へと戻したところで、彼は丘を下りてくる一つの影を視認した。そして、その影がつい先程まで見ていた少年と少女の許に向かっている事をも知る。
「やっと、長い話が終わったみたいだな」
そう呟きながら、レオンスは彼女の分の夕食を温めるべく窓際を離れ、キッチンへと向かったのだった。
そして同時刻、ターヤとスラヴィはマンス達とはまた別の丘の斜面に座り込み、星空を仰いでいた。ちなみに二人で一緒に行動していた訳ではなく、ぼんやりと歩いていたターヤがスラヴィを見付けて、何となく隣に腰かけただけである。
その為か、彼女が隣に座る許可を貰った時に一言二言声を交わした以外、二人は互いに無言で星空を眺めたり、市街地を見下ろしたりしていた。
ターヤもまた彼と話したかった訳ではなく、寧ろ他の事に気を取られていた程だ。
(お姉ちゃんと、ちゃんと話せるのかな)
他ならぬ、先代の《世界樹の神子》にして、従姉たるルツィーナとの対話である。困惑している訳ではないが、完全に不安が無い訳でもなかったのだ。自分は、彼女の事を何一つ覚えていないと言っても過言ではないのだから。
「何か悩んでいるの?」
「!」
思考の中に沈んでいるところに唐突に声をかけられて、しかもそれが図星であった為、ターヤの全身が跳ねる。
何とも判りやすい反応に、けれどスラヴィが揚げ足を取る事は無かった。
「うん。でも、大丈夫だから」
相手を見ずにゆっくりと頷けば、彼もまた同様に、そう、と返すだけだった。
そしてまた、会話は途切れる。
不安と言えどもさしてある訳でもなかったので、ターヤの思考は、すぐに隣に座るスラヴィへと移っていった。ふと、ずっと気になっていた事を思い出す。
「スラヴィは、まだイーニッドには会いにいけそうにないの?」
一瞬訊くべきではないかとも思ったが、それでも尋ねておかなければならない気がした彼女は、自然とそれを言葉として具現化していた。同時に、そっと隣を窺う。
途端に、今度は少年の肩がぴくりと反応を示す。
「気になる?」
それでも少し間を開けて顔を向けながら返されたのは、何とも曖昧且つ、さりげない逃走を図っているようにも思える答えだった。
けれども、彼が答えたくないのならばターヤはそれで良かった。だからこそ首を横に振る。
するとスラヴィは数秒程じっと彼女を見つめてから、口を開き直した。
「クレッソンを止めたら、もう一度会いに行ってみようと思っている」