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三十八章 我らが王よ‐Mansour‐(8)

 その人物は、一人の女性だった。他の精霊や人工精霊とは異なり、淡い光に包まれている訳でも、容姿が単色で纏められている訳でもない。何より、彼女の肌には生命と同じように色があった。おそらくは四代元素を表しているのだろう服と紫系統の髪を棚引かせながら、両手を腹部辺りで重ねた彼女は無言で宙に浮かんでいた。その目元は布に隠されていて見えない為、一行に気付いているのかは判らない。
 おそらく、彼女こそが《精霊女王タイターニア》なのだろうと、後ろから内部に入った面々はほぼ確信する。
 そしてマンスは、今まで目にしてきたどの精霊とも異なる姿に目を奪われていた。
「この人が、《精霊女王》……」
 彼がそう呟けば、それに反応したかのように彼女は口を開く。
『初めまして、チコ・テスタバルディさん。それとも、マンスール・カスタさんとお呼びした方が良いでしょうか?』
 意識がぼんやりとしているところに話しかけられた為、マンスは思わず飛び上がりそうになった。寸でのところでそれを回避してから、彼は慌てるようにして答える。
「あ、えっと、マンスの方が良いです」
『ではマンス、改めて挨拶させてもらいますね。わたしが、現在の精霊界の統治者《精霊女王タイターニア》です』
 そう言って、彼女は――《精霊女王タイターニア》は軽くお辞儀をした。
 既に予測のついていた事だとは言え、本人に自ら名乗られた事で、ようやく皆は彼女が《精霊女王》なのだという確信を持つ。
『あなたのことは、四精霊から度々聞いていました。会えるのを楽しみにしていたのですよ』
 そう言って微笑んだ《精霊女王》に、マンスは目を瞬かせたままでいるしかなかった。予想外の事態に、まだ心がついてこれていないのだ。その代わりか、緊張の方はすっかりどこかに飛んでいってしまっていた。
 他の面々はマリサと共に唯一の出入口近くに立ったまま、前方を無言で見守っていた。これはマンス自身の問題である為、手出し無用だと思っていたからだ。
(……ん?)
 そこでターヤは、開かれたままの出入口の向こう側から、召喚士一族の面々がそっと中の様子を窺っている事に気付いた。
(そっか、皆さんもマンスのことを気にかけてるんだ。後は……《精霊女王》見たさもあるのかな?)
 幾ら他よりも精霊に近しい召喚士一族とは言え、流石に、全員が全員《精霊女王》を見た事があるという者は少ないだろう。現長であるマリサでさえ、どうなのかは判らないのだから。
 ところでマンスはと言えば、ようやく我に返って思い付いた事を口にしていた。
「あ、そう言えば、アシヒーへの〈マナ〉の供給が途絶えちゃってたみたいだけど、体調はだいじょぶなんですか?」
『はい、大丈夫ですよ。ここは精霊の祠、〈マナ〉の濃度が高い場所ですから。ただ、アシヒーには申し訳ない事をしたと思います』
 心配そうな彼の言葉に笑んだまま答えるも、すぐ《精霊女王》は口元から笑みを消す。
「ううん。タ……《精霊女王》の方が大変だったのに、アシヒーに〈マナ〉を供給してくれてて、ありがとうございます」
 つい普段の調子で『タイターニア』と親しげに呼びかけてしまうも、相手は精霊界の現統治者なのだと思い止まったマンスは、すばやく呼称を訂正した。
『いいえ。人工精霊も、わたしにとっては、等しく大切な「精霊」ですから』
 それに対しても気にするなと言うかのように、笑みを戻した《精霊女王》は首を軽く横に振る。
 そして彼女のその思想に、マンスは自分と同じようなものを感じていた。彼女もまた人工精霊を一人の『精霊』として認識し、等しく彼らを愛している為、今までの状況を憂いていたのだ、と。
(そっか、やっぱりこの人は、ぼくと……ううん、きっと、ぼく以上に精霊みんなを愛しているんだ)
 そうと解れば、マンスは再来した緊張感と共に、聞いておきたかった疑問を向ける。
「《精霊女王》は、どうしてぼくを呼んだんですか?」
 おそらくは、自らが《精霊王》に相応しいかどうか確かめる為の最後の関門なのだろうが、どうしても本人の口から聞きたかったのだ。

 この質問を受けて《精霊女王》は再び笑みを消す。ただし、今度は真剣な顔付きであった。
『それは勿論、あなたが真に《精霊王》の器たるか確かめる為です』
 相手の返答に一行は、やはりか、と思う。そして本人に認められた事で、一気に緊張を覚えてもいた。
 特にマンスは、ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んでいる。
『では、逆に問いますが、なぜ、あなたは《精霊王》になりたいのですか?』
 生半可な気持ちでは許さないと言わんばかりに気圧してくる《精霊女王》を、真っ向から見つめて少年は口を開く。
「最初は、精霊のことは友だちとして好きだったけど、それでも《精霊王》になりたかったのは、ただ里のみんなの期待通りに『長』らしい人になって、それで、おとーさんとおかーさんの仇を討つためだったんだ」
 本音を語っているからなのか、マンスの口調は元に戻っていた。敬語にはあまり慣れていないようだ。
「だけど、旅をして、モナト以外の人工精霊に、アシヒーとフェルマとプルーマに出会って、人間の傲慢さを知って、一時は怒りにまかせて殺そうとしちゃったけど、みんなのおかげで、悪い人ばかりじゃないんだって気付けた」

 その視線が、僅かに落ちた。悲痛な色がそこに浮かぶ。

「でも、ぼくはまだまだ弱くて、四精霊にも認めてもらえて、おに……おじさんのことも赦せて、過去に区切りはつけられたのに、それでも、プルーマもフェルマもミネラーリも助けられなくて……」

 けれども、すぐに表情は確固たる意志を取り戻す。

「だから、今は《精霊王》になって、人と精霊が共存できるように努力したいって思うようになったんだ。《精霊女王》の、意思を継いで」
 まっすぐ、しっかりと、マンスは《精霊女王》を見上げた。自分から相手へと、強い意思の籠った視線をぶつけにいく。
 その瞳を真正面から受け止めた彼女は、受容した事を示さんばかりに大きく頷いてみせた。
『あなたの意思、確かに感じました』
 それから《精霊女王》は、ゆっくりと重ねていた手を解き、両脇へと垂れ下げる。どうやら、これが彼女なりの戦闘体勢らしい。
『では、今度はあなたの力を、わたしに見せてください。勿論、《神器》以外の仲間の力を借りる事は認めましょう』
「うん、解った!」
 その言葉を受けて、すぐさまマンスは皆を振り向く。そうすれば、待っていたかのような顔をした皆と目が合った。
「おにーちゃん、おねーちゃん、もっかいぼくに力を貸して!」
「おう、任せとけよ」
「けど、さっきと同じで、俺達はあくまで支援するだけだから」
「でも、護りの方は気になくて良いわ」
「そっちは俺達に任せておけば良いよ」
「頑張ってね、マンス!」
 これにはアクセル、スラヴィ、アシュレイ、レオンス、ターヤと皆が即座に同意する。無論マンスの意図は、とうに理解済みだった。
「貴方なら大丈夫です、マンスールさん。自信を持ってください」
 そして一人だけ助力の認められなかったオーラは、その代わりマンスへと激励の言葉を贈った。
「うん! ありがと、みんな、オーラのおねーちゃん!」
 これら全てに応えてから、マンスは取り出した巻物を眼前で広げる。呼び出すは、たった一人の大切な相棒。
 それとほぼ同じくして、律儀に待っていた《精霊女王》と他の面々もまた動き出していた。
 オーラは音も無く祠の端まで下がると、そこで思い出したように自らとマリサ、並びに祠の出入り口から覗いている召喚士一族の面々を護る為の〈結界〉を構築する。それから、眼前で展開され始めた戦闘を見守る姿勢に徹する事にした。
「『我が喚び声に応えよ』!」
 本来契約している人工精霊を呼ぶには詠唱は不要なのだが、自分に対するけじめの意味も込めて、今回マンスは詠唱文言を紡いでいた。モナトの場合は、ここ最近気にかかる点が多かったからという理由もある。その理由が知りたかったのだ。

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