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三十九章 明けない闇‐advance‐(11)

「まだ仰られるのですか、ヌアーク様」
「当然よ。あたくしはユリアのことを、実の娘のように思っているもの。変な虫が付くのを良しとはしないわ」
「貴女の方が、年下ではいらっしゃるのですが」
「そう言うエフレムこそ、本当はまだ認めていないくせによく言うのね」
「……否定はいたしません。ですが、ヌアーク様のその御言葉を、貴女の御父様が御聞きになられた場合、さぞかし誤解され、心配されてしまうのではないかと」
「……お父さまを困らせるのは、本意ではないわ」


 一方、丘を下りたオーラとレオンスは互いに無言だった。前者は不明だが、後者は相手から話しかけてくれるのを待っていたからである。こと彼女関連では余裕も無く心配性な彼は、完全に安堵できた訳ではなかったのだ。
(何の、話なんだろうな)
 そして、もう一つにして最大とも言える理由がこれであった。オーラの言う『個人的に話したい事』という話の内容が、未だ皆目見当も付かないのだ。
「レオンスさん」
 思考を巡らせている最中に話しかけられる結果となり、レオンスは思わず僅かに肩を揺らした。それでも動揺は見せるまいと平静を装いながら立ち止まり、彼女を振り返ってから手を離す。話の最中に手を取ったままでは切実さが足りないと、彼は考えていたのだ。
「何だい?」
「貴方に御願いがあります。私の――いえ、現〈世界図書館〉の《所有者》になっていただきたいのです」
「!」
 予想外の頼み事に、レオンスは目を見開くしかなかった。同時に、これこそが先程彼女が言っていた『個人的に話したい事』なのだと、直感的に確信する。
 対して、オーラは全身に真剣さを纏わせて話を進めていく。
「強制ではありませんが、〈世界図書館〉の《館長》――つまり《神器》は《所有者》を御一人だけ選ぶ事が可能です。その理由としては、もし自らに何かが起こった場合、全世界の情報を保護する為です」

 確かに現在のオーラのように、《神器》と言えども万能ではない。何らかの方法により、心無き者にその能力を悪用されてしまう可能性もあるのだ。

「その代わり、選ばれた方が標的とされる可能性も生じますが、その対策として《世界樹》さんの加護を受けられます。また、その方はただ《所有者》として『鍵』を預かるというだけなので、基本的には何の負担も負いませんし、情報の閲覧もできません」

 アフターケアも万全だとばかりに、オーラは利点を告げていた。

「ただし、一度決めてしまえば《神器》が次代へと廻るまでは永久ですから、《世界樹》さんも気を使って、スラヴィさんを《所有者》としては選ばなかったのでしょうね」
《神器》については先程まで皆と同じく殆ど知らなかったと言っても過言ではないレオンスにとって、その話は寝耳に水であった。予想できなくとも無理は無かったのだ。
 まるで意識が現実から乖離したかのように、最初だけどこか遠くを見るような目でオーラは続きを紡ぐ。
「あの人には、最後まで頼む事は叶わなかったけれど……貴方になら、御願いできると思いましたので」
「俺、に?」
 無意識のうちに、意識は前半部分に対して聞こえない振りを決め込み、後半だけをしっかりと刻み込む。
 オーラはしっかりと頷いてみせた。
「はい。どのような私であろうと好きでいてくださると、そう仰ってくださった貴方なら、私は《所有者》として信頼できると思いました」
「……!」
 向けられた言葉に、解っていても期待を抱かずにはいられない自分が居る事を、レオンスは思い知る。一気に縮小された冷静な部分が警告を叫ぶが、それでも胎動し始めたその感情を沈黙させられる術を、現在の彼は持っていなかった。

 それを知りつつ、オーラは気付かない振りをする。
「嫌な、予感がするんです。この後、きっと私には何かが起こるのでしょう。だから、その時に〈世界図書館〉を悪用されない為にも、私が今、最も信頼できると感じた貴方に、私の《所有者》になっていただきたいのです」
 そこでようやく、彼女は彼の内心へと向き合った。
「ええ、そうです。私は貴方の好意を利用する、最低な、酷い女です」
 わざとらしいくらいにこやかな表情となって、オーラは微笑んでみせる。たった一言でありながら、槍の如き鋭さを有した言葉と笑みであった。
 それを目にしたレオンスは一瞬にして突き落とされ、太い杭を突き立てられたかのような痛みを胸元に覚える。拒絶されているのだとは解っていても、享受したくはなかった。故に、微かに震える声を喉から絞り出す。
「そうやって、君は俺を遠ざけようとするんだな。自分は嫌な奴だから、早くもっと良い人を見付けろ、そう暗に言いながら。わざとらしく、クロリスの髪型を真似てまで」
「流石に、レオンスさんには、解ってしまいますか」
 一瞬オーラは驚きに目を見張るも、次の瞬間には苦笑を浮かべていた。
 けれども、レオンスは冗談めいた空気に流されるつもりなど無かった。
「解るよ。いったい何年、君を想ってきたと思っているんだい? ……十年前のあの時から、もう俺には、君しか見えていないんだよ」
 真っすぐな目を向けられ、初めてオーラは戸惑いを覗かせた。
「レイフさん」
「だから、俺は君自身が誰を好きであろうと、俺の前では身勝手な振りをしようと……それでも、君を好きな気持ちだけは揺るがないという、絶対的な自信があるんだ」
 制止せんとする彼女の声を遮るように、レオンスは自らの想いをぶつける。応えてもらえずとも良かったが、この気持ちだけは大切にして、胸に抱いたままでいたかったのだ。
「本当に、貴方は物好きな方ですね、レオンスさん」
 どこか呆れたように、困ったように彼女は呟く。
 そんな想い人を見ながら、レオンスはある一つの決意を固めていた。否、今までも抱えてはいたが、見ない振りをして奥の方へと仕舞い込んでいただけだ。ようやく引っ張り出してきたそれは、放置している間にも、徐々に強固さを増していたらしかった。
 皮肉にも、期待を持ちたくなる彼女の言葉自体、がきっかけとなったのだから。
(これなら……多分、もう、大丈夫だろうな)
「オーラ」
 それと胸に抱えていた想いとを無理矢理入れ替えて、レオンスは彼女へと向き直る。
 頼み事への回答を待っていたオーラは、不意打ちに今までで一番の驚きようを露わにし、そしてすぐに引っ込めた。応える声は、無い。
「俺は、君が誰よりも好きだ。十年前、初めて君を目にした時から」
 それは、レオンスなりのけじめのつもりだった。この想いが叶う事など無いと知っているからこそ、彼はそれに決着を着けたかったのだ。
 一世一代とも言える告白を受けたオーラは、真剣な表情だった。その表情に笑みは貼り付けられておらず、あくまで真摯に彼の想いと向き合っている。
「貴方のことは、信頼できる相手として好いております。それでも、私はあの人が――ヴォルフさんが、好きなんです」
 ほぼ間髪入れずにオーラは彼へと答える。それは期待を持たせんとする、彼女なりの気遣いでもあった。
 理解していた事ではあったが、彼女の返答にレオンスは胸を抉られたような痛みを覚えた。何がけじめだ、と先程の自分嘲笑いたくなる。結局、まだ彼は彼女を諦めきれずに燻っているのだから。
「ああ……最初から、解っていたよ」
 それでも、彼は思わず虚勢を張ってしまっていた。男として矜持が働いた結果だった。
 そんな彼を見て、オーラはまるで姉や母のような笑顔を浮かべだ。
 男として見られていない事を改めて宣告されたかのように感じ、レオンスは苦々しげで悔しげで悲しげな、複雑な顔となる。視線が、顔ごと落ちていく。

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