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三十八章 我らが王よ‐Mansour‐(7)

「これにより、もしレオンスさんに精霊契約による負担がかかりそうになっても、私との間で〈マナ〉の流れと構成が正常になるよう調整されます。ただし、これからは互いの感覚などを共有してしまう事が起こりうるかもしれませんが、そこは御了承いただければと」
 淡々と告げられた真実を、レオンスは背景のように定まらない意識と五感とで聞いていたが、理解した瞬間くしゃりと顔を歪める。今にも泣き出しそうな、笑みだった。
「本当に、君は残酷だな」
 目を伏せて自虐的に呟くレオンスに、オーラはもう何も言わない。
 それでも、彼には彼女に伝えておくべき言葉があった。
「けれど……ありがとう」
 やはりオーラは声を返さなかったが、応じるかのように両腕を解く。
 一瞬前までの切なげな空気などどこへやら、普段通りの様子で立ち上がってから彼女に手を貸すレオンスを、ターヤは後味の悪い結果となった勝ち試合を見てしまったような表情で眺めていた。本当は何かしら声をかけたかったのだが、それはすべきではないと踏んで、皆と同じように噤む。
(オーラも、人が悪いんだから。レオンの気持ちには応えないって明言しておいて、なのにあんな事したら、流石のレオンだって泣きたくなっちゃうよ……)
 一目散に駆け寄っていったマンスが飛び付くようにレオンスへと抱き付き、謝りながら礼を述べている光景の端では、空の色がいつの間にか橙色に染まりきっていた。


 その頃、北大陸では着々と作業が進行していた。吹雪の届かぬ洞窟の中、クレッソンに付き従ってきた騎士達は各々に振り分けられた仕事に従事している。
 ブレーズもまたその一人だったが、ふと今は好機ではないのかと気付く。今までは何かとクレッソンの傍に控えていた《番人》も、今は一人で作業を行っており、その彼も、なぜか先程から姿が見えないのだから。しかもブレーズと《番人》の距離は、現状でも互いの顔が見えるくらいには近い。
「……クラウ」
 彼なりに意を決して声をかけたつもりだったのだが、相手は聞こえていないのか、いっさいの反応を示さなかった。
 これにより思わずブレーズは諦めかけてしまうも、すぐ我に返る。それでは今までと何も変わらないのだと自身に言い聞かせ、再び言葉を紡いだ。
「クラウ、聞こえているんだろう?」
「何の用だ」
 二度目の挑戦には、ようやく応える声があった。ただし、その声は冷たく失望にも似た色をも含んでおり、視線を寄越してくる事も無い。
「私用ならば後にしてくれ。私達は今現在、重要な任務に就いている最中なのだから」
 全てにおいて、突き放そうとしているような言葉だった。久方振りに聞く声でありながら――長らく待ち望んでいた状況でありながら、ブレーズの眼前に突き付けられたのは明確な拒絶でしかなかった。
 しかし、彼はショックを受けると同時、その言葉から確信を得てもいた。
「……おまえ、やはり、あの男と一緒に居た『槍使い』なんだな」
 その言葉に《番人》の動きは一瞬止まるも、すぐ何事も無かったかのように動き出していた。一般人や一部の後衛《職業》ならば、目の錯覚や気のせいと受け取っただろう。
 だが、ブレーズはその程度では誤魔化されなかった。
「図星なんだな」
 食い下がる彼に辟易した《番人》は無言を貫き通す事にしたらしく、彼を無視して割り当てられていた作業に戻る。まるで彼など最初から居なかったかのように。
 瞬間、ブレーズの頭の中は沸騰した。
「っ……!」
 気が付けば、伸ばした右手が相手の胸元を掴み上げている。
「なぜだっ……なぜ別人の振りをしていたんだ、クラウ!」
 思わず張り上げた声により、周囲の騎士達もまた手を止めて怪訝そうな視線向けてくるが、感情が先走っているブレーズは気付かない。
 また、今は相棒たるクラウディアも別の仕事を任されていたこの場には居なかった為、彼を止めようとする者が居なかったという事もある。《暴れん坊》という異名を付けられるくらい、感情的になった彼は人の話を聞かないのだから。

「俺様のことを忘れていた訳ではないんだろう!? ならばなぜ、あの時アウスグウェルター採掘所前で再会した時に、知らぬ振りを通したんだ! ……俺様など、最早どうでも良いという事なのか、クラウ!?」
 だが、真正面から感情をぶつけられても《番人》は無言のままだ。
 この事が益々ブレーズを苛立たせ、突き刺さる程の衝撃と不安をも与える。
「っ……答えろ! クラウ――」
「いったいどうしたと言うのだ、ディフリング氏?」
 けれども、そこで間に割って入ってくる声があった。
 水を差された事に対して怒りを覚えたブレーズが反射的に振り返った先に居たのは、他でもないクレッソンだった。
「《団長》……」
 相手が彼ともなれば、流石のブレーズも、胸中に渦巻いていたさまざまな感情が一気に収束していくのが手に取るように解った。それ程、この『スタニスラフ・クレッソン』という人物は圧倒的な威圧感を有しているのだ。
「それで、いったい何があったと言うのだ?」
 彼では話になりそうにないと踏んだのか、クレッソンは《番人》へと問いかける。
 思わずそちらに、僅かながら期待の籠った視線を向けてしまったブレーズだが、彼女は何事も無かったかのように淡々と答えるだけだ。
「いえ、何でもありません」
「そうか。ならば作業を続けてくれ」
 クレッソンの言葉は正に鶴の一声であり、それまでは遠巻きに状況を眺めていた騎士達は即座に作業を再開する。無論《番人》も例外ではなく、目の前の作業以外を意識の外へと追いやった。
 ただ一人、ブレーズだけが置いていかれた子のように、今にも泣き出しそうな顔で《番人》の背中を見つめていたのだった。
 そして同時刻。轟々と吹き荒ぶ雪の中にぽつんと点在する唯一無二の場所で、淡い水色の光に全身を包まれた女性は、弾かれるようにしてある方向を見ていた。
『この気配は……まさか、《精霊王》?』
 ぽつりと、その口が掠れたような呟きを零す。
 その水色の瞳が向けられた方角には、リンクシャンヌ山脈の位置する中央大陸があった。


 無事に《鋼精霊》との〈契約〉を終えた一行が遅れて到着した時には、隠れ里ユーバリーファルングは喧騒に包まれていた。
 ターヤの耳に入ってくる声の多くは戸惑いや驚きであり、召喚士一族が類を見ないくらいの混乱ぶりに陥っている事が彼女にも解った。やはり彼らの目や意識は、精霊の祠がある方向へと向けられているようだ。
「帰ってきたか、チコ」
「おばーちゃん!」
 そこで一行を見付けて歩み寄ってきたのは、召喚士一族の長マリサだった。彼女は一行の挨拶には会釈だけを返し、マンスの前まで来ると早速に本題に入る。
「こうなっている理由は判るな?」
「うん、《精霊女王》がぼくを呼んでるって、サラマンダーが言ってたよ」
「そうだ。私についてこい、チコ。後ろのお前達もだ」
「うん」
 主に緊張から引き締まった顔で頷いたマンスを先頭に、一行はマリサの後に続いていく。そうして精霊の祠の前まで来ると、彼女は立ち止まって渦中の少年を振り返った。
「ここからはお前が最初に行け」
「うん」
 緊張を強めながら頷いたマンスは、マリサが横に避けてからその場所まで進む。そこで一度だけ大きく深呼吸をしてから、彼は足を踏み出していった。自分自身に大丈夫と言い聞かせながら踏み入った祠の中には既に灯りが灯っており、その最奥には先客が居た。

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