The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十九章 明けない闇‐advance‐(14)
「私はまだ《世界樹》さんと御二人で御話ししたい事がありますので、しばらく残らせていただきますね」
「うん、分かった」
皆を代表するかのように応えてから、ターヤはアクセルを追うように丘を下りていった。
リチャードとヴァンサンを含む他の面々もまた、彼女達に続いてその場を後にする。
「オーラ」
そんな中、レオンスはオーラへと声をかけていた。
「レオンスさん、どうかいたしましたか?」
名を呼ばれた彼女は当然の事ながら、振り返って用件を訊く。
レオンスは言おうとして、けれど思うように言葉が出てこずに黙った。〈世界図書館〉の《所有者》になる事を依頼された時から胸中に生じ、徐々に肥大していた不安を、上手く伝えられそうになかったのだ。
「あまり、背負い込みすぎるなよ」
結局、彼が口にできたのはそれだけだった。
彼女は、ゆっくりと頷いてみせた。
「はい。御気遣い、感謝します」
まるで解っていると言うかの如くどこか悲しそうに微笑んだオーラに、レオンはそれ以上何も言えそうにはなかった。
「レオンったら、今日こそヘタレを脱却してると良いんだけど。ほーんと、見ててじれったいんだから」
「君は口を開けば、彼のことばかりだな」
「良いじゃない。あれでも、あたし達の大事な『お頭』なんだから。……それとも、何、嫉妬でもしてるの?」
「いや、思った事を口にしただけだ」
「……あっそ」
「フアナ? どうしたんだ?」
「何でもない! あんたには関係ない! ……ふん!」
「……?」
一方、市街地に下りた一行はヴァンサンに案内してもらい、丘とは目と鼻の先である三階建ての建物に泊まる事となった。どうやら彼は、まだ足元の覚束ないモナトに配慮してくれたらしい。そんな彼に感謝した一行は一人分多く夕食を作り、席を共にした。それの片付けも終わった後は、自然と自由行動になっていた。
そういう訳で、アクセルとアシュレイは市街地に繰り出していた。ちなみに、丘を下りたところで、皆と別れてどこかに行ってしまったリチャードを捜しに出かけた彼女に、彼が同行する事にしたという経緯である。
「おまえ、やっぱりあいつを怪しんでるんだろ?」
「ええ、それはもうかなり」
アクセルが前を行くアシュレイに声をかければ、簡潔な回答が返ってきた。彼女の足取りは実にマイペースで、後ろからついていく彼の事など気遣ってはいない。それでも、それが彼女からの信頼の証だと知っている彼は苛立ちなど覚えなかった。
「どこからどう見ても怪しすぎるのよ、あの男。スラヴィの件で人格が破綻してる事はよく解ったけど、その後から妙になりを潜ませているようだし。そもそも、あの笑み自体嘘っぱちだし胡散くさいわ。おそらく、あの男は何かを企んでるわね」
しかも、そこまで訊いてもいないのにわざわざ説明してくれるところからして、アシュレイはかなりアクセルを信用しているのである。
その事に頬が緩みそうになっているのを自覚しながら、彼は状況が状況だけにポーカーフェイスを装った。それでも、先程から周囲の気配を探る手は抜かりない。彼もまた、相手の纏う雰囲気や今まで感覚で捉えてきた人物像などから、『リチャード』という青年は信用に足らないという最終的な判断を下していたのだから。
「相変わらず獣並みに勘の働く奴だよな、おまえ」
豹の魔物《マフデト》である以前に勘の鋭い彼女への誤魔化しも兼ねて、アクセルは左肩だけを一瞬だけ竦めてみせる。
その言葉に、アシュレイはわざとらしく鼻を鳴らしてやった。
「あたしは元から獣よ。そんな事も忘れた訳?」
「そういう意味じゃねぇよ」
まさかの返答に内心慌てたアクセルは、頭を掻く素振りを取りながら即座に否定する。彼女を知性無き『獣』だと認識している、などという暴言を吐いた訳ではなかった。
「ええ、知ってるわよ」
けれども彼女が返した声は、実にあっけらかんとしたものだった。
からかわれていたのだと理解したアクセルは、途端に大きな溜め息を吐き出す。常の険しめな顔付きだったので、ついつい真面目に言っているのかと思ってしまったのだ。男としての矜持で瞬時に表情を元のものに取り繕いながら、彼は若干強引に話題を戻す。
「それにしても見付からねぇし、見当たらねぇよな、あいつ」
「ったく、本当にどこに行ったのよ、あの男。……いっそ《マフデト》になってやろうかしら」
自分と同じで何ともちっぽけなプライドと思いながら、億尾も出さずアシュレイは流れに乗った。そうして真面目な顔でとんでもない事を言い出した彼女を、今度は彼が呆れ顔で制止する。
「流石にそれは止めとけよ」
「冗談よ」
最初からそのつもりなど無かったアシュレイは、即座に言い返す。視線を走らせるのを止めて立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませるも、やがて息を一つ吐き出した。
「……駄目ね、本当に気配が無い。この街自体に居ない可能性が高いわね」
「まじかよ……何か、ますます怪しく感じられてきたよな」
彼女に倣って足を止めていたアクセルは、それを聞いて後頭部を掻いた。
アシュレイは彼を振り返り、向き合ってから頷いてみせる。
「ええ、あの男には気を付けた方が良いわ。もしかすると、クレッソンと何らかの繋がりがあるかもしれないし」
思ってもいなかった言葉と現在最も危険視すべき名に、アクセルは目を見開く。一瞬にして崖の縁まで連れていかれたような気分と化した。
「あくまでも推測ではあるけれど、絶対に無いとは言い切れないもの」
念の為補足したアシュレイに、アクセルは大丈夫だと言いたげに首を縦に振る。
「それもそうだな。ともかく、今後はあいつの提案は受けねぇ方が良いかもな」
「そうね、ターヤとスラヴィも警戒してるみたいだし――!?」
突如として彼女が後方を振り返った事で、彼もまた即座に構える。だが、そこには誰の姿も目視できず、何の気配も感じられなかった。
ゆっくりと戦闘体勢を解きながら、アシュレイは説明がてら呟く。
「今、誰かの視線を感じたと思ったんだけど、気のせいだったみたいね」
アクセルも彼女の反応からその可能性は予測できていたが、彼女が姿勢を戻した事で問題は無かったのだろうと判断する。自分も彼女も疲れているのかもしれないと思い、彼は堂々と欠伸を行う。
「とにかく、今日は戻ってとっと寝ようぜ? 何かさっきからねみぃんだよ」
「それもそうね。明日は大事な用事もある事だし」
気付かない振りをしてその気遣いに肖り、アシュレイは踵を返す。
そのまま元来た道を引き返していく二人を、彼女が反応した方向――とある建物の上階の窓から見下ろす影があった。その口元が弧を描いた事を、二人は知らない。
その頃、丘の麓ではマンスとモナトが横に並んで腰を下ろしていた。
「モナト、やっぱりまだ慣れない?」
隣に座る少女へと、少年は気遣わしげに問いかける。
長らく仔猫の姿で過ごしてきたモナトは、なかなか人間の身体に慣れる事ができず、片腕を動かすのにも苦労している。そのせいか、夕食時に皿をひっくり返してしまったのだ。その事で意気消沈してしまった彼女を、彼は星が綺麗に見えるからと誘って連れ出した訳である。